パティ・スミス

不幸や混乱を受け入れられるかどうかというのも一つの才能で、澄んだ空を見るために片足を地獄に突っ込むぐらいの覚悟がなければ、人の胸を打つような歌は歌えないのかもしれない。
パティ・スミスは修羅の道を歩む詩人であり、ロック・シンガーだ。二十歳の時に大学の教授とできて子供を身ごもるが、この教授が認知してくれず、シングルマザーとして乳母車工場で働く。しかしその生活に本人はぶち切れ、子供を里親に出してニューヨークへ単身旅立つ。混沌としたこの街で、パティは詩の朗読を始める。ロバート・メイプルソープがその才能に惚れて、以降彼女の写真を撮りまくるようになるとか、アンディ・ウオーホールが認めたとか、ミュージシャンたちが集まりだして「パティ・スミス・グループ」を結成するとか、色々と逸話には事欠かないのだが、おそらく基本形として彼女は時代にも街にも、そして女という性にも収まりきらないのであり、常に刃物の上を歩いているような痛みや緊張を詩として食い、あるいは食われ、それを歌唱にまで高めていく。
どのアルバムを聴いても、どの曲にぶたれても、満天の星空のような痛みとそれを吹き飛ばす魂のジャンプジャンプジャンプに、こちらの飛翔力までかーっと底上げされたような気になるのだが、作家のすべてはその処女作にあるというのなら、やはりデビューアルバム「HORSES」(1975)の一曲目「Gloria」に尽きる。ヴァン・モリソンのカヴァーだが、どうだ、この声は。このぶち破り方は。これがBEINGだ。存在するということだ。存在は、なにかの図式の中にはまってそこにあるのではない。まわりを壊してこその輝きである。この勇気が、この覚悟が、この美しさが、後にニューヨークパンクの女王と呼ばれる破天荒シンガーの産声である。
イラク戦争アメリカが空爆を行なっている時、今はなき新宿のローリング・ストーンでボクはパティ・スミスをリクエストした。彼女の声が流れ出すや、店にいた米兵たちからブーイングが巻き起こった。
パティが空爆に反対しているから。
やっぱりパティだ。その気骨で今も詩とパンクを貫いている。そしていつも片足を不幸に浸している。
幸せに遠いなと感じたり、なにかすげえハンデイを背負っていたり、この社会とうまくやっていけないと思ったら、それは詩や歌に生きる者の資格を得たと思った方がいい。それでもびびっちまったときは「HORSES」を聴いて慰めてもらおう。