V026「愛は限りなく」  ジリオラ・チンクェッティ/ドメニコ・モドゥーニョ

1.歌詞と曲と演奏など
(ことば、ストーリー、ドラマ、情景描写、構成、展開、メロディ、リズム、演奏、アレンジなど)
2.歌手のこと
(声、オリジナリティ、感じたこと、伝えたいこと)
3.歌い方、練習へのアドバイス

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1.原語と日本語の歌詞では、かなり意味が違っています。もともとは、歌詞も曲も、ドメニコ・モドゥーニョの作で、神に対する、愛の曲です。日本人には、なかなか理解しにくい内容なので、日本語の歌詞は、男女の悲しい恋の曲を連想させるような、言葉が並べられています。
音域が広めで、低い主音から高い第五音までの1オクターブ半あります。高い第五音がロングトーンで使われるのはもちろんですが、低い主音も、一瞬使われるわけではなく、八分音符4個連続に続けて四分音符3個分のロングトーンを出さなければいけないので、それなりの充実した声が出せないと、歌いにくい曲です。
さらに、高い第四音・高い第三音・高い第二音それぞれのロングトーンも、繰り返し出てくるので、その辺りをわりと楽に出せるキー設定にしなければならないので、ますます広めの声域が必要になります。

2.ジリオラ・チンクェッティは、日本でとても愛された歌手ですが、艶と張りのある声で、息混じりの声もうまく、歌詞の内容を知らなければ、悲しい恋の曲だと連想してしまいます。
ドメニコ・モドゥーニョは、楽に歌いこなしていますが、曲の内容を知らずに聞くと、ジリオラ・チンクェッティの方が、胸にせまるものがあって、好感を持ってしまいます。しかし、歌詞の本来の内容を考えると、彼の歌い方が、本筋だろうと感じます。

3.音域は1オクターブ半ですが、わりとしっかり出せる低音から、2オクターブ近く声域がないと、楽には歌えない曲です。幸い、同音連続が多いので、声を充実させる練習には、よいかもしれません。
歌い方は、本来の、神への愛の曲として歌うなら、ドメニコ・モドゥーニョのようにやや客観的に、男女の恋の曲として割り切って歌うならジリオラ・チンクェッティを参考にするとよいでしょう。(♭Ξ)

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1. 「Dio come ti amo」という何度もくりかえされる言葉がとても印象的な歌です。カンツォーネというよりもイタリアンポップスらしい曲といってもいいかもしれません。メロディもリズムも現在のJポップスや韓国のポップスほど細かくありませんが、だからこそ声の力が必要な曲です。

2. チンクェッティは声をはる場所、そうでない場所で歌い方、声のニュアンスを明確に分けているのに対し、モドゥーニョは最初から最後まである一定の声の質を保っているのが一番の違いです。
どちらが音楽的かと聞かれたら、チンクェッティです。どこか息交じりの声から、サビでの強烈な声へのもっていきかたはとても素敵です。その対比があるからこそ、より声の強さが際立つ部分も好感がもてます。
しかし、声の技術でみるならばモドゥーニョをおすすめします。なんといってもイタリア語のレガートが美しいです。子音が母音と母音の流れを阻害せずつなぎの役割をしている。これは、とても高度なテクニックです。これができないとレガートにはなりません。ある一定の声をキープして全音域を歌いきれるのは声の基礎力が高い証拠です。

3.正確にリズムを練習するというよりも、言葉のどの母音が伸びているかを正しく理解する必要があります。その伸びた母音の箇所が言葉に意味を込めて、音楽をつくっているからです。
長母音と呼ばれる母音の形ですが、ここがしっかりと伸ばせて、支えられないと声も音楽も貧弱になってしまいます。(♭Σ)

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1.歌詞はイタリア語で歌われており、原語の曲名は「Dio come ti amo」で直訳すると、「神よ、あなたを愛している(どんなにあなたを愛していることか)」となります。歌詞の内容は神への想いを歌ったもので、短調の旋律に乗せて演奏されています。
男女問わずに選べる曲ですが、人間の恋愛や愛の歌とは違うので、歌詞の発音を真似して歌うだけでは表面的な演奏になりかねません。演奏にあたっては、歌い手がしっかりと歌詞に向き合い、内容を自分なりに掘り下げる作業が必要です。

2. チンクェッティは語るように歌うので、言葉も旋律も流れるように耳に入ってくるという印象で、声にメリハリもあって聴き入ってしまう表現だと感じました。
モドゥーニョは、何となく誇張しているような感じを受けます。子音を強調していることやフレーズを短く切ることが、聞いている人にもウッと息が詰まる感覚を与えます。苦しいほどの神への想いをそこに出した表現かもしれません。個人的にはチンクエッティの表現の方が、この曲にはしっくりきます。

3.子音Vが多く出てくるので、子音Bにならないよう、ていねいに発音練習をしましょう。子音Vは下唇に上前歯が当たった状態で息を吐き、それが有声になったものです。子音Bとは、かなり発音の仕方が異なります。
歌いながらではなく、まずはリズム読み(音程をつけずにリズムに合わせて歌詞を発音する)で練習することをおすすめします。
また音が高くなり盛り上がる部分で、もしも息が続かなかったり喉に負担を感じる場合には、無理せずに「che vanno verso il sole(v)chi può cambiar l’amore」「un bene cosi vero (v)chi può fermare il fiume」このようにchi~の前にブレスを入れるといいです。息が足りている状態でしっかり歌い進めた方が、発声としても安全で表現もしやすくなります。(♯α)

