V012「キサスキサスキサス」 テレサ・ガルシア・カトゥルラ&オマーラ・ポルトゥオンド /坂本スミ子

1.歌詞と曲と演奏など(歌手以外のこと)

ことば、ストーリー、ドラマ、情景描写、構成、展開、メロディ、リズム、演奏、アレンジなど

2.歌手のこと

声、オリジナリティ、感じたこと、伝えたいこと

3.歌い方

 

 

1.片思いの愛しい人に、何を聞いても、「たぶん、たぶん、たぶん(キサス、キサス、キサス)」としか応えてもらえない、という、少し切ない、曲ですが、軽快なテンポとリズムに乗って演奏されると、軽妙洒脱な雰囲気の、おしゃれな曲にもなります。

 

2.坂本スミ子は、その立派な張った声や、パンチのある歌い方を活かして、それでも、ffまではあまり使わずに、それなりに弱い声や息混じりの声も使って、情感豊かに歌っています。また、管楽器が、声に合わせるように、とても力強く、後押ししているのが、魅力的です。

テレサらは、かなり軽快なテンポで、前のめりに歌い進めていて、ナットキングコールが歌った同じ曲とは思えない仕上がりになっていて、これはこれで、とてもご機嫌なできだと思います。

 

3.まず取り組みかたとして、坂本スミ子のように、歌詞に忠実に切ない曲として歌うのか、テレサらのように、ご機嫌な感じを前面に押し出すのかによって、変わってきます。前者なら、坂本スミ子のように、オーソドックスに声を活かして、練習するのがよいでしょう。後者の場合は、テンポとリズムを活かして、それに乗ることが前提になるので、常に声を前に出す練習も欠かさないにしましょう。(♭Ξ)

 

 

1.リズムと語り部分などがとても印象的な曲です。また歌よりもバックのオケやサックス、打楽器のほうが印象的な曲です。歌が主役ではなく、ストーリーテラーのようにも聞こえてきます。テレサら歌手が二人で歌っているのもどこか、歌が主役ではなく歌も全体の音楽の一部のような感じを引き立てている要因だと考えます。

 

2.テレサらは、語りの要素を語り強くした歌い方で、歌を歌っているというよりは台詞に音程がついたような印象をうけます。それが結果的に脱力と声の強さのいいバランスをうんでいると思います。高音域にいっても台詞の喉の状態を維持できていることが、雰囲気をさらによくしています。

坂本スミ子は、高音域になると喉があがり、舌根もあがっているように聞こえて高音になるほど音の豊かさが失われていくのがもったいないと感じます。日本語で歌っているということも声に関してはハンディキャップがあると思いますが、もっと喉をあけられるとさらに高音が充実するのではないでしょうか。

 

3.民族音楽のような要素すら感じる曲ですので、レガートや響きなどよりも、いかに台詞の要素を音楽に落とし込めるかだと思います。台詞で喉が開くというのは日本人にはとても難しいです。ブレスとお腹の使い方のみに絞ってトレーニングしてもいいかもしれません。瞬発的にアドリブができるような人が向いている歌ともいえます。

歌う前に台詞をしっかりと体でとらえる訓練が必要です。そして、民族音楽的なノリは、ただ歌うだけではなく感じるままに自由に体を動かすなどをしながら練習してみるといいと思います。反対に椅子に座ってラフな感じで練習してもいいかもしれません。(♭Σ)

 

 

1.短調長調で転調を繰り返す曲ですが、長調になり音が高くなる旋律の中にも、ただ明るいではなくどこか陰りのある声に聞こえ、感じさせるような歌詞の内容です。

曲中に何度も「キサス」という同じ単語が出てくるので、単純な歌にならないように、表現が問われる曲でしょう。

 

  1. 坂本スミ子は、曲の前半を日本語、後半をスペイン語で歌われています。どちらも違和感なく聞こえるのはセンス、日本語でもちゃんとラテンのリズムに乗せていて、かつ発音はしっかり聞きとれる(自然と聞き手の耳に入ってくる)からです。

テレサらは、テンポがやや速めで、中間部も原曲にはない旋律やセリフも入れたりと、かなりオリジナリティのある歌唱にしています。頻繁に出てくる「キサス」も、全体の中の一部という捉え方のように感じられ、あえて淡泊に歌っているようで、結果としてクールな印象の曲に仕上がっているといます。

 

3スペイン語の発音、リズム感、曲全体の流れなど、そのまま模倣するつもりで歌ってみるとよいと思います。(始めはあまりアレンジがしない方がよいです)すると、曲全体の雰囲気はもちろんのこと、スペイン語を流れるように発音していること、語りのように歌う部分・しっかり声を張る部分でメリハリがあること、などが具体的な体感として得られるでしょう。

表現にあたっては、「キサス(多分)」をどう解釈してどう表現するかを吟味することです。また、どのテンポがしっくりくるのかを見つけること、この二つを重点的に取り組むことでしょう。(♯α)

 

 

1.この曲はキューバの人によって作曲されたもので、歌詞の原語はスペイン語ですが、英語の歌詞も日本語の歌詞も使われています。タイトルの「キサス」というのを訳そうとすると「多分」とか「きっと」というような意味になります。「Maybe~」にあたるような意味だと思います。

曲調はいかにもラテンの香りのするもので、曲の内容も、平たく言えば、男性が恋人の女性にいろいろたずねても、その女性は「多分・きっと」という答えしか返さないんだ、という、深い意味はないけれど、わりとマジな男と軽くあしらっている女の日々のやりとりといったところでしょうか。客観的に見れば、他愛もない恋人同士の会話です。それが曲になってしまうのですから、ラテンの人たちの価値観とか生活には、いかに「愛」が大事なのかということがわかるのではないでしょうか。

 

  1. 坂本スミ子は、日本人にしては、とても歌唱力のある人のように感じます。このようなタイプは、現代の日本人には壊滅的に少なくなりました。日本語でも語り掛ける部分や歌いあげる部分でも、ハードがしっかりしているのでブレが少なく感じます。しかし、この声まねを今の日本人がやろうと思っても、成立しないと思います。

テレサらは、歌詞を喋っているような感じが特徴に感じます。語り具合と声の乖離がない分、自然に聞こえます。会話の延長線上に歌があるといった印象です。

 

3.日本人からすると、少々バカ臭いように感じる人もいるかもしれませんが、それを全力で「愛してほしい・もっと振り向いてほしい」という気持ちと、男よりも何枚も上手で「多分ね」と軽く受け流すやり取りを歌で魅せられるとよいですね。この曲はマジメ臭く歌うとなんの面白みもないものになってしまうと思います。内容とノリ重視で、気持ちを全力で歌うことにチャレンジしてみてください。(♭Я)

 

 

  1. 「キサスquizás」は「多分」という意味で、この歌はスペイン語で歌われています。歌詞の情景は、どんなに愛の言葉を伝えても「多分 多分 多分」としか答えない恋人に対して、はぐらかされて心まどう心情が歌われています。リズムはキューバラテン音楽の、マンボやルンバに大きく影響されて作られていると思われます。マイナーコードで8小節を2回繰り返し、メジャーコードを8小節経て再びマイナーコードを8小節歌って終わるという構成です。

 

2.坂本スミ子は、冒頭はささやくようなウイスパリングボイスで歌い、これと対照的にサビの盛り上がったところでは声をものすごく張って輝かしい音色で歌っています。とても妖艶な表現が際立っている分、日本語のせいか、リズム感がもったりしていて、横に流れる音楽表現が主流になっています。

テレサらは、コーラスで歌っていますが、デュナミークの差はそれほどつけていません。日本語では、8分音符の羅列でリズムが均等になりがちなところ、スペイン語の抑揚が音楽に揺らぎを与えてリズムを生み出しています。脚韻が耳に残る歌唱で、言葉のリズムや陰影が生きています。横に流れるレガート唱法の坂本スミ子の歌唱と比べたら縦のリズム感、アップビートが際立っています。こういった上に跳ね上がるリズム感が、このマンボのラテン音楽に命を吹き込んでいます。(♯β)

 

 

1.アレンジのイントロがとても変わっています。ピアノのオクターブで始まりますが、調が定まるのに時間がかかります。イ短調の曲で冒頭は「ドシドミドラ」。知ってから聞くとそのハーモニーがわからなくはないのですが、すぐにナポリの和音が鳴り「シ♭レファ」異国情緒が漂います。二回目の「ドシドミドラ」では、その後一瞬なんとハ長調に転調して終止します。三回目は「ミレ♯ミソミド」に変わっており、歌が始まるまでこんなに目まぐるしいイントロはあまりないでしょう。

 

  1. 坂本スミ子の音程のずれが気になりますが、よく聞くと、とてもハマります。計算ずくであえて、外してきている気がしてきます。「冷たい」の「た」を低めに取り冷たい感じを、「ささやく」をあえて不安定にしていることで歌詞、情景を表現できています。

テレサらは、中間部の語りの部分ももちろんですが、流れるようなリズムが特徴的です。「キサス」もいつも語るように軽く置いています。その3つのつながりがとても有機的です。

 

3.どちらも、歌いだしをよく聞いて、フレーズを綿密に再現できるようにしてみましょう。(♭∴)

 

 

  1. キューバの作曲家のナンバーで、チャチャチャと呼ばれるラテンのリズムで書かれています。歌詞はスペイン語で、「quizás」は「多分」という意味です。男性が恋人にいろいろと語りかけるものの、何を言っても彼女は「多分」とつれない返事ばかり、ああ、まったく、人の気も知らないで…といった内容になっています。3度ずつ、何度も繰り返される「キサス」がキャッチーな歌です。(♯∂)

 

 

  1. スペイン語の響きを生かし、ボレロのリズムが繊細かつ情熱的です。全体に少しスローなテンポですが、シャープにキメが入ってメリハリがついています。

音楽的には、中間部のメジャーに転調するところが印象的です。

 

  1. テレサらの低めの女性の声が華やかに響いています。途中アドリブを加えて感情を自由に表現しています。この曲は、低めの音色が情熱的で合うと思いました。(♯ё)

