池田貴族

 リモートというバンドのリーダーで、当時話題の番組だった「イカすバンド天国」での突っ張った態度から人気を博し、ミュージシャンとしての活動の傍ら、心霊タレントとしても深夜のバラエティなどを賑わすようになった。
 こうした彼の活動については賛否の両方があった。真っ赤なスーツで歌うのはいい。ヴォーカリストなんだから。でも、その恰好で死後の世界を語るなよ。一度でもその世界を見たことがあるのかと。
 ボクは個人的には彼に対する嫌悪は一切なかったが、ミュージシャンがバラエティにしゃしゃり出ることそのものが嫌だという人も多く、周囲であまり好意的な意見は聞かなかった。その彼が、癌を患ったという話を聞いたのは1999年のことだ。
 この年、ボクはアルバムの制作中に大手のレコードメーカーから契約を解除されていた。五年間支えてくれたメーカーからクビを切られるというのはやはりショックで、海外まで含めたライブツアーを目の前にしながら意気消沈の日々が続いた。大手の枠組からはずれてしまえば、嘘のようにテレビや情報誌は去っていく。今のようにネット全盛の時代ではない。ボクは唯一残った自分のラジオ番組で、「アマチュアになりました」などと自虐的に喋っていた。そしてその番組でさえそろそろ終わりが見えてきたという時、ボクは一時間半たっぷり話すゲストとして、彼、池田貴族を呼び入れたのだった。
 彼はもうその時もう、腹部に七カ所もの癌を抱えていた。精神的なパニック、「なぜ自分だけが」と憤りを爆発させた時期を過ぎ、今はもう残された時間をじっくりと生きるだけなのだと話してくれた。
 嫌いではなかったが、これまではスタジオですれ違っても話はしなかった。互いに突っ張っていて、ぎざぎざぶつかるような感じだけがあったからだ。
 でも、この時の彼は、まさしく人が変わったかのように、澄んだ目の、落ち着いた表情の人だった。
 その時に、煙草の話になった。ボクは煙草を辞めたばかり。彼も癌がわかってから煙草は吸っていなかった。彼は言葉をひとつひとつ置くように、「どうして煙草なんて吸っていたんだろう」とつぶやいた。
「煙草を吸っても、歌を歌えると思っていたんだからなめてるよね」
 煙草のせいで癌になったとは彼は言わなかった。もちろんそういう気持ちはあったかもしれないが、ただ後悔としては、「歌に悪かった」という言い方だけをした。
 その時の、遠くを見るような彼の表情が今でも生々しく記憶に残っている。
 彼はまた、ボクが大手をクビになって彷徨し始めたことを知っていた。だからこそ言ってくれたのかもしれないが、「人間は生きてさえいれば、いつだってやり直せるんだよ」と繰り返した。それは番組を聴いているリスナーに向けた言葉なのかもしれなかった。しかしそれを言う時、彼はボクの目をじっと見ていた。
「生きていれば、リセットできるんだよ」
 言葉を変えながら、何度も何度も彼はそう言った。それがやはり
心に残っている。
 彼が最後に出したアルバムは「Miyou/天国なんて」というタイトルだった。ミューちゃんというのは彼の愛娘の名前だ。娘がせめて幼稚園ぐらいになり、父親が生きていたという記憶ができるまで歌っていたいと彼は言った。だから、どんなにそこがいいところだと言われても、天国なんて行きたくないのだと。
 果てることを先に見つつ、自分の娘に歌いかける時、ヴォーカリストはたぐいまれな歌を残した。生涯の祈りが込められた、透明で柔らかな歌だった。
 そう、あれは祈りだった。
 池田貴族はそれから三ヶ月後に世を去った。でもいまだに、「やり直せるんだよ」という言葉が耳に蘇る時がある。