レイ・チャールズ

1930年にアメリカ南部の黒人に生まれるというのは、何を意味するか?
差別と貧困のなか、6歳の時緑内障を患い、7歳にして完全に視力を失う。
5歳の時弟が溺死、14歳にして母を失い、15歳で父とも死別。
自立を否応なしに迫られ、シアトルに渡り、音楽のキャリアをスタートさせる。

幼少の頃隣家はジュークボックスを置いているような店を営んでおり、
ショーマンシップ溢れるジャズやブルースシンガーに心酔する。
また足しげく教会に通い、ゴスペルに親しむ。
ゴスペルを礎に、R&Bやカントリーに自身の色づけ“聖と俗”を融合、
彼の生み出した音楽は“ソウル“と名づけられる。独特のスローテンポ。 

貧しさと孤独にあえいだ青年は、20代の終わりには、
アメリカのトップスターに登りつめ、高級自家用車に自家用飛行機も有していた。
精力的に仕事をこなし、数々の女性と浮名を流し、
薬物中毒に10数年苦しむことになる。いま生きていることが奇跡だという。
当時はそれこそ命が首の皮一枚でつながっていたと。

40年のキャリアを過ぎてなお、1年のうち10ヶ月をツアーで過ごす。
今までずっと好きなことがやれて幸せ、感謝している。
コメントを述べているミュージシャンがいうには、
アメリカ人はみなレイのように歌いたいという。
彼の声には、古い金管が通っていて、あらゆる感情を表現できる音色があると。
ニュアンスや音色を聞き分けられる耳を持つ民族。
“音楽“として評価することのできる人たち。

日本だったら、レイのような盲目のミュージシャンが、
若者を熱狂させる(ど真ん中の)スターとはならなかったに違いない。
また歌唱表現の裏に隠された生い立ちや、
苦難や迫害の歴史の上っ面をなぞっても、
何も分かりはしないかもしれないということを、心しないといけない。
恋の歌も、真意は実のところ人種差別を歌っていたりする・・・。

イメージ豊かで独特の音楽的解釈を施すことのできる天才。
体を揺らしながら、個性的な歌唱スタイル。興味深かった。
幼少から音楽と密接に過ごた体験の豊かさ、
否が応でも自立を迫られて始まったキャリア、辛苦を舐めた人生。
孤独も自立も絶望もないところで、ぬくぬくと同じ表現ができるのか。
作品のバックボーンへの配慮や、敬意が必要だ。

“スタイル“というのは、個人のソウルを通して体現したとき、
たまたまそういう形になったもので、
形だけ真似れるものじゃないのだろう。(551)