 

 

(参考)「キサスキサスキサス」での坂本スミ子との比較では、次のことがわかります。

日本人は、大一小、長一短、で音を捉えています。楽譜でのf-p、フォルテーピアニッシモ)は強一弱です。大小と強弱は、ともに音圧ヴォリュームですが、ニュアンスは違います。たとえば、クレッシェンドやデクレッシェンドも日本人はどちらかというとだんだん強く=大きくとか、だんだん弱く=小さくと捉えるのか、そういう感じで扱います。むしろ、強は、鋭いとかつっこみ、ドライブ感、動きの大きさ、鋭角的という感じで捉えてみるとよいと思います。

私はよく過速度で例えます。速い車と過速度のある車は違います。時速何キロでるのかと、急発進できるのか、トップスピードにどのくらい早くいけるのかの違いです。ギアなら、トップが、スピード、ローが馬力です。そう、馬力と考えてもよいでしょう。車輪は大きいと早い、しかし、小さい(数が多い)方が力は強いのです。

坂本スミ子の声は音色も声量も強さもあります。声の芯もあり、今の日本人の失った声の楽器としての器、声の芯は、当時の歌手の資質として一流レベルです。弘田三枝子浜村美智子、西田佐和子、カルメン・マキ、浅川マキに通じます。

問題は使い方で、日本語の歌詞がつくとこうなってしまうということです。「恋は心に…」のサビは今洋子の「恋は私の恋は…」や梓みちよの「それでも、たまに…」のフレーズのような力強さがあります。

 

坂本スミ子(さかもと・すみこ)1936年11月10日、大阪市生まれ。高校卒業後、NHK合唱団に入り、1958年にラテン歌手としてデビュー。1959年、米ラテングループ「トリオ・ロス・パンチョス」の日本公演で前座を務めた。2021年1月23日死去。84歳。

(「福島英のヴォイストレーニングとレッスン曲の歩み」より)

No.355

「メイキング・オブ・モータウン

 

スタジオの横にチラシが貼ってあり、興味をひかれたので観てきた。時代の空気というか、自分達が音楽業界を動かしてくんだという勢いが人を呼び、チャレンジが夢を創る。会社の中では、白人も女性も、早くから登用されて、時代の先取り感がある。なにかを成し遂げていこうとするときに、黒人も白人も関係なく、男性も女性もないのだ。差別はいけないという考えに対応した結果、差別をなくすのではなく、なにかを成し遂げるために団結した結果、差別がなくなる、という自然な動きを見た。政治を音楽に持ち込まない、という姿勢も、その動きに一役買っていると思った。

 

鬼滅の刃吾峠呼世晴

 

命に執着して鬼になってしまう人と命を投げ捨て人を守る鬼殺隊の子供たちの話。画風もアクションシーンの筆遣いも力強く、物語に凄惨なシーンが多いので作者が女性と聞いて驚きました。アニメや映画しか見ていない方にはぜひ原作を読んで頂きたい一作です。

V011「この胸のときめきを」 エルヴィス・プレスリー/ピーノ・ドナッジョ/ダスティン・スプリングフィールド/ブレンダー・リー  

1.歌詞と曲と演奏など(歌手以外のこと)

ことば、ストーリー、ドラマ、情景描写、構成、展開、メロディ、リズム、演奏、アレンジなど

 

2.歌手のこと

声、歌い方、オリジナリティ、感じたこと、伝えたいこと

 

1.プレスリーの、この曲の歌詞への思い入れは、メロディが壊れてしまうほどの強さです。先に彼の思いばかりがはじけ出していて、本来のメロデイはほとんど判別できないほどです。

一方、ドナッジョのでは、メロディを活かす範囲で、きれいに歌われているので、メロディはよくわかりますし、この曲の美しさやよさもわかります。

ダスティンは、随所に装飾音を付けたり、メロディを変形させたりしていますが、行き過ぎることはなく、この曲の中にとどまっています。ブレンダーも少し装飾音を付けたりはしていますが、シンプルにメロディを大切に歌っています。声の力量があるおかげで、この曲の本当の美しさやよさが、うまく引き出されています。

 

2.プレスリーの歌うこの曲の第一印象は、発声直後に息だけにしたり、息を混ぜたり、チリメンビブラートで声を抜いたりしている部分が多く、気持ちを込め過ぎて声にならないのかもしれないとも思いました。見方を変えると、うるさくない伴奏で、聞く人の耳元でその人のためにだけ歌ってくれているような、魅力なのかもしれません。

ドナッジョは、正統的な歌い方で、破綻もなくきれいに歌えているのですが、プレスリーを聞いた後では、曲としての魅力を感じられず、違う曲を聞いているような錯覚さえおぼえます。

ダスティンとブレンダーは、女性であることもあり、プレスリーとの声の使い方としての比較が、難しくなりますが、裏やウィスパーも使って、うまく歌い込んでいて、曲としての魅力を、とてもうまく引き出していると思います。ふたりの声のタイプは、全く違うので、それぞれの声の活かし方が違っていて、とてもおもしろいですが、それでも、プレスリーの方が圧倒的に魅力的なのは、否定しようがありません。(♭Ξ)

 

1.この曲はイタリア語の曲なのでイタリア語で歌われたほうがしっくりとくるはずなのですが、プレスリーの英語の歌の方がとてもメロディックに聞こえます。ピーノ・ドナッジョのイタリア語の歌の方が不鮮明に聞こえるのは歌手の力量にもよると思います。プレスリースプリングフィールドなどの方がレガートに歌えているのと発音が結果的に深いので、展開が鮮明でドラマがはっきりとしてきます。イタリア語の曲でもこの録音の比較では英語の歌詞のほうが鮮明にきこえてくるのは訳詞とアレンジが素晴らしいのだと思いますが、曲のサビの部分でもメロディのラインが鮮明な方が美しい曲なので、声と発声の技術が必要な曲だと感じます。

構成としては割と単調な曲になりやすいのだと思いますので、これをどうアレンジするのかが演奏者側に課せられた課題なのでしょう。

 

2.ダスティン・スプリングフィールド、ブレンダー・リーから学ぶところが多いと思います。

ダスティン・スプリングフィールドは、日本人には少ない深いポジションと深い呼吸の流れで歌えるところがまず聞きどころだと思いました。深く歌うことと深い呼吸の流れというのは違う問題なので、それを言葉もつけて持続できるというのは素晴らしいと思いました。言葉をしゃべるポジションが深いということもあると思います。

ブレンダー・リーは息もれが少ないという点で学ぶべきところがあります。ダスティン・スプリングフィールドに比べると声が幼く、浅い印象もうけますが息が漏れているか、漏れていないかということは発声の世界ではとても大きな違いです。マスケラや鼻腔共鳴といった響きの問題も基本的には息が漏れないよう、声を密閉して喉の力みを使わず声を飛ばす技術なので息がもれていては声も飛びません。

その点に関しては息もれが少ないということでブレンダー・リーも聞くべき歌手かと思いました。

ピーノ・ドナッジョは一見上手なのですが、体や支えがあまりない息まじりの声なので表現や方法論の一つとしては参考にしてもいいと思いますが、基礎的な発声としては重要視するものではないと思います。(♭Σ)

 

1.この曲は、エルヴィス・プレスリーが歌ったもので有名です。前奏がなく歌きっかけで始まります。音程が心配な人(どうしても音が取れない人)は、短くてもいいので前奏がついたもので歌うことを選択し、出だしからしっかり歌い出すことに意識を向けて取り組むとよいでしょう。

旋律は短調から始まり、曲中も頻繁に長調短調が切り替わります。短調といっても歌詞の内容を見れば、暗いイメージで歌うものではありません。雰囲気で歌わずに、イタリア語、英語どちらでも、よく歌詞の内容を把握した上で練習しましょう。

 

2.この曲の作曲者でもあるピーノ・ドナッジョは、癖のない声で、よい意味で歌い癖もなく、オリジナルのイタリア語の歌詞が旋律によく乗っていると感じます。歌詞の内容の想いが旋律と共に広がるような感覚を得ます。

ダスティン・スプリングフィールドは女性で、英語の歌詞での歌唱ですが、同じように旋律と歌声がどんどん広がっていくような印象を受けます。性別や言語が違っても、とても近いものを感じられるという意味では興味深いです。

対照的に、エルヴィス・プレスリーは独自の歌い癖でエルヴィス節といいましょうか、曲全体的で彼のビブラートが雰囲気をつくり、男性らしさ(男性目線の想い)や色気のようなものを醸し出しています。旋律は同じですが、先の二人とは全く違った印象を与えます。

音楽的な表現や歌手の声がその曲をより引き立てている、それが聴衆を魅了するというこは共通しています。それはどのジャンルであっても同じことだと改めて考えられます。(♯α)

 

1.楽譜通りに歌うことはできても、一本調子になってしまい、そこから先の表現の工夫が難しい人は、この曲を用いて語り掛けるような感じや変に歌わない感覚を用いるとよいのかもしれません。この曲は「語り」の要素も多いと思います。短い音符で言葉が詰まっている部分も多いので、歌おうとするとかえって変な感じに聞こえるかもしれません。よい声で歌うのではなく、歌詞の内容と言葉とその色合いが、聞き手にわかりやすく伝わるように歌うようにしてみましょう。

 

  1. エルヴィス・プレスリーは、伝えたいことや曲から感じる雰囲気などを感じ取って伝えているように、語りかけているように感じます。曲の内容と表現がうまくリンクされています。語りかけているものに音やリズムがついたような感じです。変に軽やかな部分がなくしっかり声を使っているように聞こえるので、聞きやすいのです。

それぞれの要素が適っていて、結果的によい声と曲に聞こえます。「歌いすぎ」と指摘される人は、参考にしてみるとよいのではないでしょうか。

ピーノ・ドナッジョは、さすがネイティブだけあって、イタリア語の発音がきれいですね。そして、イタリア語を喋る状態をベースに音とリズムがついて語っているように聞こえますので、声も内容もとてもしぜんに聞こえます。

