No.374

「きたきた捕物帖」宮部みゆき(本)

日頃、フィクションものはあまり読まない。途中から、肩透かしをくわされた気分になることが多いからだ。けれど、これは一気に読んでしまった。主人公の北一は、冴えない男だ。気が弱い、嘘がつけない、こちらがしっかりしなさいよ!と、声をかけたくなる。それが、なぜか、多くの人に助けられ、事件が解決していく。続きを読まずにはいられない、こんな気持ちになるのは、書き手に力があるからだろう。歌でも、こんなふうに、聞かずにはいられないみたいな、吸引力があると、素敵だと思う。

 

「人はどう死ぬのか」久坂部羊(本)

死ぬときはあまり苦しまずに人生に満足を感じながら、安らかな心持ちで最期を迎えたい。できれば、人工呼吸器や酸素マスクやチューブだらけになって、あちこち出血したり骨折して最期を迎えるのは避けたい、と思っている。この本は、何人も看取った医師が、忌憚なく思うところを書いているので、きれいごとではない真摯さが伝わってきて、好感が持てる。私は以前、父を看取った際、容体が急変しても救急車を呼ばず、在宅医に連絡するように言われていた。その意味が、本書でよく分かった。病院は、治療する場所なのだから、死期が迫っている高齢者といえど、救急車で運ばれてきたら、X線検査、CTスキャン、血液検査、点滴、酸素マスク、気管切開。心臓が止まれば気管内挿管して人工呼吸器、カウンターショックと心臓マッサージ、強心剤投与などの医療行為がなされ、それは死にゆく人に苦痛を与えることが多いからだ。死を考えると、縁起でもない、と言われそうだけれど、人は必ず死ぬのだし、思い通りにならない人生としても、死に方くらいは自分で選びたいものだ。できれば、畳の上で死にたい。成り行きによるけれど、病院の見知らぬ医者に看取られるよりは、在宅孤独死がいいなと思っている。本の終章近くに、「コロナ禍で露呈した安心への渇望」という一文があり、思わず膝を打った。人は安心したいのだ。だから政治家も、安心して暮らせる社会などと言うのだ。安心できる言葉を聞きたい、と思いすぎるとフェイクニュースに飛び付く危険もある。肝に命じておこうと思う。

 

「言葉の花」サヘル・ローズ(本)

本当の悲しみを知っている人は優しい。著者は絶句してしまうような経歴の持ち主だ。彼女の養母も然り。経歴の下りだけでも圧倒されてしまうけれど、他者への眼差しにハッとさせられる。彼女は言葉が表面の意味だけではないことを知っている。だから、難民キャンプの子供たちが発する「I Love you」が、愛を求めている言葉なのだと、すぐにわかり、受け止める。私は、I love youは結果じゃない、他者への働きかけなんだということが、若いときには分からなかった。だから改めて思う。言葉は報告するためだけに使うんじゃなくて、働きかけるためにも使わなきゃ。

 

「犬王(アヴちゃん) 」(アニメ映画)

小説からのアニメ化で、主人公が室町時代能楽師の話であるが、映像やライブ演出がアニメならではの世界観を上手く活かしていて素晴らしかった。

何よりニューハーフの歌手アヴちゃんの表現が、伸びやかで、表現力豊かで自由に歌う声に感動しました。

 

「マスク用インナーフレーム」

使用したところ、十分に口の開閉ができた。

マスクはただ、布や紙であるのに、口の開閉においては障害になっていて

ほんのこれっぽちに影響を受けていたと自覚した。

マスク生活となり、各所で表情筋の衰えやたるみなど耳にしてきたことに半信半疑であったが、納得してしまった。

 

「火門拉麺」(ラーメン屋)

縁があって行くことになった。テレビで有名人が食べにきたお店らしい。人気のあるという胡麻坦々麺はすごく濃厚で初めての経験であった。豆乳みたいな感覚。六角が入っていると聞いて不安だったがアクセントとして味わえた。バランス次第では、どんなものも使えるんだなと勉強になった。

 

藤圭子さんの唄」

このコロナ禍の巣ごもり生活で多くの人の人生が激変したと思いますが、私にとってこの二年間(家に居るしかない)は、実に有難いプレゼントでした。

今さらにこれまで演奏して来た曲の楽譜を整理したり、SP版レコード等の古い音源生活を統括することができ、これからの10年をどのように勉強して行けばよいのかという指針を整理することができました。自分のジャンル以外の音楽もたくさん聞きました。今はYouTubeという大変便利なコンテンツがあるのであらゆるジャンルの声の表現を聞くことができます。

最近の一押しは、藤圭子さん、特に北島三郎さんの前でギターの弾き語りで唄う北島三郎さんの持ち唄「兄弟仁義」はすばらしい。今はAI音声花盛りです。それらの技術が遠くおよばない「サワリ」のついた声のすさまじさを見ることができます。

ミーシャがゴスペルで育ったのなら、藤圭子さんは浪曲で育っている。

次の時代には人のやっていないことしか世に出れないとすれば藤圭子さんの声の中にすばらしい鉱脈がねむっています。