シャーリーバッシー

海辺のウェールズにある小さな田舎町で、ナイジェリアの船乗りとイギリス人女性の間に生まれた。時代を考えると、かなり複雑な状況で大変だったのではと思うが、そのような環境、血も、この不屈の歌声を生んだともいえる。貧しい家庭の中、幼い頃から工場で働き、地元の酒場で歌っていた。やがてショー歌手として、ミュージカルなど出演していたものの、16歳で妊娠。余儀なくキャリアを下ろされてしまうが、すぐにまたチャンスをつかみ、スターダムへと一気に駆け上がる。戦後、さまざまな事が未開拓であった時代の中を、その歌声とともに、自力で這い上がってきた強い意志とパワーのかたまりである。長年のキャリアが育てた、歌一つ一つに溶け込み聞き手に放つ様は、他と取り換えることのできないベテラン職人の技である。日常から解き放たれ、強烈なインパクトを与える瞬間芸は、いつも聞き手に、爽快さを与えると同時に、心を動かす。
70年代にだしたThis is my lifeはマイナー調でいかにもドラマチックに、サビが展開するだろうと予感させるような、オーケストラの大きなイントロの中に、彼女は自然に語りを入れていく。サビに行きつくまでの最初のパートは、語れば勝手にメロディがついてきたように、何気なく自然にやっているが、実際にはメロディは連符の細かい符割りで2,3音が行ったり来たりの語りで、語尾があがりさがりするのを繰り返しながら4小節ごとに2度、4度と移行し、結局ほぼ1オクターブまで上へあがり、サビへと徐々にクレッシェンドしてつながっている。こんなに何気なくやっているが、素人や日本人にはすごく大変である。また、サビに行きつくまでのアクセントや言葉の韻、そしてテンションの扱いも巧みで、突出したところ、ひいたところ、語りきりメロディから完全に外すところも乱れずつながり、メリハリよく、どんどん歌のドラマの展開を期待させる。とくにこう歌おうとか考えているわけでもなく、この歌、歌詞の中にあるものをくみ取り、その感情、精神が自然に歌と結びついたらこうなったという感じである。サビに入る時、曲はメジャー調へ転調し、彼女がつくった最初のパートからもってきたテンションが一気にここで、特徴的な力強い声で、スケール大きくのびやかに聞かせ、聴き手はこれを待っていたと盛り上がる。この曲のサビののびやかさだけでなく、this is my life~の後にくるemotion, などの勢いよく体で切り落とす様、繰り返すme,その後のlive,give,の語尾のひとつひとつの処理、意識せずにやっているだろうが、こういうちょっとしたところも飽きさせない。そして2番に入り、よりテンションやスケールも大きくもっていき、サビも半音転調する。1番であれだけ出しておいても、2番で表現も、声も、テンションも、まだまだ出てきて、どれほどでるのかと驚かされる。また、歌っているという感じがぜんぜんせず、メロディにしなくても、訴え語り伝わる声が想像できる。またドーンと声を出しておいても、次の瞬間に体でばっさり切ったり、だらだらさせない。そしてI don't give a damn...のところのシャウトも、表現がピークになり、また驚きと感動を与える。
舞台という非日常的な場であるが、こういう豊かなこなし方、話しているのにいきなり跳躍したり、メロディがついていても、いきなり切りこんだり、語尾のアクセントの付け方などは、外国人(とくにパワフルでテンションの高い人)たちの中では、当たり前であり、文化である。2番のサビにいきつくまでの彼女の語り、言語の扱いを聞いていて、ふとアメリカなどの街の路上でよく“Jesus Loves Us!!!”と大声で道行く人へ何かを訴えている熱狂的な信仰者の語り叫ぶ声を思いだした。あのような叫びも、あのまま歌になるだろうとふと思いうかぶ。それほど彼らは体や高いテンション、精神状態を音に出す。彼らからみて、日本人がおとなしいと一般的に思われるのも、やはり文化の違いである。
明確な歌を聞かせ、声に宿る存在感の大きさに圧倒させられる。そして何よりも歌が聞こえてこない。そこの中にある精神が聞こえる。
全力を出し切った後のオリンピック選手が思わず顔に手を当てるように、彼女も歌った直後に上を向いて感嘆することがあるが、意識を超えた、目に見えない上からの力に動かされた瞬間に思える。そして歌の中に、歌い手と聴衆の魂が出会う瞬間を感じた。
一時期、税金の問題で、本国で働けなくなるものの、イタリアのサンレモにゲスト出演し、歌の国イタリアのプロたちに負けない歌声で、大人気となる。Domani, Dio Come TI Amoなどカンツォーネをイタリア語、英語でもカバーし魅了した。日本人にはない、筋肉の質、強さ、ばねのような柔軟さを感じる。
当時、パワフルな声をもつ歌手たちが次々と出てきた華やかな時代ではあったが、ビートルズローリングストーンなどロックの波が押し寄せ、やがてテクノ、トランスなどが流行り、あまりそのような歌手たちがいつのまにか注目されなくなった。過去の巨匠として、すでに引退しているのかと思っていたが、現在もほぼ毎年のようにレコーディングとショーを続け、シャウトが魅力の現代の人気ポップ歌手Pinkの代表作、Get the party started をCM用に新しい感じに仕上げ、BBCでも再びGold Fingerを披露したが、信じられないほど声に衰えが少なく、若手歌手を吹っ飛ばすほどすごいエネルギッシュである。
また、ミルバやイバザニッキ、チンクウェッティなど一流の歌い手たちは当時のような美声は今はもうでなくなってしまっているが、バッシーは、円熟した野太い声とたっぷりの息をはいて今も健在に、ゆったりと、そしてシャウトしている。あくまで自分の推測であるが、いろんなベテラン歌手を聴いていて、年をとっても健在であれば、アフリカ系の血をもつ人ほど、体力や声の寿命が長いと思うこともある。たくさんの作品、その長いキャリアをみていると、彼女もまた特別な人である。たとえ何億円つぎ込んでも、どんなに幼いころから学んでも、たとえ他のすべてを犠牲にしても絶対に他人が得られない、そうなれない、そしてそれが人に真に感動を与えられるのであれば、まさにそれは芸術家として、歌い手として一級の、本当の才能である。最近歌われた「My Way」も、つくる空間の大きさ、その厚み、ベテランの体を通すことで、曲が生きているのを実感する。