美空ひばり

小さなひばりさんの体から、悲しみは涙と共に、喜びは笑顔と共に、
歌となって溢れ出してきます。
でも、その溢れ出す量が、今まで見たミュージシャンの中で
一番多いと言えばいいのでしょうか。いい言葉が見つかりません・・・。

そして、驚きや感動と同時に起こる拒絶感。
それがどこから来るのかというと、
たぶん“エンターティナーとしてのあまりの巧さ”と、
“感情表現の振り幅のあまりの大きさ”にあるような気がします。

“エンターティナーとしてのあまりの巧さ”については、
巧すぎて嫌味ったらしく感じるということです。
大人が何を喜ぶかを熟知していて、大人にとても可愛がられる子供がいますが、
それを第三者として見たときに感じる嫌悪感、それに近いような気がします。
その感情は、生理的な嫌悪感に加え、嫉妬等、
様々なものが混じっているのかもしれません。

“感情表現の振り幅のあまりの大きさ”については、
これが同じ人間かと思えるほど、感情表現がくるくる変わっていく点です。
涙を流して歌った直後に、輝くような笑顔で歌うとか、そういうところです。
そのギャップがふと信用できなくなり、恐ろしくなるのです。
無邪気で可愛く見えて抱きしめたくなったり、
母性を感じて抱きしめられたくなったり、そうかと思えば、ゾッとするような厳しさ、
怜悧さを感じて戸惑ったりと、感情的に振り回されてしまいます。

しかし、そのようなギャップや深みは、ある程度以上自分を高めた人は、
必ず持っているものだとも思います。実際に会った会ってないは別にして、
スポーツ界の偉人、経営者、ヤクザの親分など、
何か厳しいことをくぐり抜けてきた人に共通する私の印象は、
優しさ、冷たさ、甘さ、厳しさ、などがそれぞれ強烈で、
しばらく接していると、その人の人間性が分からなくなることです。
そこで考えるのは、人はいろんな苦労や経験を重ねていくと、
それぞれの感情が深く強くなっていくのだろうかということです。

ひばりさんのステージを嫌味ったらしく感じるのは、
私に苦労が足りないために、その感情の深さについて行けないからであって、
私がもっと様々な経験をして成熟した時には、もっとストレートに感動するか、
完全に拒絶するか、はっきりするということなのでしょうか。

どちらにしろ、自分の方向性を決めていく上で、美空ひばりさんの存在を
しっかりと自分の中で整理しないといけなくなったように感じます。
でも、ここまで凄いものを見せられると、
一体自分に何が出来るのかと投げ出したくなりますので、
もう少し美空ひばりさんという歌手について考察していきたいと思います。(1019)