V032「ギターよ静かに」ニコラ・ディ・バリ

1.歌詞と曲と演奏など

(ことば、ストーリー、ドラマ、情景描写、構成、展開、メロディ、リズム、演奏、アレンジなど)

2.歌手のこと

(声、オリジナリティ、感じたこと、伝えたいこと)

3.歌い方、練習へのアドバイス

 

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1.タイトルどおり、ギターの伴奏で静かに始まる曲ですが、意外に、「A,A,A,B,B,A,B',B',」という、大きな構成の曲です。淡々と始まっていく曲なので、繰り返されるAの部分に、自然に引き込まれていくうちに、その魅力にハマってしまいます。

A部分は、低い主音の連続などから始まる安定感から、順次進行的な動きへと続く、綺麗なメロディーラインです。その後の第六音周りで、不安定感をかもし出し、さらに、分散和音的な動きで、ドラマの始まりを感じさせながら、低い主音に戻り、安定します。

これを3回繰り返してから進むBは、第六音から高い第二音への跳躍から、順次進行に近い下降音型に続き、次は高い主音への跳躍から、同様に順次進行に近い下降音型に。更に第七音への跳躍から、順次進行に近い下降音型で、第二音で不安定に終わり、同じ形を繰り返します。

最初のAを歌った後の、B'は、B同様、高い第二音、高い主音への跳躍から下降音型までは同じで、その後が、第七音の連続から高い第二音まで上がった後に、下降音型になり、さらに盛り上がりを見せます。

 

2.癖の有る声で、ややだみ声です。また、響きが磨かれていない、あるいは響きがほぼ無い感じの、よく言えばオリジナリティ溢れる、味のある声です。

 

3.歌い方は、気持ちの込め方など、とても参考になりますが、声は、なるべく真似しないようにしましょう。

(♭Ξ)

 

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  1. 失恋の歌ですが、メロディは甘く声を張るところもしっかりとあるのは、カンツォーネ的というかイタリア的な曲という印象です。Aメロとサビの差が大きい曲なので声の力が必要な曲です。

 

  1. とにかく美声の歌手です。甘い声の部分では軽い声で、決めるところは力強い声で、そしてそこにいくまでの盛り上がり方も力づくでなくナチュラルさをキープしたまま。イタリアの伝統的なベルカントな声という印象です。

 

3.個人的には、この曲そのものよりも二コラ・ディ・バリの歌声こそがこの曲の真価なのではと思ってしまいます。彼のための曲といってもいいくらい、彼の声のよさが際立っています。この曲を学ぶ上ではやはりレガートでイタリア語を紡ぐということを念頭において練習する必要があります。そして音色の明るさと支えでしょうか。明るさと浅さ、薄さが同じようになる人もいるのですが、しっかりとした支えがあってはじめて明るい声とレガートは同居できます。(♭Σ)

 

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  1. イタリア語による歌詞は、主人公の男性が恋人への想いに揺れ、その葛藤するさまが描かれた内容です。ギターを弾きながら相手を想い眠れない夜を短いフレーズで上に下にと音が動くことで、サビでは恋人と別れてしまうのか、どうなのかと葛藤するさまを長めのフレーズで下行形の音が波のように何度も畳み掛ける、そのことで、歌詞の内容をメロディがとてもうまく描写されています。

 

  1. 語るように歌う部分と、感情を乗せて伸びやかな声で歌う部分とのメリハリがしっかりとあります。それは無理な音楽表現ではなく、歌詞に沿ったものでいたって自然な流れであり、すんなりと歌が耳に入ってくるのです。

 

  1. 旋律だけ見れば大きな音の飛躍はなく、むしろ同じ音が続く部分(出だしはレレレレレミ ファレレ

レレレミファ)が多い曲です。このような場合は、歌詞をつけたときにメリハリに欠けやすい、単調な歌になりやすいという傾向があります。

例えば、出だしの「Chi-ta-ra(音はレレレ)」は音符は同じ長さですが、厳密にはレレレを均等に歌うわけではありません。発音のアクセントは2音節目にあるので、実際に歌うと2つめのレが少し長く3つめのレは少し短くなります。(二コラの歌唱もそう聞こえます。)正しい位置のアクセントで発音すると、自然とそうなります。ゆっくりめに、アクセントを意識しながらの発音練習を取り入れると格段に歌いやすくなります。(♯α)