ダスティン・スプリングフィールドは、英語の発音がとても美しく聞こえます。そして、英語で詞をドラマチックに語っているように感じます。発音・発語が成立していることで、結果的に声にもその影響をよい意味で与えているようです。

ブレンダー・リーは、独自の音楽的な感覚と声の持ち主というイメージで、いわゆる「天才肌の人」という印象を受けます。ほかの人が彼女の歌い方のまねをしても成立しないと思います。その時点での自分のサイズ・自分に合うデザインや柄で作られた一点物の服を着こなしているというようなイメージです。(♭Я)

 

1.原語はイタリア語ですが、英語との音声の比較としても大変参考になります。

英語の歌唱だとソフトな印象を受けます。母音より子音の数が英語の方が少し増えているからでしょうか、子音もソフトに発音されているからでしょうか。しきりに出てくるhave to も「ハフトゥー」と発音するからか、濁音や摩擦音がイタリア語より柔らかめです。英語は曖昧母音が多いので、それも影響していると思います。

曲の前半部分は短調で、後半部分が長調に変化するというわかりやすい構成です。編曲も8ビートよりさらに細かく刻んでところどころ16ビートも入り込んでいるため躍動感、歌詞に沿った切迫感がプラスされている編曲です。これを聞いてしまうと8ビートで歌われている原曲は、のんびり聞こえてしまう印象さえ受けます。

 

2.プレスリーは、声の裏返りやこぶしを多用しています。そのため声を重くしたり、こぶしが回る程度に声を鳴らし過ぎないように喉を使っています。リズムのズラシもよく用いています。ビブラートがよくかかっていてオーケストラの細かいビートとうまく合っています。

ドナッジョは、イタリア語の母音の明るさや音色のクリアさが顕著で、音の伸びがあります。そのため言葉もとても明瞭に聞こえてきます。英語歌唱と比べると、軟口蓋の位置も高く、上顎に声が当たったいるせいか、音のクリアさが際立ちます。喉の位置が高いのが音色に影響を与えているように思います。

スプリングフィールドは、プレスリーと同様に英語ですが、より切実に詩を語って訴えている表現です。弱くするときに少しハスキーな声で表現している。彼女は詩の語りで表現しています。声のテクニックはあまり使ってない印象で、そのため音程が時々曖昧になるときがあります。

ブレンダー・リーは、もともとの声が軟口蓋や、喉の奥を狭く使っているせいか、音が平べったい印象。彼女も英語で歌っていて、声のポジションが若干奥まってるのと、英語であるためイタリア語より音のクリアさが劣るように聞こえます。声の音色を多用して、詞もとても表現して歌っています。(♯β)

 

1.この曲は、まずfmoll(ヘ短調)から始まり、F Durヘ長調)に転調し、コーダでG Dur(ト長調)となります。

プレスリーの場合、歌いだしのWhen I said のAs(ラのフラット)が高めに歌われており、この部分がアカペラのため、この曲が長調なのか短調なのかわからないようですが、短調なのは、そのあとのコード進行を聞くとわかります。ヘ長調への転調はするっと変わりますが、ヘ短調に戻るleft alone のAsは低く歌われ、ヘ短調への回帰は決然としている点が、歌いだしと対照的で面白いです。

コード進行は規則的な反復進行で、しぜんに盛り上がっていきます。はじめのドミナント(Vの和音)に達する直前のサブドミナントで反復進行が崩れるため(IIの前にIVが挿入されている)、ドミナントに達する前に広がりを感じます。ヘ長調になってからはコード進行がヘ短調のときと倍の速さで変わっていくため推進力を感じます。

ヘ短調に戻ってからが2番で、コーダのト長調への転調がよいです。ヘ長調のVIの和音をト長調の準固有Vの和音と読み替えてト長調に至り、若々しいエンディングになっています。

 

2.エルヴィス・プレスリーは歌いだしがアカペラです。一回だけ聞くと、軽くてぱっと歌い流しているように感じるが、よく聞くとあえぐような息遣いで、体をかなり使っていることがわかります。

When I said の息の量、かなりsで吐いています。はじめのWheはとても暖かい息の音がします。たまたま上ずっただけかもしれませんが、「後でヘ長調になること」を暗示しているのかもしれません。

ブレンダー・リーは、イントロがゴージャスなオーケストラ編成です。歌いだしもプレスリーのように一気に息を吐きだすのではなく、丁寧に一個ずつ置いています。油絵の具を直接絵の上に重ねていくように。またリズムが、プレスリーが前のめりなのに対して、遅れがち、というリズムの示し方をしています。引きずっているように聞こえます。それが、過去を切々と思い出しながら語っているという印象を与えます。一個一個をていねいに伝えています。一回目のサビを迎えるころ「Believe me」には興奮が戻ってきて、その後はこのようなけだるい引きずり方は目立たなくなります。(♭∴)

 

1.元はカンツオーネ「Io che non vivo senza te」(あなたなしでは生きられない)という曲で、タイトルそのままのラテン的情熱に満ちた歌詞です。英語版は「You don't have to say You love me」(あなたは私を愛してると言わなくてもいい)、つまり「私」から「あなた」への一方通行の愛で構わないという、若干の諦念が感じられる歌へと変化しています。邦題「この胸のときめきを」は、おそらくイメージ重視のものでしょう。プレスリーが歌うのは英語版です。

記譜上のリズム4分の2拍子に3連符が12個ですが、伴奏は8分の12拍子と考えてよいでしょう。ブルースを思わせる短調のAメロはいきなり核心を突くようにスタートし、長調のBメロはスウィングしながら伴奏のリズムと同化し、ダイナミックに終わります。

 

2.エルヴィス・プレスリーは、ロックンロールの黎明期の歌手で、一言でいうと黒人のように歌う白人歌手です。柔らかで深いブレスに裏打ちされた心地よいヴィブラートの中に、黒人歌手にしか出せないような金管楽器的な鳴りがあります。「泣き」の入れ方などは真似するのが難しいでしょう。一時代を築いた人気歌手で、確かなテクニックの持ち主です。(♯∂)

 

1.情熱的な情感を歌い上げた曲です。

前半部分は抑えめに、後半のサビ部分は音域がぐっと上がり、対照的な構成になっています。

スローテンポの中に、エレキギターの間奏が印象的です。

 

2.曲の前半はほとんど音程がついていないように感じる部分もあり、セリフのような語りになっています。後半は、対照的に歌い上げていて、そのコントラストが感情をダイレクトに観客に伝えます。

日本語の母音がムラなく響く歌唱法は、呼吸と共鳴のトレーニングの重要性をあらためて感じます。(♯ё)

No.354

「B-Lifeのヨガ」まりこ

最近、毎朝10−20分ほど動画を見ながらヨガをしています。時間は短いものは5分から、10分、30分、1時間とバリエーションがあるので、その日の都合に合わせて選んでいます。また、「朝」「寝る前」「血行促進」「リラックス」など目的やテーマが設定されているので、選びやすいです。

いろんな方の動画がありますが、色々やってみてこの「B−lifeのまりこ」先生の動画が一番わかりやすくおすすめです。

人気の理由は、動画の編集が良いのはもちろん、まりこ先生の声や話し方がとても聞きやすいことだと思っています。朝は爽やかに明るく溌剌と、リラックス目的の時は少し息を含んだ優しい声でトーンを落として話されます。最初こそ動画を目で見ながらポーズをとりますが、慣れてくると動画は見ずに、声だけ聞いています。

 

「居合の道場で教わったこと」

 

以前、自分が通っていた居合の道場では、稽古においてかなり明確で解り易い決まりを教わりました。

1.刀を右手で前に抜くな。

前に抜こうとする気配を読まれて右小手を斬られてしまう。

初心者は刀の柄頭を壁に当てて前に抜けないようにした上で、左半身を鞘ごと後ろへ開いて抜く稽古をすると良い。

2.抜いた刀を振るときは肘を曲げるな。手首のスナップを使うな。

いずれも肘の曲げ角度や手首の角度が変動し易く、刃筋がブレて斬れなくなる。

肘を完全に伸ばし、手首は合掌した時のような「斬り手」の姿勢を保てば刃筋はブレなくなり、胸や背中の筋肉の上下運動だけで刀が正確に振れる。

上記の他にもたくさん教わりましたが、いずれも初心者にとっては非日常的な体の使い方で「なぜ、そんなやり方で」と疑問に思い、慣れるまで大変です。

しかし、稽古を重ねるうちに「刀という刃物で物を斬る」ための正しいやり方はこれしかないと解ってくる。そう教わりました。

No.353

CDDVDMOVIE

 

HIP MAMAMOO

K−popブームにのって、最近よく聴くようになった。韓国語の独特の発音がうまくリズムにのっていて聴いていて気持ちいい。同じ曲でも日本語バージョンがあるものが多くあるのだが、日本語になった途端、韓国語版にあったリズム感がのっぺりとしてしまって曲の魅力が薄れてしまうように感じた。カンツォーネのイタリア語と日本語訳との比較もレッスンをとおして理解してはいたけれど、よりリアルな実感として日本語の難しさを感じた。

 

「ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー」オリヴィア・ワイルド

勉強ばかりしてきた女の子二人が卒業式前夜に、今まで遊ばなかった分を取り戻すくらいはじけてやろうと奮闘する物語。ティーンガールの冒険記である。

今までの自分を否定して変身するのではなく、自分は自分のまま、違う世界に飛び込んでいく彼女たちの姿はとても健全でポジティブでエネルギッシュ。いろんなタイプ・属性の個性あふれる同級生や先生たちが出てくるが、決してどの属性も否定したり悪くみせることなく、多様性を受け入れるってこういうことなのかも、というビジョンを見せてくれる。みんな違ってみんないい、そして私たちは最高!という映画でした。

 

BOOK

 

「最後の秘境 東京芸大」二宮敦人・土岐蔦子

芸大生を妻に持つ主人公が、芸大に潜入取材!天才たちのカオスな日常が垣間見られる、ドキュメンタリーマンガ。

 

