セザリア・エヴォラ

西アフリカ島のカボ・ヴェルデ共和国という小さな国の
「モルナ」という音楽ジャンル(?)の歌い手。
60歳位で、フランスで火がつき、世界の市場にデビューしてから
まだ10年余りだそうだ。
ブエンナ・ビスタのキューバ「ソン」のイブライムやコンパイもそうだが、
植民地の頃は、夜の街も賑やかで仕事も多かったが、
共和国になったり、革命後とか独立後、生活に苦労するケースはよくあるらしい。

セザリアは裸足ですっくと立っていた。
彼女の国の歌は、とても哀愁の感を起こさせる。
彼女の何がすごいかっていうと、とにかく、何もしていない!
歌らしいことは何もしてない。
左手にハンドマイクを握ったら、握ったまま、反対の手をあげることもしなければ、
悲しそうな、嬉しそうな、日本にはびこっているような、
借り物の、形骸の、演劇じみた表情は一切しない。

「ようこそおいで下さいました。サンキューベリーマッチ」風の愛想も一切なし。
曲の最初から最後まで全部自然な地声。
ファルセットだの声楽のなんとかいう技巧も、或いは逃げも一切なし。
彼女にとって高そうなキィも、低そうな音も一切なし。
すべて同じ状態で引き受け、音声ですべての情感を表現していた。
予備知識全然なかったに関わらず、不思議な感動が沸き上がった。
繰り返しの時、音楽のリフレインって、何て気持ちいいんだろうと思った。

声ひとつ引っさげて諸国漫遊できる人だ。両手を合わせて(心の中で)拝んできた。
途中、小休止のバンド演奏の時、テーブルに腰掛けて、タバコを一服し始めた。
アメリカや日本のショービジネスだと、そうすること自体演出であったりするが、
ホントそれが習慣、生理的な欲求なのだ。あまりに自然体なんで笑えた。面白い。
ボサノバみたいに表面さらっとしてて、水面下に支えるテンションを要する音楽。
間奏で外人のカップルが踊っていたのを、タバコをくゆらしながら満足げに眺めてた。
アレくらい何もせず表現できたらいい。

こんど生まれてくる時は、南の国で、10人くらい子供を産んで、大きいお尻をして、
家族そろった時には、五枚重ねのパンケーキを嬉しそうに食べて、
いつも歌を口ずさんで、ゆれててっていうのもいいなあ。
去っていく後ろ姿は、何者も恐れていない迫力満点のおかーちゃんだった。(M)