 

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  1. 少々抽象的な表現ではありますが、慕う気持ちはありつつも別れを告げなければならない、その苦悩…、そんな愛しい人への思いをギターの音色に乗せて届いてほしい。そのような内容の曲です。

 

  1. 語り方がとても上手だと思います。切ない感じや思いを歌い上げる部分など、さまざまな色合いをもって歌っているのが印象的です。どのように語るとどのように聞こえるのかということ、言葉の溜め具合、緩急などのスピード感などを参考にしてみてはいかがでしょうか。

 

3.まずは、イタリア語を繰り返し読む練習から始めてみるとよいでしょう。そして、詞の内容を表現できるように語ることを繰り返し、詞から受ける印象を自分なりの語り方で表現できるように練習してみましょう。切なさやていねいに伝える部分、強く思いを訴える部分など、いろいろな語り方が必要とされる曲です。語り方に変化がなければつまらない曲に聞こえてしまうので、自分の言葉でどのように語るかをよく研究してみるとよいでしょう。(♭Я)

 

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1.静かなギターのイントロから始まる美しい歌です。しかし、いくつかの点で変わっています。まず構成:Aメロ3回→サビ2回→Aメロ1回→サビ2回です。Aメロを2回ずつにした方が構成的には普通でしょう。さらに、最後に「L'ora」とサビの一事目だけを叫んで終わります。あまり見かけないですよね。またコード進行:I(ドミソ)→III(ミソシ)→II(レファラ)→V(ソシレ)なら普通のよくある進行ですが、ここではIIの代わりにドッペルドミナント(レファ(シャープ)ラ)が使われています。さらにVの後にIV(ファラド)が来るというのも変わっています。コードの「不自然さ」が狙いであるように思います。

 

2.語りかけてくる歌唱。歌うというより言葉を置いてくる印象。それがサビになるとダイナミックに体に刺さるように歌ってくる、この変化が聞きどころです。

 

3.はじめは語るように静かに、サビは思い切り朗々と歌う、という広いダイナミズムの練習ができる曲です。まずは歌いだし、伴奏が薄いところのヴォーカル、特に息をよく聞きましょう。伴奏とも微妙なずれも聞き逃さないようにしましょう。よく聞いてからまずは息でフレーズコピー、そのあと声も出してみましょう。同じようにサビの部分もやってみます。自分で体験してみると、語ることも、朗々と歌うことも同じで、ベースには深い息が必要であることがわかります。(♭∴)

 

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  1. 愛する人への秘めた思いをギターに託して歌う。西田敏行さんの「もしもピアノが弾けたなら」をイメージしていただくとテーマが理解しやすいと思います(もっともこの歌の主人公はギターが弾けるわけですが)。カンツォーネには珍しく内向的な歌で、どこかシューベルトの歌曲を思わせます。ギター一本で静かに始まる伴奏に、次第に控えめなオーケストラが加わっていく構成です。

 

  1. ニコラの歌唱は、一語一句間違わずに書き取れるぐらい言葉が明瞭であるのに、連綿と息が流れているのがよくわかります。どのトレーナーも口うるさく言っていることの一つの理想形だと思います。

大きな声を出さなくても素敵な歌は歌えるのだという好例です。

 

3.ギターが弾ける人は是非弾き語りにチャレンジしていただきたい歌です。歌と同じぐらいギターが語る曲です。弾けない人もよく伴奏を聞いて、共に歩くようなつもりで歌ってみましょう。冒頭は強く息を使わず、しかし息交じりにささやくように練習すると、ちょうどよい力加減が見つかると思います。(♯∂)

 

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「福島英のヴォイストレーニングとレッスン曲の歩み」より(https://www.bvt.co.jp/lessonsong/

 

歌声というのをわざわざつくって、それで歌うのは、一つの方法です。日本ではそこで認められてしまうので、言葉のレベルに歌が処理されていない苛立たしさがあったのです。

私は日本人の言語音声力を高め、そのままメロディを処理して歌に入りたかったのでしょう。国際レベルで一流といわれる歌や、民族音楽のようなしぜん発生的な順序を踏もうとしたのです。

