ジルベール・ベコー

私はこの人で、シャンソンに対する自分のイメージを根本から覆された。
フランスでは60年代後半、世界的な潮流だったロックが
他国ほど流行らなかった。
その原因はこの人にあったのでは、と言われているらしい。
ステージングからして、一般的に日本人がシャンソン歌手に抱くイメージとは
全然違う。確かにいつも紺のネクタイにスーツという出で立ちではあるが、
ピアノの鍵盤を叩きつけ、舞台を所狭しと駆け回り、
時に叫び倒したり、じっと観客を見つめて黙らせたり。

シャンソンカンツォーネと同じく仏語で「歌」という意味で、
特定のリズムとかコード進行を指すものではない。
現にベコーの歌っている曲のジャンルは相当多岐にわたっている。
確かに王道、いわゆる、というのもあるが、このビデオを観ただけでも、
ジャズからロシア民謡やゴスペル風、フォーク調など様々だ。
ベコーという一つのジャンルの音楽ともいえる。

どういう音楽をやってもブレないのは、その人の個性が揺るぎないからだろう。
ビデオは「旅芸人のバラード」からだったが、
ともかく手の動きとかも含めてしぜんであり、なおかつ強烈な印象を残す。
曲にもよるが、ベコーの攻撃的な歌い方、ステ―ジングは、
当時のシャンソン界では賛否両論真っ二つだったそうだ。
「扇動家だ」「歌手生命縮むぞ」と言われても、彼は自分を貫いた。
そのことを、結構私はカッコいいと思ってしまう。

そういう歌い方にもかかわらず声楽出身だったり、
オペラの舞台をつくったりもしている。その辺がよく分からなくて意外だ。
プロヴァンスの市場」という曲では導入部からマーチのリズムが入ってきて、
一旦ブレイクしてまた流れが変わる。その度に歌でも「変わって」いる。
特にマーチの所ではまさにたたみ掛け、街道でこれはどうですか、
こっちも安いよ、と八百屋さんが言っている感じだ。
声楽ではまずあり得ないだろう。

「せり売り」という曲ではそれがもっと極端になる。
ベコー自身「3通りの歌い方を1曲の中でしている」と言っているが、
バイオリンが早口言葉のように絡むのに合わせて、
ベコーの競売の早口語りが繰り出される。でもリズミカルだし、メロディもある。
リズミカルというのを、ベコーは「言い切り」で生み出していると感じる。
「チャーリー天国は無理さ」という曲は、パーカッションもコーラスも入る
楽しい曲だが、これはベコーの音程が高かろうが何だろうが、
言い切りまくる歌でないともたない。
やはりこの盛り上げ方は、素直にカッコ良いと思う。

「詩人が死んだ時」の曲では、ベコーはほとんど歌ってなくて、
お客さんに歌わせている。でも、凄く感動的だ。それが何故なのか。
お客さんとの場の形成も含めて舞台ということなのか。
私自身、発声でずっと悩んだりしているが、声が出たからといって、
それで舞台が成り立つ訳ではない。発声の仕方を変えたからといって、
それで持つほど歌の世界が甘いものであるはずがない。
一朝一夕で得られるものでないこと百も承知で、必死でなければ。
ベコーのように自分のスタイルを持ち潔くありたい。(407)