「天才たちの日課」メイソン・カリー

作家、作曲家、発明家、画家や科学者などクリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々を、膨大なインタビューと資料をもとにまとめたもの。日々のルーティンを精密に決め、確実にこなすことで、脳を余計なことに使わない人が多かった。何かを生み出したい人は、真似してみる価値があるかも。

V010「カルーソ」 村上進 

2.曲の始めなどの語り口調の部分で、何か所も、日本語の話し言葉を重視し過ぎてか、音をわざと外しているのが、オリジナリティと捉えているのかもしれませんが、かえって残念です。日本語として、自然にしようという意図が、逆に、音が外れていることが目立ち、言葉も音も聴く者の耳に入りにくくしているように、思われます。他の歌手たちは、日本人ではないということもあるのか、和声内の音にハマっている場合や、装飾音的な範囲でずらしている場合がほとんどなので、音楽的に違和感を感じさせることが、ほとんどありません。それ以外の部分では、声の実力を無理なく使って、うまく曲をまとめているので、音をわざと外すことは、このジャンルでの、日本的な常識なのかもしれません。また、音楽的には外し過ぎているということに、感覚的に麻痺しているのかもしれません。もう一つ残念なのは、高音域でのロングトーンが、バリエーションが少な過ぎることでしょう。これが最高音なら、そもそも何度も繰り返し歌わないはずなので、気にはなりませんが、何度も繰り返し歌える程度の高音域で、同じような表情の声を多用してしまうのは、発声的には、無理をしているのかもしれません。(♭Ξ)

 

1.日本語にしたことで情景やドラマは見えやすいと思います。また、歌い始め冒頭は低音で台詞に近くなっているので言葉も聞き取りやすくなっているとおもいました。ただ、この歌はイタリア語のもつ長母音やアクセントなどと歌のリズムが密接に絡み合っている曲なので日本語にしたときの字余りのような感じが違和感をいなめません。また、日本語にしたことで息漏れの音が多くなりやすいため、イタリア語のもつ声門閉鎖からくる声の輝きがどこか湿っぽく聞こえるのも、違和感があります。

 

2.とても素敵な声ですし、日本人としては深みのある声だと思いました。ただ、深いというよりは低いといってもいいかもしれません。体の中から出ている声、低い喉のポジションでの声というよりは本来の声があまり高くない方なのかなという印象です。また、タイトルの通りカルーゾという伝説のテノール歌手の方をモチーフにした曲ですので、もう少し高い音で歌ってほしいです。決めの音がFというのは曲としてだいぶ印象が変わってしまっています。私自身この曲はよく歌いますし、イタリアでもポップス歌手やオペラ歌手たちが声自慢のように高音をそれぞれの発声で披露している姿を何度も見てきたので、この録音の声は少し渋い印象を受けてしまいます。(♭Σ)

 

1.歌詞が多い語りの部分、しっかり歌い上げる部分が交互にあるので、メリハリをつけて表現することが求められます。一つの音程で歌詞を多く発音するときは、すべてが一本調子にならないように、(伊語歌詞で歌う場合は)単語ひとつひとつの意味を理解するのはもちろん、言葉のアクセントや発音の聴こえ方を優先して(良い声を聴かせることばかりを優先させないという意味)フレーズを歌います。語り部分の多いカンツォーネを色々と聴いてみると参考になります。

 

2.歌詞の多い語りの部分で、あえて音程をつけない(音程をやや外す)ようにすることでより語っているようにセリフのように聴こえ、そのセリフと歌の境目が不自然さなく移行されているといった印象を受けました。流れるように歌っていても歌詞や旋律の輪郭が良く分かりますし、曲全体にもメリハリがあり、(滅多にないことですが)日本語訳の歌詞で歌うことによって原語で歌う歌手たちとはまた違った良さを見出だせることもあるのだな、と感じさせられました。(♯α)

 

2.この曲は、Lucio Dallaが往年のテノール歌手Enrico Caruso(以下、カルーソー)を偲んで作詞・作曲したものです。カルーソーはナポリ出身で、ミラノやニューヨークなどを中心にオペラで活躍し、時期はちょうどレコードの黎明期でした。様々な録音はCDとして残されています。カルーソーは48歳という若さで亡くなりました。歌詞にはカルーソーの人生の様々な思いが凝縮されているように思います。音楽も叙情的であり、繊細さとドラマチックさを兼ね備えていると思います。

この曲を歌うのであれば、イタリア語の内容がしっかりわかっていること、そして、イタリア語の語感を正確に発音できることを大切にすると良いのではないでしょうか。そして、これらを融合させ、ドラマチックに聞き手に伝わるように工夫してみると良いのではないでしょうか。そのためには、言葉の意味もそうですが、書かれている内容、特にこの場合はモデルになっている人について興味を持つということは非常に大切なことだと思います。カルーソーがどのような活躍をしたのか、歌詞にはどのようなことが書かれているのか、色々興味を持って歌ってみましょう。(♭Я)

 

1.曲の前半部分は、語りでストーリーや登場人物の説明をして、そのあとに出てくるメロディックな部分で歌いあげるという構成です。シャンソンカンツォーネ、古くはオペラなど西洋音楽では常套的な構成で作られています。語りの部分は声の音量を控えめに抑制して、歌い上げる後半部分でしっかり声を張り上げ、そのコントラストで曲の構成を作り、盛り上げて聞くものを魅了します。

 

2.この歌手の特徴は、日本人でありながら、喉が上がった甲高い声ではなく、むしろ音の成分として低い音を含めた声で歌っているということがあります。高音を歌うときにだいたいの日本人は咽頭部分も持ち上がってしまい、聞くものとしてはあまり美しくないという印象を持つものですが、この歌手は訓練によるものなのか、低い音の成分を保ったまま歌えています。洋楽をよく勉強し、イタリア語など外国語で歌う経験があったのでしょう。(♯β)

 

2.アコースティックなイントロにまずは耳を奪われます。dmollニ短調は動きのある調性。ベートーヴェン第九の交響曲の1楽章です。この調の主和音のハーモニーがまず曲の頭で鳴ります。注目すべきなのは低いセッコ(乾いた音)の空虚5度の低弦の上にナインスの音までなっています。歌が入る前にハーモニーはI→IV→固有のV→VI(偽終止)→IVを経てドミナントに落ち着きますがこれが変わった和音。V音上のナポリです。そしてこの散文詩のような文学的な歌詞が始まります。語るように歌うのは誰が聞いても明らかですが、裏にあるのは抜群のリズム感と音感の良さです。

試しにやってみるとわかるのですが、語るように歌ってからこれほど正確に正しい音程に乗せるのは至難の業です。同様にリズムも、適当に語っているように聞こえますが、絶妙なところで0.1秒の狂いもなく拍にオンしています。高く聞こえないでしょうが、このサビの高い音域Gが完全に体でつかめています。

言葉がはっきり聞き取れることはもちろんですが、その情景がなぜか視覚的にはっきりと目の前に見えます。これはなぜなのでしょうか。「発音イントネーション滑舌すべて特に問題がないはずなのになぜ情景が浮かばないのか」というのはレッスンしていていつも感じる謎です。その「何か」をこの録音を通して学べればよいのではないでしょうか。(♭∴)

 

1.不世出のオペラ歌手エンリコ・カルーソー1873年1921年)の晩年をモデルにした歌です。愛する女性を港町ソレントに残して、健康を害したカルーソーが出かけなければならないのは、遠いアメリカでの公演か、それとも死への旅でしょうか。煌びやかなで虚飾に満ちた舞台の世界と、余裕のない真実の愛の対比。曲の前半はほとんど喋るようなレチタティーヴォ、後半ではメロディックに彼女への愛が歌い上げられます。

 

2.村上進はファドやカンツォーネで活躍した歌い手です。甘く鼻腔に共鳴する声は、持ち声の響きのよさだけに頼らず、澱みなく前へ前へと繰り出されます。ブレのない明快な音程で聴かせてくれるレチタティーヴォは、ラテン系の言語の語感を上手に日本語に移植した数少ない成功例に感じます。第一声だけで切ない情感を伝えてくる歌声です。

この曲は、テノール歌手のルチアーノ・パヴァロッティも愛唱しています。パヴァロッティはもっと明るく軽やかに歌うので、村上のようなペーソスはありませんが、後半部分の高音はさすがの圧巻です。(♯∂)

 

 1.情熱的な情感を歌い上げたものです。

前半部分は抑えめに、後半のサビ部分は音域がぐっと上がり、対照的な構成になっています。

スローテンポの中に、エレキギターの間奏が印象的です。

 

2.曲の前半はほとんど音程がついていないように感じる部分もあり、セリフのような語りになっています。後半は、対照的に歌い上げていて、そのコントラストが感情をダイレクトに観客に伝えます。

日本語の母音がムラなく響く歌唱法は、呼吸と共鳴のトレーニングの重要性をあらためて感じます。(♯ё)

No.352

<CD・DVD・MOVIE>

 

寝ても覚めても濱口竜介

この監督の映画は自分の、人間の、ちょっとしたえぐみを捉えられてしまって、いつもこわいな、と思う。

 

「TENET」クリストファー・ノーラン

CGを使わないことで有名な監督。時間が巻き戻ったりする演出があるが、役者が実際に逆再生の演技をしているのだそう。

 

<BOOK>

 

「頭のゴミを捨てれば、脳は一瞬で目覚める」苫米地英人

私たち人間は助け合うことができます。励まし合うことができます。勇気を与え合うことができます。悲しみも喜びも分かち合うことができます。私たち一人ひとりが自分中心であることをやめるならば…。

音楽も自己中心的をやめれば、多くの人に喜びを与えられるのかもしれないと思いました。

V009「リリー・マルレーン」 マレーネ・ディートリッヒ 

  1. もともと映画女優ということもあり、この曲では、あまり歌手らしい歌い方をしていませんが、他の曲の録音を聴いても、ほぼ同様に、語り口調の歌い方で、高音域では必ず柔らかい声で抜いていて、歌い上げることはないようです。それでも、この曲は歌い慣れているようで、普通に歌っている録音も多いようです。しかし、普通に歌っているものよりも、この録音の方が、はるかに魅力的で、ヒットした理由がよく判ります。