発声やヴォイストレーニングを学びながら、それを同時に否定する、つまり、技術などは見えてはならない、消化され、身についていなくてはいけないのに、それが見えるのは中途半端な完成度でしかないからです。そんな簡単なことさえ、わかる人が少ないのです。

 そこで、1オクターブの歌をいろいろと探したわけです。それなら、音域に苦しまないというか、高低を意識せずにアプローチができるはずだからです。1オクターブの歌というのは、曲だけでは、盛り上がりにくいから難しいのです。誰でも歌えるし、初心者向きに思われていますが、名曲中の名曲しか残りません。逆にプロでも、本当の表現力が問われるので、一石二鳥なのです。

 つまり、誰よりも大きな声や高いところを出せるなどというのは、何のメリットでもなく、誰でも歌えるところで、誰もできないオリジナリティを出すことこそが、ヴォイトレの究極の目的なのです。そのために、体、呼吸、発声、共鳴、さらに歌い方は、人並みではこなしきれないために、必要性が生じ、トレーニングとなるのですから。

 

 冒頭の「ギターよ、あの人に伝えておくれ、涙に」 これでほぼ1オクターブあります。つまり、欧米人は、会話の中で1オクターブを使っているために、歌でその1.5倍くらいは、言語レベルでこなせるわけです。(大きなイメージが入っているからこそ、テンポを落としても小さな声にしても、充分に歌がスケールが保てるのです)

ところが、私たち日本人が、この1オクターブを語ろうとすると、歌ってしまわざるをえないのです。というのも、子音に母音で1文字となる、間延びせざるを得ないから、ビブラートで歌を表現として保たせる術が、やたらと取り込まれてきました。つまり、ポップスを声楽家が主導した影響に加えて、安易にビブラートをかけることで歌らしく歌をしてしまい、本当の表現力を弱めたのです。

 それを戻すには、まず言語として表現しておくこと、それをことばの意味の力に頼らず、強弱という楽器レベルで音声伝達力を確保させること、次にその変化の一つとして、メロディがあるくらいに捉えることです。つまり、メロディを歌って、そこに言葉をつける日本の音楽教育が形をつけさせたことと全く逆の方向から身(実)を入れていくのです。

 

 ささやくように、あるいは語るように歌えるのは、ハイレベルな課題です。声楽で声が自由になっても、日本語の性格上、どうしても歌ってしまうのです。いわば、小さく語って、音楽にのせることができないのです。

 これは、発声よりも音楽センスと自分の声への徹底した理解と使いこなす力だとわかったのは、あとのことです。声量や声域があれば、問題が解決するというのは、ヴォイトレに入った人の陥りやすい罠といえましょう。もちろん、発声こそがそういうギャップを埋める効率的なトレーニングだからこそ、ややこしいのです。

 

 私は、今でもウィスパーヴォイスやハスキーな声で歌わせるような教え方は、是認しません。ビブラートのかけ方なども、ヴォイトレでは邪道と思っています。

 基本はしっかりと声を出せること、本人の声の可能性を目一杯、広げていくことです。その上である程度、タフになればその使い方は、再現性を損ねなければ、本人の表現上の必要性が生じ、変じればよいのです。

 ところが、器がないから技術に頼らざるを得ない日本では、プロやトレーナーほど、大きな勘違いを起こします。誰かのをまねてかっこよく計算して、音響の調整でカバーしてしまうのです。それは、自力の可能性をつきつめて限界をみてから、まさにカバーするために行うべきことです。しっかりしたヴォイトレもやっていないのに、そこに走るのは、より大きな可能性への自殺行為です。

 ただ、シンガーソングライターとなると、作詞作曲の能力とトータルで、声も微妙にセンスよくみせる術で、ヒットさせられる人がいます。こういう人は、本人とファンにはよいのですが、国際レベルでは認められないから、見本にはとらない方がよいのです。その人はその人で、そういう世界を認めさせられたのだから、それを実力として、私はよしとしますが。