ジェームス・ブラウン

ブラックゴスペルのパッショネイトの裏にある、辛苦と差別の歴史を、
島国のわたし達がとうてい理解できるはずはない。
力強い声も、超人的な筋肉やリズム感も、
その引き換えに神様が与えたのかもしれない。
ホントに深い悲しみや苦しみというものは、「聖者の行進」のように、
お葬式の内容でさえ、軽妙さとリズミカルさを生みだす。

教会を生活の一部とし、賛美歌で神様を思うことによって、
トランスレーション、麻薬のようにハイになれる彼らの歌を、
旅行みやげのまんじゅうみたいに扱っていいものか??
エスさまを身近に感じることはできなくても、
何かしらの神を自分の中に感じて、感謝や生きる喜び、
尊敬を持って捧げることは多少なりとも可能かもしれない。
また海の向こうの文化を何かしら感じることが出来るかもしれない。

4つの時に両親が離婚、売春宿で大きくなる。小麦粉の袋を衣服にして、
不適切だと学校から帰されることもしばしばだった。
15歳、盗みのかどで3年の服役。父と掘建て小屋にいた幼少の頃、
林の中でひとりぼっちの時を過ごし、誰も何もしてくれない。
何事も自分で切り開くものだというのをからだで知っていたという。

JBのショーの観客はずっと昔から総立ちで踊りまくっていた。
ヨーロッパツアーで初めてディスコという箱を見た時も、
さして気にとめてなかったし、根付かないと思ったという。
彼はディスコミュージックは、あらゆる音楽のつまみ食いだと語った。

黒人の子どもがドロップアウトせず、学校を続けられるようなキャンペーンを、
副大統領に働きかけ、自らラジオ局を買い取って行なった。
政治的発言で世間から虐げられた時代も経験。
命狙われるかもしれないのに、いまこれを歌うって使命感があったのか?
挑まれると強くなれるのか?

本名の自分と、「James Brown」という2人の自分がいて、

その虚構のイメージに追いつくべくやってきた。

James Brown」というもう1人の自分は、全くもって観客のものなのだという。

自分は決して“ジェームス・ブラウンさま”ではないと。


鏡の向こうのように俯瞰(ふかん)している。
ひとかどの人物やスターというものは、世の中に対して、
奉仕したいという願望を持っているものだ。
エンターティナーであり、政治的権力を握ることがなくても、
その思想や願いに確固たるものを持っている。

JBは運動神経バツグンだったらしく、
プロ野球選手やボクシングを目指していたようだ。
何より身軽で頭の回転が速かったんだろな。
あの魔法みたいな“WAO~!”って野性的な雄叫び、丈夫なんやなぁ~。
才能と引き換え、戦国武将のように、ヒトや世の中や多くの裏切りに会いながら、
満身創痍でまっすぐ進んできた。自分の王国も治めてきた。
そんな骨太のリーダーたちに社会はいつも支えられてきた。(pepo)