最も大きいのは、深めの位置からの発声で、うまく脱力されている低音域が、とても魅力的です。マイクの発達がなければ有り得ない、語り口調の歌いかたですが、この録音では、中高音域を心地よく抜く代わりに、随所で、低音域の充実した声を聴かせているのが、特徴的です。日本人女性のほとんどの生徒さんが、汚い声と思いがちな、低音域の出し方を、無理なく楽に綺麗に出している点は、低音域が得意な生徒さんは、男女を問わず、ぜひ参考にするべきでしょう。低音域が充実しているミルバも、歌っていますが、やはり高音域を張ることができるためか、マレーネに比べると、低音の魅力は今ひとつになってしまいます。(♭Ξ)

 

  1. 音域的に狭い音の高さの中で作曲され、全体的に低めの音域で構成されています。とてもリズミックでも、メロディックというわけでもないとおもいます。むしろ、歌手自身の言葉のさばき方、音量、表現、ブレスの色、語尾の処理などで全く印象の変わってくる曲なのだと思います。

 

2.よく聞くとドイツ語であることがわかります。瞬間的にはドイツ語と判断できないほど子音を柔らかく、シャンソンなどにも近い歌い方なのではないかと感じました。言葉を語る歌い方といってもいいかもしれません。音域が広くなく、ある程度低い音域の中の曲であるのも、歌手自身がしゃべりやすく、語るような歌い方をしやすい一因ではないでしょうか。低い喉の位置で語るように歌うので、強い声ではないですが、説得力があり暗めの声がセクシーに聞こえます。歌声というよりは語れる音域が広いといってもいいかもしれません。(♭Σ)

 

  1. この曲は有節歌曲のように同じメロディが繰り返され、その中で歌詞のストーリーが展開していきます。分かりやすく歌いやすいメロディですが、歌詞はドイツ人兵士が戦場から遠く離れた恋人へ寄せた思いを歌ったもので、昔よく会っていた街頭の場面、別れを告げたときの場面、長い時間が経った今、淡い未来への思い、と展開します。しっかりと一つ一つの単語の意味を理解した上で、同じメロディに乗せて淡々と歌うことで、情景や歌詞の内容が浮き彫りになってくるのではないでしょうか。また、ドイツ語の子音はどれもきちんと(日本語よりも強めに)発音してください。その子音が単語の表現にも繋がっていきます。

 

2.アコーディオンで歌うときは歌詞の発音が流れるように、リズムも少し崩し気味で歌い柔らかい声の印象ですが、トランペットや打楽器などの合奏と歌うときは、単語の発音をしっかり目に、リズムの取り方も器楽的で前者よりも力強い声の印象になります。同じ曲を歌うのでも、演奏全体のバランスや表現を良く捉えていると思いました。(♯α)

 

  1. 穏やかなメロディで書かれているので、比較的耳なじみが良いように感じます。時代背景やこの曲ができた状況を考えると、決して平和や幸せな内容だけではないのですが、様々な思いがこの詩と曲に込められているように感じます。この曲はドイツ人の詩人による詩がもとになっており、ドイツ語で歌われています。ことばの発音の処理の仕方が、ドイツ語に慣れていないと大変かと思いますが、優しく語るようなイメージで、しゃべり過ぎず、また、歌いすぎずという感覚を得るのに役立つかもしれません。ことばを立て過ぎず、穏やかに語り掛ける状態を基本に、音を載せていくようにすると良いのではないでしょうか。

 

  1. 少しハスキー掛かっているのが特徴的だと思います。また、語るように歌われているのも印象的ですね。ところどころ表現を重視した部分で音程がフラットになりやすい(下がり気味)部分がありますが、表現の方が勝っているので、気にする人でなければ気づかないかもしれません。ドイツ語で歌われていますが、われわれのイメージするドイツ語の曲(ドイツ歌曲など)の印象とは違って聞こえます。先にも述べた通り、しゃべり過ぎず(ことばをむやみに立て過ぎず)穏やかに語り掛けるように歌われているのが非常に印象的で、センスの必要とされる部分ではないかと思います。(♭Я)

 

2.ドイツ語で、兵士の、ある女性への恋を歌った曲です。とても簡単なメロディで構成されています。故郷をしのんで誰もが懐かしんで歌えそうな曲です。メロディは、起承転結のような構成で4小節ずつ展開していきます。ドイツ語の詩の伝統にのっとって、しっかりと脚韻が踏まれています。きっとドイツ語話者にとってはこの脚韻が心地よく続くことも、詩を味わったり曲を鑑賞したりする楽しみの一つなのでしょう。

歌手であり女優のマレーネ・ディートリッヒはこの曲を、口語のドイツ語で、非常に滑らかに歌っています。よくあるのはドイツ語で、歌詞をしっかり歌おうとすると、アクセントがつきすぎてしまったり、rをしっかり巻き舌にすることがありますが、彼女の歌唱は、イタリア語かのように母音を揺蕩わせて、長めにレガートに歌っているのが特徴です。発声に関しては、地声に近く、話し声に近い声です。セリフを読むかのようにしっかり発音しているので、結果として体とつながった、明瞭な声になっています。やはり歌を歌うときには、音を歌う以前に、詩の朗読だけでいかに表現できるかということが大切なのであるということを思い知らされる歌唱です。

(♯β)

 

1.シャンソン(フランス語)やカンツォーネ(イタリア語)を聴くことはあっても、なかなかドイツ語の歌謡曲を聴くことは少ないのではないでしょうか。まずはその甘美なドイツ語の音の世界に浸ってみてください。

次に注目すべきはこの編曲のシンプルさです。はじめにセブンスの分散和音が鳴るだけで歌が始まります。そしてシンプルな構成。Aメロが繰り返され、サビが来るかと思えばまたAメロ。Aメロが結局4回繰り返された後、新しいコーダが来るのかと思えばまたAメロの後半がゆっくりになって繰り返されるだけ、という構成。繰り返されるごとに微妙に変えていっていますが、本当に微妙で、清潔感を感じます。いい意味で淡々としているからこそこの悲しい歌詞が映えるのでしょう。(兵隊が恋人のことを歌っている。)

 

2.歌いだしの低音域からかなりのヴォリュームとリズム感。伴奏よりややフライング気味に入っているところが逆にリズム感のよさを感じます。(リズム感の悪い人は必ず伴奏より遅れて入ってきます。)いい意味でのアンサンブルは「合わせよう」と気を遣いあうことではなく、お互いのセンスで音楽を勝手にやっているように見えて、きちんとあっているというのが大切です。(♭∴)

 

1.戦場の兵士が遠く離れた女性に寄せる想い。リリー・マルレーンは恋人なのか酒場の女なのかは判然としないが、思い出の中の懐かしく美しい姿が目に浮かぶようである。よくよく歌詞を読むと、彼女がどんな容姿なのか、どんな女性なのかの説明は一切ない。だからこそ、誰の心にもある甘酸っぱい思い出と自然に結びついてしまうのだ。スローテンポのメロディはシンプルで、音の高低も少なく、数度聞いたら誰でも口ずさめるような歌。戦場の慰問で大人気となったのも頷ける。

 

2.マレーネ・ディートリヒの声はいわゆる美声ではない。お酒か煙草でやけたような掠れ声である。でもそんなことはどうでもいいのだ。リリー・マルレーンに寄せる想いを、マレーネ・ディートリヒ扮するリリー・マルレーン自身が歌うかのような不思議な構造。しかしどこか他人事のように投げやりであり、それ故に聴く者が好きな思いを投影する余白を残している。唯一無二の女優だからこそ成立する世界。(♯∂)

 

No.351

CDDVDMOVIE

 

Nessun DormaAretha Franklin

色々な人の「Nessun Dorma」を聴く中でオペラをこんな風に歌うことができるのかと感動しました。

どこかのブログかコラムにも書いてありましたが、最初の一声でもう、アレサ・フランクリンの世界。

オペラのメロディの壮大さ、美しさは活かしつつ、女性ボーカルだが裏声できれいに歌うのではなく、低めの地声をメインでジャズやソウル的なくずし方をして生々しく?歌うのがかっこよかった。

最後には鳥肌がたった。最近は手軽にいつでも音楽が聞けるため、いつもBGM的に聞いてしまっていることが多いせいか、音楽に心底感動する機会が減ってしまっていると感じる。

こんなにちゃんと音楽を聞いたのは久しぶりかもしれない、と反省した。

反省したけど、努力で解消できるものなのだろうか…。

 

「雪が降る」浅川マキ

図書館で間違って借りた浅川マキのセレクションCD、せっかく借りたのだからと聴いた。若い時の声はまっすぐな感じ。くっきりしている。年齢が上がると、歌い癖というか、うねるような感じになっている。CDの中に意外にもシャンソンの「雪が降る」があった。ラのスキャットが良い。バチっと切ったり、細く繋げたり、聴いているとだんだん、雪の静寂の中にいる気がしてくる。

 

「あまくない砂糖の話」デイモン・ガモー監督 (ドキュメンタリー映画)

1日にティースプーン40杯の砂糖を60日間摂取すると、どんな変化が起きるのかという監督自らが実験台になったドキュメンタリー映画

カロリーオフや、低脂肪と謳う加工食品が大量の砂糖を使用していること、それらが身体や精神に与える影響の恐ろしさに驚く。

スタバのフラペチーノを毎日飲む方は見たほうがいい作品。

 

BOOK

 

「我が敵 習近平楊逸

芥川賞作家の楊逸が、新型コロナウイルス蔓延の元凶は習近平独裁体制だと、告発する。子供の頃、文革による下放を体験した著者の書く、共産党の恐ろしさは、自分の想像を越えていた。それでも、今、書かなくては、という著者の決意に敬意を表する。書くことで、著者は中国という国を敵に回す、その影響は計り知れないが、人間には命を懸けてもしなくてはならないことがある、ということを、自分に見せてくれた、と思う。

