グレース・ノノ

川辺で誰かが気持ちよさそうに歌っている。瞬時にエネルギーを取り込み放つ姿、みえない力、なにかを交信しているかのようなスピリチュアルな様子であった。強い勢いのある声、男の人かと思ったが、女の人であった。
フィリピンを代表する国際的なシンガソングライター グレース・ノノという。
O D’wata Holi Kumudaung ディワタ神の恵みに感謝する歌。その朗々とした粋のある姿はかつて日本や世界各地を旅していた頃に耳にした、どこかのお祭りなど宗教儀式で歌う人々の力と重なる。
彼女の野太く高音まで自在にいけそうなパンチのある声はアメリカのロックなども歌わせてもきっとうまいだろうなとふと思った。たったひと声アーと歌われるだけで、心を掴まれる。
もともとフィリピン人は歌好きな国民だと聞いていた。7000以上もの島の中に言葉の違う民族が住み、300年以上のスペインの占領、その後のアメリカの占領下という運命を経て、芸術もそれらが大きく影響し、様々な音楽、歌声が生まれた。ここ数年ポップス、ロックなんでも歌えるチャリース・ペンペンゴやアーネル・ピエンダらが“東洋人が西洋人に負けないほど最高にかっこよくポップやロックを歌う”とアメリカやイタリアの歌番組でひときわ注目を浴びているが、グレース・ノノも80年代にアメリカン・ロックバンドとして活躍し、そのなんでも歌いこなせるパワフルな声で人気があったそうだ。
しかし、声、歌、音楽は想像以上に自らの存在をむき出しにする。そこから、彼女は、自分や自分の祖国に対して価値ある歌を学ぶ長い旅が始まった。自分の故郷、先住民マノボのおばあさんを歌の先生とし、天国から舞い降りた女神が人々に祈りをささげる物語など彼らの歌を学び始める。短い歌だが、聴いていても難解な歌で、歌の巧いグレースにとっても難しいようで、発音が違うなど指摘をされながら、馴染むまでに相当時間がかかっているようであった。「歌には魂が宿っていてそれを知ることができたのです」十数年歩きまわってきた今、インタビューで語る彼女には自然な説得力がある。秘境とも呼ばれるような地にひっそりと暮らす歌い手たちに出会い、先住民の神秘的な歌に価値を見出した。
映像の中に納められた村中の先住民たちが家に集まり歌う姿は、かつて日本のあちこちであったであろう風景であり、なつかしく、うらやましく思った。彼らの歌声を聴いていると、アジア、アフリカに広がる民族の特有の平たいような声をメインに使っている。しかしグレース自身も多彩な声を扱えるものの、基本的に使っている声は、太い声であり、おそらく彼女は平たく出すよりも、そういう丸く太い声を好んで出していると思われる。
アメリカ、西洋の音楽だけに傾倒すること、まねとすることを専門としなかったことは、客観的にみていても、心地よく、本当によかったと思う。いわゆるメインストリームからは外れてしまったのかもしれないが、祖国の歌を知り歩んでいる彼女はより大きく強く、アーティストとして、一人の人間として、より真理のようなものに近づいていると感じられる。