何て強烈な個性の持ち主なのだ。
打ち上げ花火というより爆弾のような人だ。
人間は、本能のまま生きようとすればするほど、早死にするのではないかと思う。
日本は世界一の長寿国と言われているが、人間の本能からみたら、
一番遠いところで生きている気がする。
ジム・モリソンの生き方は、見方によればものすごく破滅的だけど、
決して死に急いだわけではないと思う。
人間が死ぬということは悲しいことではない。
死というものに目をつぶって生きれば生きるほど、色のない人生を送ることになる。
多くの人間は、死を見据えてまっすぐ歩いていくことなどできないだろう。
死が恐ろしいものなら生きることも恐ろしいものとなる。
彼がこの世に残していったものは、作品というよりその中に宿っている命。
一人の人間から多くの命が生み出される。
そして、その命を多くの人間が受け継いでいく。
命を生み出せる人間こそ、真の表現者だと思う。
何百、何千の命を生み出すなんてことは、普通の人間にはできることじゃない。
ステージを見ていて、DOORSのジム・モリソンというより、
ジム・モリソンのDOORSという気がした。
バンドの人には悪いが、ジムの存在にかすんでしまっていた。
ジムは自分らしくありたいというより、人間らしくありたかったのだと思う。
ステージの上で叫び、ささやき、好きなように踊るジムをみてそう感じた。
それは、ステージに上がる前につくるものではなく、
ステージの上で生まれるものだろう。その瞬間にしか生まれ出ないもの。
音楽はつくり出すというより、生まれ出てくるものだと思う。
心の奥底からわき出てくるさまざまな感情を吐き出す世界。
それは、絵だろうと小説だろうと彫刻だろうと同じかもしれないが、
音楽ほど直接的ではないと思う。
視覚よりも聴覚、味覚、触覚の方が人間の本能に、
より直接的に働きかけてくるのだと思う。
音の世界は、そこに入り込んでいけばいくほど、危険な面がある。
自分の肉体がなくなって、意識という形のないものしか感じられない精神状態になる。
ミュージシャンがドラッグの世界に入りこんでいくのもわかる気がする。
世の中のいい悪いの基準は、すべて社会にとってのもので、
人間の本能を基準にしたら違うものになると思う。
表現の場は、人間が人間に還ることのできる唯一の場だ。
この世に芸術というものがなかったら、人間は生きていないかもしれない。
人間に戻りたい、本能のまま生きたいという強い欲求がある人間だけが、
表現の世界を選ぶのだと思う。
ジム・モリソンの生き方は、ステージの上も下もない。
どこにいようと彼は彼らしく、人間らしく生きたいと願ったのだろう。