 

「ゴミ清掃員の日常」滝沢秀一 

著者はお笑いコンビ、マシンガンズの片割れ。芸人生活を続けるための収入を、ゴミ清掃員として得ている、その日常を描いた漫画。今まで、全く知らなかったゴミ清掃の世界に入った著者の驚き、清掃員さんたちの悲喜こもごもやゴミ分別の苦労など、面白く読める。この漫画を書いたのは、著者の奥さん、48歳にして始めて漫画を書いたという。嫌みのない、好感の持てる絵、コマ割りもシンプルで読みやすい。目の前のことを一生懸命こなして、答えの出るのを待つ、という著者の姿勢に、励まされる。

V008「愛の讃歌」 エディット・ピアフ    

2.口の中をあまり開けず、ナチュラルな話し声に近い発声で、中高音域をメインに、輝かしい声を聞かせていて、特に、高音域は、アニメ声にはならず、しっかり低い位置から出ていて、とても立派です。口の中をあまり開けていないことと、チリメンビブラートを随所に使っていることは、我々オペラ歌手から見れば、それだけで発声的にアウトに近いですが、オペラを歌うわけではないのに、むしろ他のジャンルで、ここまでよい発声を手に入れていることは、称賛に値し、一世を風靡し、今なお愛されている大歌手として、なるほどとうなづかされます。彼女の発声が、低い位置を基本にできているのは、母親がイタリア系で、しかもカフェのシンガーだったこととも、関係しているのでしょう。これに対して、この曲をカバーしているミルバは、口の中も適度に開いていて、歌い出しは、ドラマティックテノールかと間違えるほど立派な中低音ですが、そのことも災いして、発声的には、全く問題のない高音域なのですが、ピアフのようには攻めきれていないために、テクニック的にもとてもうまいのは判りますが、感動は半減してしまいます。(♭Ξ)

 

2.台詞の力が必要な作品だと考えています。シャンソンを歌う際によく指導される「語るように」「喋るように」ということを考えてみなけれななりません。

日本人がこの曲を歌う時、息交じりでぼそぼそ聞こえることが多いのですがピアフの歌うこの曲を聴くと決してそのようなことはないということがわかります。体から発せられた台詞であり、その音程で台詞をしゃべっているという雰囲気さえあります。息もれがありません。お腹を使い声門閉鎖がしっかりと行われた声は金属的な印象さえあります。この金属的な声というのは、欧米の声の文化ではとても重要です。

日本人は柔らかく、明るい声がよしとされることがありますが、海外に行くと個性がない薄い声といわれることがあります。声のレッスンで最初に響きや共鳴に重点を置かれすぎるとそうなることがあります。単純にお腹で呼吸を支え、喉で声を密閉することがどれほど日本人にとって難しいか。息もれのしない声というのは、結果的に自分を守ります。

歌うことを学ぶまえに、ピアフの言葉の支えや息もれのない歌詞の扱いを勉強することも重要かもしれません。(♭Σ)

 

  1. 曲の始めに、核となる主題が提示されており、そのメロディの盛り上がりから、曲頭からインパクトを与えている楽曲であると言えます。主題Aー中間部ー主題A'という構成の中で、主題Aで聴き手への印象を決める部分であり、中間部での表現を工夫し、主題A’はさらに盛り上がる演奏にもっていく必要があります。出だしや中間部で力尽きないように、曲全体の流れを歌い手自身の体感、表現に落とし込んでから演奏するのがよいです。

 

2.歌手クミコさん:その伴奏(バックミュージック)はベースが軽快にテンポを刻んでおり、他の楽器の音が装飾されているのも相まって、他の歌手たちの「ゆったり」というイメージとは対照的で、聴き手に与える印象も一味違ったものになります。軽快なテンポなのに、ゆとりのあるクミコさんの歌い方がよくマッチしているがゆえに、曲全体が決して慌しくならないのだと思います。

 歌い方も曲の印象も(エディット ピアフとは)全く対照的で、好みも分かれるところですが、オリジナリティがあることは確かでしょう。(♯α)

 

  1. 日本でもよく知られているシャンソンの一曲であり、様々なアーティストがカバーして歌われているのですが、エディット・ピアフの歌うものが、やはり元祖として、よりしっくりくるものがあると思います。作詞者が本人であること、そして本人の体験したことをもとに作詞されていることからも、より深い内容がうかがえます。

 

  1. 声に関しては、声楽を基準に考えると、「揺れ」や「ちりめんビブラート」といわれるような状態なので、声そのものを参考にするということは別として(シャンソンですし)、歌詞の内容の伝わりやすさといった表現方法や、音楽の持っていき方などは非常にダイナミックであり、小さくまとまりがちな日本人が参考にすると良い部分なのではないかと思います。先にも述べた通り、作詞者自身であるエディット・ピアフ愛の讃歌は、多くの人に愛されている曲だと思います。それだけ多くの人の心をひきつけるものは何なのかという部分を参考にすると良いのではないでしょうか。表面だけの薄い音楽にならずに、内容が人の心に響くような、エモーショナルな演奏を心がける人に参考にしてほしいと思います。(♭Я)

 

  1. 曲はAメロ Bメロ Aメロ エンディングという構成で歌われています。

 エディットピアフの発声は、頭声のような上からのアプローチというより、話し声のような声をしっかり張った地声の要素の強い響きで歌っています。なかなか日本人が真似するのは大変かもしれません。シャンソンを歌う方にはとても参考になると思いますし、日本人の歌手でも声をしっかり張って歌う美空ひばりや、高橋真梨子、演歌などを歌う方に参考になるかと思います。

 ピアフの歌唱の発音に着目してみると、とても言葉を明確に発音しています。現在のシャンソン歌手は[r]をはっきりと巻き舌にはしませんが、ピアフはオペラ歌手のレベルで発音しています。これも古き良き時代の歌い方が残っているのかもしれませんね。母音に関しても最近の歌手の表現にありがちな、音を抜いて表現するというようなことは、一音たりともないようです。(♯β)

 

1.まずはフランス語の美しさを味わってください。(同じ曲をミルバがイタリア語で録音していますので聴き比べると面白いと思います。ミルバのほうがゆっくり目で、イタリア語の味わいが出ています。)構成はABAの三部形式とここでは考えましょう。一般的に三部形式のBの部分はやや速いテンポで演奏するのが通例ですが、この曲でもその通りになっています。というのもBの部分の歌詞は「あなたに愛されている限り、地の果てにもついていく、月でももぎ取る」と動的な内容で、一方Aの部分の歌詞は「私は何があろうと平気、あなたの愛があれば」と静的な内容になっているので、つじつまが合っています。

次にアレンジについて述べます。生のオーケストラでしょうか。はじめのヴァイオリンの旋律が印象的です、Aメロそのものでなくいきなりオクターブ跳躍するところが泣けます。次にAメロ二回目の時にオーボエ(?)のソロが裏旋律で入ってきます。何ともさみしい音色。そして最後のコーダの時には管楽器が和音を三連符で奏して音楽を盛り上げ、男性のバックコーラスが入ってきます。最後の一フレーズの歌の直前、ティンパニが字余りのようにタタタンと叩き切るところがやや前時代的ですが迫力を添えます。

 

2.歌唱について述べます。普通歌いだしは静かに始めるものですが、この歌唱ははじめから全力で来ている印象を受けます。それはこの広がりのある声色を生かすためでもあるでしょうし、劇的な歌詞「空が落ちようと大地が裂けようと」の表現のためでもあるでしょう。次にこの長い長いAメロがなんとうまく1つのフレーズとして聞こえることでしょう!(それがどれほど大変かはやってみればわかるでしょう。)そのコツは私が聞き取る限り2点あります。一点目はものすごいリズム感です。伸ばしてる声の中に「スイング」している感覚が、鋭敏なリズム感を感じさせます。二点目は休符に対する感覚です。凡人は休符の時に休んでしまうものですが、フレーズの感覚が休まず、フルで「空焚き」しているのがわかります。(♭∴)

 

  1. 「空が落ちてこようが、大地が裂けようが、故郷を捨てようが、友を裏切ろうが構わない。ただあなたに愛されているなら」と、強い愛を高らかに謳った名曲です。日本語版は「あなたの燃える手で私を抱きしめて」という、原詩よりマイルドな歌詞がよく知られており、結婚披露宴でもよく歌われますが、実はピアフが最愛の恋人を亡くした時に書かれた曲と言われています。オーケストレーションは壮大な弦楽器群に木管が哀愁を添えています。いきなり印象的なサビからスタートし、中間部は短調に乗せる語り、再びサビに戻るという構造です。

 

2.ピアフの歌声は、どこか自分自身を突き放すような冷たさと、思いの熱さを兼ね備えているように感じます。そして彼女の歌は言葉が非常に明快です。「フランス語は曖昧に歌うべし」と思い込んでいる全ての人に聞いてもらいたいです。越路吹雪はピアフより遥かに繊細に女心を歌いますが、生涯ピアフには勝てないと感じていたそうです。美輪明宏はスケールの大きな歌唱で海のように深い愛を歌います。美空ひばりの歌は別な切り口で、愛の麻薬に酔ったように甘ったるく退廃的です。(♯∂)

 

1.AABAA形式。AメロとBメロが対照的で、ドラマティックな展開になっています。

 

2.胸声を豊かに鳴らし、野性的に力強く歌いあげています。(温かく柔らかい声のミルバと比べると際立つ野性味が魅力です)Bメロでは台詞のように立体的な歌唱が印象的です。また、独特のビブラートが声の音色に調和しています。(♯ё)

No.350

BOOK

 

「漫画 香港デモ、激動200日!/ 扶桑社」

自由に物が言えて、国家や政府の批判も平気で口にできる社会で育った私にとって、言論が統制されることは恐ろしい。この本で、香港の若者たちがどんな危機感を抱いてデモに参加しているのかが、少しは理解できた気がする。

 

