レナード・コーエン

レナード・コーエンに憧れるボクは歌が下手だ。ハンサムではない。言葉に自信がもてない。いまだ恋に焦がれる。社会では異端者だ。電車に乗っているだけで窒息しそうになる。誰かを憎んでいるわけじゃない。でも時折消えたくなる。どうにもならない自分。どうすればいいのかわからない自分。どうにかしたい自分。やはりどうにもならない自分。
レナード・コーエンは歌が下手だった。いい顔だが美形ではない。詩人だが食えなかった。恋ばかりして鬱になった。五十代でようやくチャートインだ。かなりの異端者だ。きっと街を歩いているだけで窒息しそうになっただろう。もちろん誰かを憎んだわけじゃない。
きっと憎んだのは自分自身だ。どうにもならない自分。どうにもならない人生。どうにもならない世界。やはりその真ん中のどうにもならない自分。
だから彼の歌は技術ではない。愛という言葉をどう囁くかだ。肉からか、骨からか、時代からか、過ぎ去りし日々からか、残された時間からか、歳の差からか。
だからもう彼の言葉は、彼の歌は、彼からしか生まれない。唯一無二だ。そしてこの世に同じくたった一人の、どうにもならないボクに語りかけてくる。
Still,life is beautifulと。
1934年生まれのレナード・コーエンはカナダの詩人だ。愛に、人に、空に、まずはことばを綴ることで対峙し、溶け合った。彼が歌の世界に足を踏み入れたのは三十代になってからだ。歌が下手なことを彼は悩んだ。でも、やめるわけにもいかなかった。歌えずに彼がつぶやくだけで、涙を流す人がいるのだから。
苦悩の人生だよ、まったく。五十代を過ぎて世界中にファンが生まれたが、いまだ歌が下手なことを悩み、コーラスの女性陣を本当に頼りにしている。
だけど、ちょうど七十歳の時にリリースした『DEAD HEATEER』なんてアルバムはどうだろう。
どうにもならない自分がいて、どうにもならない夜がたくさんある人に、とにかくいっしょに・・・レナード・コーエン
技術としての歌はさておき、心としての歌はやはり詩なのだ。売れたかどうかではなく、詩を携えて生きてきたかどうかなのだ。
朗読のような彼の歌に、脊髄からあふれ出る温かさに、そしてまだ消えていなさそうな恋の野望に、ボクはまだこの夜も生きていこうと思う。