荒井洸子(シャンソン歌手)

ミュージカルの舞台を連日同じテンションで続けること自体があの年齢になってくると体力が必要とされること。彼女は続けてきた。例えば38年間「屋根の上のヴァイオリン弾き」に出演し続けてきたらしいが、年齢を経て配役されるポジションも変化してきた。
ミュージカルの世界だけでなく、シャンソンの世界でも彼女は自分のポジションを持っている。それは、「やり続けてきた」人だけが持つポジションだ。初めて東京へ出てきた時千駄ヶ谷の旅館に住み込みで働き始めたという。彼女は言う「美人でもなく声がよくも
ない私は、歌える場所では常に歌い続けてくるしかなかった。だから今がある」。今現在でもミュージカルの公演中はもちろん、舞台の千秋楽の打ち上げの後でもシャンソンのライブ出演の仕事を入れている。彼女の歌うシャンソンは他の日本人シャンソン歌手の歌唱とは一線を画している。歌う場所の大小に関わらず、言葉が前に前に飛んでくる。演歌のようなうなる音も多用する。しかしメロディにブレはない。今の由紀さおりの線を描くようなフレーズにも似ている。日本のシャンソンの歌唱方法などについて言及はここではしないが、荒井洸子の歌は言葉を飲み込むことはない。しかしだか
らといってそれはミュージカル的歌唱とも違う。日本のミュージカル的な歌唱の中でも荒井洸子は別個のところにいる。綺麗に粒をそろえることや響きをあわせることが要求されるミュージカルで、彼女の声は混ざらない。誰しも若い時よりも衰えてきたり、癖がついてきたりするものだが、彼女の歌が変わらないのは、聴く側から好き嫌いが大きく分かれる賛否両論な点だということだろう。そして60を過ぎた今でも新しい曲をレパートリーに入れ続けるヴァイタリティ。一昔前にはこういう人が映画界等にも、たくさんいたに違いない。歌唱だけではなく彼女のキャラクターも、いまやなくなりつつある義理人情・雷親父的ヴァイタリティにあふれている。この世代がいなくなる前に学んでおくべきだ。