「官邸コロナ敗戦/乾正人

コロナ対策の初動の遅さは、習近平国賓来日を推進する人たちが関わっているのかな、となんとなく思ってはいた。未曾有の危機に、政府も頑張っているとは感じるが、中国の顔色を伺うのは、独立国としてどうだろう、と思った。著者提案の衆参両院の一本化、四年に一度の選挙の固定に賛成する。

 

「うつにならない習慣抜け出す習慣」 小野一之・著 石田淳・協力 すばる舎

3年前にうつ(らしきもの)を発症し、働くことさえできずに自宅療養を続けながらも、「何とか早く社会復帰したい」と考え、心理学、精神医学などいろんな書籍を読み漁りましたが、その中で唯一「これは役立つ!」と感じたのが本書です。

著者は精神科医ではなく、出版コンサルタントを営む軽症うつ経験者。協力者は人間の習慣を内面的(精神論的)にではなく科学的に変えてゆくための習慣管理手法「行動科学マネジメント」の第一人者。

まずは著者が軽症うつを「生活習慣病」と捉え、生活習慣の乱れによって自律神経の働きが狂ってしまうゆえの発症メカニズムを、自身の闘病経験を基にしてわかりやすく解説し、自律神経を整えるための生活習慣の改善ポイントを提案してくれます。

さらに協力者が、それらの生活習慣改善を内面的に進めるのには無理があることを前提とし、科学的に「改善し易くする手段」を考える手法として「行動科学マネジメント」の応用を提案しています。

薬に頼らないうつ治療を考える上で有力な参考書です。

V007「ヴォラーレ」ドメニコ・モドゥーニョ  

1.歌詞と曲と演奏

ことば、ストーリー、ドラマ、情景描写、構成、展開、メロディ、リズム、演奏、アレンジなど

2.この歌手自身の声、歌い方、オリジナリティ、感じたこと、伝えたいこと(VS比較歌手)

 

2.どちらかというと低音歌手(バリトン)ですが、あまり低音は得意ではないようで、この音源では、最も出しやすく立派な声が出せるやや中高音域だけが、録音されています。声種は低音ですが、太く分厚い声ではなく、細く軽い声にして、フットワークの軽さが出せるようにしているので、細かい音符もサラサラと、もたつくことなく歌いこなせています。それでも低音歌手なので、テノールよりはずっと深い声になるので、女性には真似のできない声というところが、人気の一つになるでしょう。(テノールの声は、女性・アルトの声で真似することができたりします。)また、このように軽い声の場合には、高音域のロングトーンがあまり立派ではないことも少なくないのですが、艶も深さも適度にあり、ほとんど無理なく何回も繰り返せていて、立派です。また、この声の艶は、頻繁に出てくる三連符などの細かい動きの部分でも、はがれることなくしっかり維持されているので、聴いていて小気味よく、6度程度の音域の中だけですが、それでもなかなか難しいことです。(♭Ξ)

 

  1. 飛ぶという意味のvolareと歌うという意味のcantareを繰り返しサビにもってくる曲ですから、基本的に生き生きと歌う曲だと思います。多くのカンツォーネと呼ばれる曲がナポリの言葉を使っているのに対し、この曲は、標準イタリア語を使っていますし、あまり難しい文法も使っていないのでイタリア語の学習としても使いやすいイメージです。

 

2.歌手というよりも俳優が歌を歌っているという印象でしょうか。歌のリズムではなく、言葉を重視して歌っています。また、とても美しいイタリア語で聴き取りやすいです。イタリア語が美しいので結果的に響きも高く、とても輝かしい声です。

イタリアのポップスも日本と同じように、以前よりも声が薄くなってきています。息交じりの表現も多いですし、ファルセットの表現も多くなってきています。しかし、オーディション番組などを見ると、素晴らしい力強い輝かしい声で歌うポップス歌手などもたくさんいます。どちらもが共存し始めているといってもいいです。この曲を聴く限り、今のイタリアポップスよりも少し古い表現に聞こえますが、声の素晴らしさが伝わる録音だと思います。(♭Σ)

 

  1. 曲の歌い出しが、曲名である「volare」から始まるので、第一声の印象は大きいです。さらに、この歌手のオリジナルでは、前奏もなく本当の意味で歌の第一声から曲が始まるので重要な部分です。そして歌詞の内容からも、三連符ではリズムが重くなる、テンポが停滞する(ように聴こえる)傾向にならないように、全体のテンポ感も含めて音楽作りをしています。

 

  1. 発音やリズムの取り方がより明確(より鋭い、より軽快)だという印象で、そうすると曲の流れも前に進みやすくなるので、同じ曲なのに他の歌手が歌っているそれよりも軽快さが伴って聴こえます。もし「volare(飛ぶ)」この曲名の意味も、歌詞の内容も分からなかったとしても、その内容に近いものを聴き手に感じさせるとき、どのジャンルであっても表現の卓越した歌手だと思わされます。(♯α)

 

  1. かつてCMなどで使われていた曲(歌い手やバリエーションは違うが)ということもあり、一度聞いたことのある人もいるのではないかと思います。サビの部分をメインにしており、印象に残りやすく、繰り返しが多く、比較的わかりやすい言葉を用いていると思いますので、レッスンや練習曲として取り入れてみると良いと思います。その際、いきなり音と言葉を合わせるというよりは、言葉が多い部分はイタリア語のしゃべる雰囲気に慣れることが重要だと思います。いきなり音楽優先にしてしまうと、カタコトの歌詞に聞こえ、非常に不自然になると思います。アクセントの位置などに気をつけながら、事前に何度もしゃべる訓練を行ってから歌うのがいいのではないでしょうか。

 

2.イタリア語がよく聞こえる歌い方をされていると感じました。歌声と話し声の乖離が少ないのが理由だと思います。イタリア語のしゃべり声の延長に音がついているという印象を受けました。若干のタメや伸び縮みがありますが、それがイタリア語の言葉のしゃべり方からくるように聞こえるので、結果的には比較的自然に聞こえます。(♭Я)

 

・8小節×2の冒頭部ののちに、サビが12小節、8小節のつなぎののちに、サビが12小節という構成です。日本人の歌手にも多く歌われていますが、イタリア人が歌うのと大きく異なる点は、母音に表現がないということです。ベターっとどの母音も同じ価値で歌われてしまっています。イタリア人が歌うのを聞くと、長い母音、短い母音、弾むような母音、沈むような母音と、いろいろなカラーがあることに気付きます。イタリア人の歌唱の中で比較しても、パバロッティが歌う歌唱は、格段に母音がクリアに聞こえます。すべての単語が聞き取れるほどクリアです。その他の歌手は、声がきちんと支えられてないゆえに、語尾が不明瞭だったり、ウなのかあいまい母音のエなのか明確に聞こえないときがあります。母音の長さも長く歌っているのも聞き取りやすいポイントかもしれません。(♯β)

 

1.まずはアカペラで響く初めのフェルマータ。「volare」の「vo」をよく聞いてみましょう。はじめ低いところから入って一瞬で少し上げます。そして伴奏が入るほんの少し前に「la」に移って、音程が少し下がって伴奏とぴったりにあたります。この響きと深さをコピーできたら、初めの数年の教材としては十分ではないでしょうか。そして次の「cantare」のtのタイミングの見事さ。かなり待ってから入ります。このリズム感のセンスの良さ。レッスンでいつも一流のヴォーカルは一流のリズム感を持っていると伝えていますが、これ以上遅いと破綻するぎりぎりのところですっと「ta」をいれます。

このサビの部分が終わってAメロに入ります。中音域とほとばしるイタリア語が、伴奏とドンピシャできます。ど頭の崩し方からは想像できないほど端正で正確な歌唱。ここでバランスをとって帳尻を合わせているのでしょう。サビに戻る少し前「per me」でリズムをだいぶ崩すので、どのように2回目のサビを歌うのか期待が高まります。2回目は1回目と同じ路線ですが1回目ほど大げさにはしません。ここでバックコーラスが一瞬入り、Aメロは再び端正ですが、よりリズムに対して鋭く入ってきているように感じます。もっと聞きたいなというところでフェイドアウトして終わります。(♭∴)

 

1.volareは「飛んで行く」という意味。夢の中で見た「青く塗られた青の中」=紺碧の空の中を飛ぶ情景が、疾走感のあるリズムに乗せて爽快に歌われる。語りの部分は三連符の連続で、独特の引っ掛かりのある言葉の連なりが楽しい。サビの部分は高く低く空を飛ぶようなメロディが、一度聞くと忘れられないほど気持ちいい。

 

2.本当に歌うことが楽しくて仕方ない、という風に歌うドメニコ・モドゥーニョ。特別な美声の持ち主というわけでもないが、ここまで楽しそうに歌っているのを聞くと、聞く側まで幸せな気持ちになる。

世界的テノール歌手のルチアーノ・パヴァロッティによるカヴァーは、さすがの美声で、声そのものが軽々と空を飛び回り、駆け上がる。

日本が誇るテノール歌手の五郎部俊朗さんは、蒼穹に溶けていくようなけがれのない声で、他の歌手とは全く違う空の飛び方を聞かせてくれる。(♯∂)

No.349

TV

 

afgan

インドネシア人歌手のという方が10年ほど前から大好きで聴いています。インドネシア語はほとんど分かりませんが、聴きすぎて歌詞を完コピーできるようになってしまいました。ライブには行けませんが動画サイトで観られたりするのでありがたい時代です。

歌は、言葉の違いを越えます。言葉がハードルではないなら、歌手は何に重きを置けばよいのか、世界に通用する歌手は何を持っているのか?なんて歌手でもないけど考えてしまいました。一般人で良かった。

 

BOOK

 

「フォーカス・リーディング 110分のスピードで、10倍の成果を出すいいとこどりの読書術」(寺田昌嗣 PHP

読みたい本はいっぱいあるが、全部読もうと思ったら時間が足りない!

今まで本は沢山読んできたけど、本から得た知識が仕事や生活に活かせない・・・

1日に何冊もの本を読んでいる「読書の達人」は、どんな風に本を読んでいるのか?

