エディット・ピアフ

シャンソンの「アコーディオン弾き」、これはストーリー性に富んでいます。
「街の女の彼女はとても美人だった」から始まるように、
まず歌い手のスタンスは『語り手』として登場します。
歌というのは自分がなり切り歌うものと、こんな物語、こんな物語というように
三者的に歌い上げるものがあります。これは、語り手から入ります。
歌が進むにつれ、ストーリーが進んで行きます。

 彼女の彼氏はアコーディオン弾きだった
 ふたりはとても楽しいときをすごす
 しかし彼は兵隊にとられた
 彼女は彼が帰る日を夢見る
 結局、彼は死んでしまった
 彼女は彼の演奏していたホールにふらふらといくと
 そこでは別の人がアコーディオンを弾いていた
 彼女はアコーディオンにあわせて踊る
 蘇る想い出
 アコーディオンの音
 帰らない彼
 蘇る想い出
 アコーディオンの音
 帰らない彼……
 蘇る想い出
 アコーディオンの音……

『止めて』と彼女は叫ぶ、音楽を止めてと…。

この『止めて』のとき、ピアフは頭を抱え、顔をゆがめて、叫んでいる。
歌詞のストーリーが進むのにしたがって、ピアフもまた、
どんどん『語り手』を離れ『彼女』に同化していっています。
自分のものにしているわけです。
そして『止めて』のとき、完全に『語り手』ではなく、
叫び声をあげる『彼女』になっているのです。

だから、アコーディオン弾きの歌ではなく、ピアフの歌なわけです。

この歌にまつわるエピソードを一つ。
来日の際、ミルバが『ピアフ』をテーマにとりあげました。
この『アコーディオン弾き』も歌った。でも、ほんの一部だけ。
『止めて』の前までをすべてインストゥルメンタルで演奏し、
そのときミルバは舞台にはいない。そして、
ミルバは突然飛び出してくると『止めて』と叫び、以下を歌うという構成。

でも『止めて』とミルバが叫ぶと、ほとんどの客は笑った。
確かに、ミルバはいつも乗らない日本の客を喜ばすように、
ユーモラスな行動をとっていた。
多くの客はこの『アコーディオン弾き』の歌詞を知らなかったかもしれない。

だけど、何かがひっかかった。
『もしピアフが、同じことをしたとしたら?』
私は、客は笑わなかった、笑えなかった気がした。

ピアフとミルバ、何が違うのか。
ミルバの歌とピアフの叫びはやはり、対極的なものかもしれない。

ミルバはうまい、疑いもなくうまい。
しかし、ピアフはこの歌で『止めて』を叫ぶとき、その体に鳥肌をたてている。
全身が苦しみにもだえている。臓器をひきしぼって生まれてきた声だ。
ピアフにはアコーディオン弾きの恋人はいなかった。それなのに、
なぜ、ピアフは『彼女』になりきれるのでしょうか?
まるで、ピアフの恋人がなくなったように…。

ステージで、その「止めて」の一言は、
なり切ったのではなく、なっているわけです。
ピアフは「俺の靴に足を入れてみろ」というところにまで入れているわけです。
ピアフ自身が叫び、呼びかけているのです。(K)