No.356

「美しい歌・こころの歌」

日本の歌は、元々好きで、10枚のCDを買いました。CDは、ほとんど聞いていなかったのですが、引っ張り出してみると、歌がたくさん収録されていて、「赤とんぼ」「冬景色」「冬の星座」もありました。「冬の星座」は初めて聞く曲でしたが、とても素敵なメロディだと思います。

 

「香港画」

2019年の香港市民デモの様子を、居合わせた日本人監督が撮った30分のドキュメンタリー。香港は自分には懐かしい。神戸在住時に、香港からの交換留学生たちに、広東語を習っていた縁で、毎年、香港を訪れていた時期があった。あのときの彼女たちも、デモに参加していたはずだ。懐かしい街角が写されるが、そこでは、厳めしい警察隊と若者たちが睨み合う。コショウスプレーが目を狙って発射される。催涙弾が飛ぶ。浴びた者たちの目を洗う救護班の女性たち。放水車の水圧に飛ばされた女性を助け起こす若者。大学が警察隊に囲まれ、構内に取り残された、中学生を含むデモ隊数十人に向かって、ストリートミュージシャンたちが演奏を続ける。「彼らには届かないかもしれないけど、音楽で励ましたい」。その言葉が胸に残った。当たり前にあった自由を守るために立ち上がる気持ちは理解できる。けれど、デモ隊が中国銀行や中国を支持する店を破壊する行為には賛同できない。彼らは、平和デモでは政府は動かないから、暴力に訴えると言うけれど、力で解決しようとすれば、力で抑え込まれるような気がする。では、どうすればよいのか、答えは出せないでいる。

 

稲川淳二YouTubeチャンネル 」稲川淳二

相手に想像させる表現、自分に対して話しているように感じる喋り方。表現者としての本質を見ていると考えさせられ、加えて経験した事のないような恐怖体験等を感じる事ができるおすすめのチャンネルです。

 

「リアル」井上雄彦

事実を受け止めて進まなければならず、大きい目標を達するためには目の前の現実をまず自分なりにこなしていかなければならない。

また、自分自身の気持ちに正直になっていい。これ以外にも沢山の本質を学ばせてもらっています。自分自身が間違った道に行こうとしたり、歪みそうになったら読み返して思い出します。

 

「金持ち父さん貧乏父さん」ロバート・キヨサキ

この本はかれこれ20年近くもベストセラーになっていますが、最近初めて読みました。

最も印象に残ったことは、

「貧乏な人はお金のために自分が働き、金持ちはお金を自分のために働かせる」

という教えです。

日米を問わず、大部分の人は貧乏か中流くらいの人達で、学校で専門分野について知識や技術を学び、それを活かして就職し、働いて給料をもらい、その中から諸々の費用を支払い、最後に残ったお金を自分の楽しみに当てます。それで足りなければ借金をすることもあり、自分のスキルには高いプライドを持っているものの、経済的には余裕があまりなくて四苦八苦している。

これに引き換え、金持ちも働きはするがお金のためには働かず、将来は投資家か経営者になるための技術を「学ぶために」働くという勤労意識を持っているというのです。そしてまずは稼いだお金を自分のために働かせるために投入します。例えば、不動産を購入してそこから家賃収入を得るシステムを作ったり、自分の持っている技術(知的財産)を人に教えて仕事をさせ、そこから技術の使用料を収入として得るために契約を結んだりするのです。

この違いの理由として、金持ちはお金というものの性質と、自分自身が働いて得られる収入の限界を知っているのです。だから、自分のために働いてくれるものは人でもお金でも使い方を慎重に考え、大切に使います。

結果として、こんな違いにも気づきました。

貧乏な人は自分の力だけを頼りにしてしまうので、「これほど働いているのになぜこんなに生活が苦しいのか?」と自分に自惚れたり、世間を恨んだりしているので、大抵は不機嫌な顔をしている。

金持ちは自分以外のいろんな人のお蔭で自分が生かしてもらっていることを知っているので、常に感謝の念を持ち、人に与えることをうれしく感じるので、笑顔が絶えない。

さらに、この本の中には、あのケンタッキーフライドチキンの創業者カーネル・サンダース氏の波乱万丈の人生についての記述もありました。

それを読んで自分自身を振り返ると、

「人間関係や軽症うつで今まで苦しんでいた自分の人生なんてまだまだ恵まれている方だ、まだまだできることはある!」

と、本当の意味で勇気づけられました。

キヨサキさんの他の著書も参考にし、お金に関する考え方、ひいては世の中に対する考え方を改善して行ければ、と考えております。

 

「どこかで誰かが見ていてくれる」福本清三(聞き書き・小田豊)

切られ役専門の福本清三さんの訃報を聞き、この本を手にした。本から映画全盛時代の匂いが立ち上ってくるように感じるのは、聞き書きだからだろうか。時代劇全盛の東映の大部屋の雰囲気、大勢のエキストラが朝昼晩、あっちで斬られ、こっちで走り。福本氏は自分には何も才能がない、というけれど、その世界で長く生きているという、その空気をまとっているに違いない。それが語り口に出ている。どうせ斬られるなら、どんな斬られ方が良いかを考えて、工夫する。仕事から仕事を聞く、ということだろう。どうすれば、少しだけ目立つか。その「少し」という考え方がいいと思う。たくさん目立とうと思うと、きっと失敗する。読後、つくづく役者はセンスより体力と思った。これは歌い手もきっと同じだ。ずっと前に、ピアニストさんから聞いた話では「歌手は体力が大事。歌が下手なのはこっちがカバーしてやるから、体調が悪いなんて言って仕事に穴をあけないのが一番大事なこと。」

 

魔の山トーマス・マン

20代の若さ、ハンブルグ出身の主人公のハンス・カストルプが、ひょんなことからアルプスのふもとの結核療養所に行くことになりました。いとこのお見舞いに行っただけなのですが、実は自分も結核患者であることがわかり、ひと夏の休暇中の滞在のはずが、七年もアルプスのふもとの療養所で過ごすことになります。そこでいろんな人と交わり、人生について考えるというと、つまらなさそうな本です。

結核療養所を舞台とした文学といえば、我が国が誇る大作家、堀辰雄の「風立ちぬ」があまりにも有名ですが、日本の結核療養所と、アルプスのふもとのイタリア人からロシア人まで集う療養所は規模が違います。堀の小説では、フィアンセとの恋愛描写、その愛と死、いかにも日本人らしい細やかな心理描写が主ですが、トーマス・マンの小説では、恋愛も出てくるとはいえ、主人公ハンス・カストルプの精神的な成長に重点がおかれているようです。

結核療養所の日々は、一日五食、ボリュームのあるおいしい食事を食べ、横臥療法といって日向で寝て過ごすことによって治すようです。主人公ハンスは、実は小さいときに両親を相次いでなくしたという設定になっており、それが彼の「いろんな人から影響を受けやすい」、純朴な好感の持てる青年の描写になっているのです。