本書はそんな悩みや疑問を解消してくれるのではないかと思って購入し、今、読んでいるところです。(基本は頭から順に音読しています)

読んでいるうちに、読書法に限らず、今までの自分の生き方における間違い、勘違いに気づかされました。

仕事でも、勉強でも、端から端まで、丁寧に、ただやれば良いというものではなく、目的を考え、そのために必要な活動に力点を置き、効率良く片付けることが大切なことが説かれていることは勿論、そのための具体的鍛練法を「体育会系のノリ」で実行できるようにすることで、本書を読むことで「フォーカス・リーディング」という読書術を習得し、活用できるようにするという、文字通り「10倍の成果を出せる」構成になっています。

その効果の片鱗は早くも現れ始め、当研究所で使っている「声と言葉のトレーニング帖」を読むとき、以前は一文字づつ又は一語づつを目で追って読んでいましたが、最近は1行全体を視界に入れた上で視点を行に沿って流せるようになり、その分つっかえずスムーズに読めるようになりました。

 

OTHER

 

「コトバグラム」声のゲームアプリ

ことばの重さで勝負が決まります。

「ベストアクト」「はあって言うゲーム」など、声の感じで表現してあててみるというゲームが流行しています。

コンコーネ 目次

■コンコーネ [中声用 全音楽譜出版社]

Q. コンコーネ50の1番の歌い方について教えてください。(リンク先)

 

Q. コンコーネ50の2~10番の歌い方について教えてください。

 

■カーロミオベン

 Q.カーロミオベンの歌い方について教えてください。

 

Q. コンコーネ50の2番の歌い方について教えてください。

A. テンポは、1番と同じModeratoですが、1番では最低音から最高音まで、順次進行(全ての音を歌って)です。4小節で昇りつめたのとは正反対に、4小節で、中間の主音から第三音までしか上がらず、歌う音符としては(記譜としては6個ですが)4個しかありません。

1番では、音程が動き回る中で、どれだけ声を安定させられるかが、課題の一つでしたが、2番では、一つの音程で、どれだけ長くきれいな声を安定させられるかが、課題になっています。

2小節目の第二音と、3小節目の第二音は、もちろん同じ音程ですが、いい加減に歌ってしまうと、微妙に違う音程になってしまうことは、珍しくありません。音質も統一できるように、慎重に歌いましょう。

ほとんどの部分が順次進行なので、上行ではしっかり正しい音程まで上がるように、下向では、ルーズに音程が下がり過ぎないように、気を付けなければいけません。ほとんどの休符が4分休符だということも忘れずに、音を伸ばし過ぎて8分休符になってしまわないようにしましょう。特に、四段目4小節目の4分音符は、伸ばし過ぎないようにして、この音符の表情で、この曲の雰囲気が変わるので、大切に扱いましょう。

スラーは一つもないので、レガートに一切しないというのも、一つの選択肢です。記載されているデュナーミクを練習するために、これらのことをいい加減にしてしまうとしたら、残念なことです。(♭Ξ)

 

A. この課題は音をキープすることがとても難しいです。楽譜上にはクレシェンド、ディミヌエンドが多く書いてありますが、初心者はあまり気にしない方がよいです。

それよりも伸ばした音に自然なクレシェンドがかかっているくらいのほうが良いと思います。

6小節のドの音を息でおさない。自然に上昇していくつもりで歌うと音程定まってきます。

6小節のブレスは静かに優しく吸いましょう。

6小節~8小節は下降形なのでドの響きをキープしたまま低い♯ファの音に降りてきましょう。♯ファの音を鳴らしすぎないように。

9小節~16小節までの上降形は押さずに、音量が増すのではなく響きが高くなっていくと思ってください。大声でごまかさない。

17小節のレの音はその前で高い音を出してブレスを吸う分響きが下がりやすいので注意が必要です。(♭Σ)

 

A. 2番の主な課題はロングトーンと、フレーズ内でのクレッシェンド デクレッシェンドと言えます。クレッシェンド デクレッシェンドをつけるにあたり、ただ小さい声から始まり大きくしてまた小さくする、という捉え方だと息が安定せず、声もうねって聴こえるのでよくありません。

最初はまず、全部の音をしっかり歌う練習をしましょう。その後で、ロングトーンで息を流すことを試みてください。

ポイントは1拍目からしっかり歌い出し、途中で息の流れを増やすことです。息の流れが増えることで、聴き手にはちゃんとクレッシェンドに聴こえるのです。

また、本来なら音が上がるときにクレッッシェンドするのが自然の流れですが、この課題では音が1度上がっているのにデクレッシェンドを求められています。勢いにまかせて声が膨らまないよう(強くならないよう)フレーズ末尾までしっかり身体を支えて歌うよう心掛けてください。(♯α)

 

A. この曲も、1番と同様に音があまり跳躍しません。ほとんどの音符が2度で移動しています。

いちど声のポジションを決めて、声の響きを掴んだら、そこから音を離さずにキープしながらディナミクスを作っていきましょう。1本の線上に、丁寧に音を並べていく感じは1番と変わりません。

声をコントロールするポイントは、最初の声を出すときが肝心です。例えば、針に糸を通すくらいの意識で丁寧に歌うこと。

最初に雑に声を出してしまうと、同音からのクレッシェンドからディミヌエンドが自由にできません。声を出す前から自分の声を良くイメージしていきましょう。曲の構成は、和音構成がだんだん変わっていくごとに、そのフレーズの和音のカラーを意識できればおのずとできあがります。

まずはのびやかに歌いましょう!(♯Δ)

 

A.この課題曲は、ほとんどがロングトーンで構成されていること、音型が順次進行で上がったり下がったりしながら、中間部では3度の跳躍で上行していること、クレッシェンドとディミヌエンドを多用していることが特徴です。一見するとシンプルなのですが、シンプルゆえにつぶしがきかない曲でもあります。

声を押したり硬くしたりしない状態で音を伸ばす訓練、音を大きくしたり小さくしたりという強弱を自在に操るための訓練、順次進行で特に下降系で音程が狂いやすいタイプの人への矯正の訓練として用いるとよいと思います。

ロングトーンではとにかく声を押し出さないこと、硬い声にしないこと、クレッシェンドとディミヌエンドの練習も含めて練習すると良いと思います。喉ではなく体で制御できるように訓練しましょう。

音程が狂いやすい場合、ソルフェージュ的な部分よりも、発声に起因する場合が多いので、押した声、硬い声にならないで歌えることを一番大事にすると良いと思います。できるだけレガートに歌うことを心掛けると、その部分が改善されやすくなると思います。曲はシンプルですが、テクニックを重視して歌うと、いい意味で結構疲れると思います。ここでの課題はよりレガートに歌う感覚をつかみやすくする練習になると思います。(♭Я)

 

A.1番に比べると、全音符で伸ばすことが多くなります。四分音符が連なっていると、リズムに乗りやすいので歌いやすいのですが、全音符は、伸ばしているときの拍感がないと、とても歌いづらいうえに、音も止まって聞こえ、息も流れにくいです。全音符の4拍分をしっかり息を流して、4拍カウントしながら歌うように心がけてください。ピアノの左手のパートを聞きながら歌うのもいいヒントになると思います。

楽譜には一小節の二拍目くらいにクレッシェンドの山が来ていますが、ここで山を迎え、そのまま減衰するよりも、意識は二小節目までつなげるようにしましょう。

二段目の3小節目から三段目の終わりまでは音楽がずっと順次進行でレミファソシドレミと上行します。意識をここまでつなげて、フレージングを作りましょう。4段目からは下降しますので、レガートで下降音を降りてきますが、4拍目の四分音符の音で止まらないように、動かしながら歌ってください。(♯β)

 

A.あえて楽曲構成からのアプローチにします。まずト長調なので若々しく歌わないといけません。一般的にト長調の曲は14歳の少年のイメージです。若々しさを助けるかのような低音のリズム。モデラート4分の4ですが、遅くなりすぎないように演奏するとよいでしょう。

ABA’の3部形式の曲は一般的に中間部「B」の部分を盛り上げて演奏するとうまくいくことが多く、この曲もそうです。念のため、Aとははじめの8小節、Bは次の12小節、A’は最後の8小節です。

AとA’がほとんど同じなのは通常の3部形式のセオリー通りですが、この曲の最大の特徴はAとBも実はほとんど同じということです。

それぞれの後半4小節がほぼ全く同じです。

またAの3、4小節目とBの3、4小節もよくみるとほとんど同じです。

曲が始まってから5小節目の転調がものすごくショッキングなはずなのに、3回やるうちに和らぐ、というのがこの曲のポイントです。(♭∴)

 

A.ロングトーンディミヌエンドを勉強する曲です。どちらもお腹での支えができていないと難しい技術です。2ついっぺんにやろうとすると大変なので、練習の際には、はじめは強弱を一切無視して歌うのがおすすめです。

上行するフレーズはたった2つの長い音だけです。長く伸ばすうちに、息が止まって推進力が失われないようにしましょう。prrrr(リップロール)で歌ってみたら、息が止まると失敗するので分かりやすいです。引っかからずにできたら、次は母音か階名で、音の変わり目で急いで次の音に行きたくなるのをグッと我慢してください。ギリギリまでその音を保って。

問題なくできるようになったら、強弱の課題に移ります。

まず意識していただきたいのは、ディミヌエンド(デクレシェンド)は「小さくする」であって「弱くする」と思わないことです。小さく絞っていくのにはパワーが必要です。「弱くする」も間違ってはいいませんが、弱くしようと思うと、息が止まって支える力も抜けて、身動きがとれなくなる人が多いからです。

いいディミヌエンドをするためには、フレーズ頭の短いクレシェンドを躊躇なくやりましょう。ここで声の照準を合わせないと、その後のコントロールが効きません。「どうせ後で小さくするし」と思わず、短時間で大盤振る舞いを、それさえ決まれば、あとはお腹を使いつつ絞っていくだけです。(♯∂)               [1906]