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1. 内容としては、際限ないほどの「愛」を訴えかけるように歌われた曲です。日本人の感覚からすると少々難しいかもしれませんが、イタリア人ならでは、の募る「愛」を切々と訴えかけるようなニュアンスで語られると、聞きごたえがあるのではないでしょうか。

2.チンクェッティは、一見、丁寧に「詩」で語るようであり、表現豊かな印象を受けますが、表現に寄りすぎた結果なのか発声的には少々息もれが多いような印象も受けます。モドゥーニョと比較すると、これでも少々歌いすぎているのかもしれません。
モドゥーニョは、チンクエッティに比べると、より語りの要素を重視した印象を受けます。語りの土台に節と音がついたような印象です。これらが融合した結果、歌に聞こえるという印象です。

3.まず、内容の解釈ですが、「Dio」とは直訳すると「神様」、「ti」は「あなた」という意味で、「神様、あなたを愛しています」と訳してしまうと、おかしなニュアンスになってしまうように思います。ですので、「Dio」は感嘆詞的な意味合いで解釈するのが自然ではないかと思います。基本的に愛を切々と語っている歌ですので、詩から湧いた印象の「愛」を訴えかけるように語れるかというのが、土台として大事になるのではないかと思います。(♭Я)

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1.かなり難しい歌詞だと思います。日本語訳を読んでも、失恋なのか恋愛中なのか。イタリア語を直接見ても抽象的でわかりにくい。このような曲を歌うときには、強引でも構わないから自分のイメージでストーリーを作ることと、逆に単語ごとのイメージを伝えていこうとすることです。
アレンジに関しては、以前聞いたことのあるものは、リトルネッロがもっと激しいものでした。今回のように淡々と続くアレンジもいいと思いました。今回の2人のアレンジは似ていますが、よく聞いてどこが違うか聞き取っていくのも楽しいでしょう。

2.どちらの歌手も、拍からいかに自由になっているかを聞き取ってください。伸ばすところを長くしたり、入るタイミングをずらしたり。ぜひ伴奏の基本のリズムを手でたたきながら、歌を聞いてみてください。
チンクエッティは、たんたんと言葉を置いて行っている印象。サビのクライマックスでは、伸ばしている拍を2拍ずつ省略していて(伴奏も)変拍子のようになっています。
モドゥーニョは、伴奏まで変えてしまってはいませんが、普通に流し聞いていては追えないほど、伴奏とずれています。この抜群のリズム感と歌いこむ熱い歌唱がモドゥーニョの魅力だと思います。

3.語りのまま歌にする曲だと思います。地声やせりふの声はよいのに、歌になった瞬間、固まってしまう方がいます。そのような方はこの曲でイタリア語の音読(ローマ字読みで構いませんので)から歌にしていく感覚を身につけられるといいでしょう。(♭∴)

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1. 神への愛を歌った、カンツォーネによる讃美歌。この世界のさまざまな美しい風景から感じる畏怖や感謝の念を、跪いて歌い上げるような内容。作曲者のモドゥーニョ自身が歌っている録音のアレンジは、ギターを中心とした簡素なオーケストラ。クライマックスではスペイン風の雄々しいリズムが急き立てます。

2. チンクェッティは息交じりの柔らかな低音域から、艶めくしなやかな中音域にシームレスに変化していくさまが、とても美しいです。神への愛というよりも男女の愛を思わせる歌い方で、振り向いてくれない恋人に縋りつくような表現に聞こえます。
モドゥーニョの歌唱は、子音によるタメの使い方がリズミカルで印象的です。子音を鋭く立てる訳ではなく、ゴムのように強靭に使っており、マッチョな語感です。

3.大いなる存在の足許にひれ伏すというカトリック的な感覚は日本人にはなじみが薄いため、こういう歌を歌うと卑屈な感じになりがちです。小さな自分が大きな愛を見上げているのですが、彼らは自分が大好きです。この「自分が大好き」という感覚が抜け落ちないようにするといいと思います。技術的には、大きな単位で捉えてゆったり演奏するように心がけると歌いやすいと思います。(♯∂)

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「福島英のヴォイストレーニングとレッスン曲の歩み」より(https://www.bvt.co.jp/lessonsong/
21.ジリオラ・チンクェッティ「愛は限りなく」

ヒットを連発、16歳でのこの歌唱力は、天才としかいえません。
 「夢見る想い」は日本語版もあります。伊東ゆかり弘田三枝子がカバー。「ナポリは恋人」弘田三枝子のと比べましょう。リズムに注目。
 他にチンクエッティの代表作は「ローザ・ネーラ」「雨」「落葉の恋」「薔薇のことづけ」「太陽のとびら」と美しいメロディが並びます。

  出だしの部分を、イタリア語で歌ってみて日本語で置き換えていく、日本語はセリフとして読んでみて仕上げてから、入ってみてください。
「雲が流れる空をあなたの胸の白いハンカチのようなその白さが胸に染みる」
 この白を重ねていくのがポイントです。

 またサビの展開構成のところは、とても勉強になると思います。