グレン・クローズ

 映画で名を馳せてしまったがために、歌い手としての凄みを意外と知られていない俳優はいるもので、グレン・クローズはその代表格の一人だ。もちろんアメリカ本国では、彼女がトニー賞の主演女優賞を三度もとっている舞台俳優であり、場を圧倒する歌手である
ことは広く知られている。しかし日本ではどうか。おそらくは「危険な情事」のあのモンスター的女性、「ガープの世界」のいっちゃってる母親、「101」でダルメシアンから毛皮を作ろうとしたクルエラ役など、あぶない女性をやらせればピカイチという評価はあっても、歌手としての評判を耳にしたことはほとんどないのではないか。だが、間違いなくグレン・クローズはまれに見る突き抜けた歌手であるし、あるいは歌手という枠を越えて生命力をぶつけてくる神棚のような存在である。 といっても、若い時からずっとそうであったかというと、YouTubeなどで確認する限り今のような凄みは感じない。大学生の頃からブロードウエイで歌っていたわけだから天与の才はあったのだろうが、最初のワンフレーズで客全員が鳥肌を立てるような神性は、その頃にはなかったようにボクには思える。
 しかしたとえば、90年代に入ってからのミュージカル『サンセット大通り』のノーマ・デズモンド役などはどうか。鬼気迫るよ、ホント。
 ミュージカル男爵の誕生日イベント『アンドリュー・ロイド=ウエバー・ロイヤル・アルバート・ホール・セレブレーション』というDVDをぜひ手に入れてもらいたい。男爵と関係の深いミュージカル俳優たちが次々と出てきて歌うのだが、この時のグレン・クローズが凄い。ノーマ・デズモンドとして舞台に現れた瞬間、ホールの客だけではなく、モニターという小さな画面を通して体験しているボクやあなたにさえ必ず何らかの精神的現象が起きるはずだ。
 このDVDのなかではたった三曲を歌うだけだが、ボクは何百回これを観ただろう。体験しただろう。その度に神棚に手を合わせるのと同じ心持ちになり、こちらの内側にも力が湧き上がってくるのだ。
 なぜか?
 歌は口で歌うのではなく、全身で歌うのだということを目の前でやってくれているからだ。彼女の指も、腰も、足も、そして半径百メートルぐらいの空間もノーマ・デズモンドになりきって共鳴し、ともに歌っている。唇はただ偶然に音を発している端末器官に過ぎず、周囲を巻き込む彼女の細胞すべてが歌っているのだ。だからこそ、そこに神性が現れるし、それを観る我々にまで何らかの効果を及ぼすのだろう。
 歌がわからなくなった時、気が小さくなってしまった時、へこんでへこんでもう明日がこないと思った時、このDVDのグレン・クローズを観て欲しい。
 グレン・クローズは美人ではない。才能にあふれながらも、万人から好かれるタイプではない。これだけの人が一度もオスカーをとったことがないことが、映画という表現形式の限界を示しているうにも思える。彼女もまた壁に当たり続けたに違いない。しかしそこからの突破口が、歌のうまさを歌の凄みに変えることであったのなら、挫折や煩悶もまた悪くないことだと思う。