ビリー・ホリディ

彼女がひたすらにこだわり、守り続けた芸術性とは…?
実際に、ビデオでビリー・ホリデイの声を聴くと、年齢によって、
また曲によって、その印象が違って聞こえ、明らかに感じたのは、
私の想像外の世界だったことだ。私の想像できたどんな声、表現でもない。

ビデオの初めに登場したビリーは、既に晩年らしく、
声はかなりハスキーで少し統一感がないように感じられたが、
圧倒的な個性でぐっとひきつけられた。
ゆったりと体をSWINGさせるように歌う姿、独特の表現のタイミングが、
美空ひばりととても似ているような気がした。

ビリーの歌の解放、感情ののせ方は、
“悲しそうに”とか“嬉しそうに”聴こえる…という単純なものではない。
声の音色とフレージングの何ともいえないタイミング
(ふんわり聴こえるけれど、確かにメリハリが効いていて
“アタックしている”感じが伝わってくる)が、その歌詞の意味を、
そして、何よりも彼女の目が語りかけてくる。

本でも“Strange Fruits”について触れていて、聴いてみたいと思っていた。

今回、実際に聴くと、本当に、本当にすごい歌で、身動きができなかった。
苦しくてつらかった。これは、歌なんだろうか!?
いったい何なんだ、ビリーの創り出す世界は…。
歌だけが飛び出ているような「歌」ではない、声でも、メロディでも、歌詞でもない。
すべてが彼女のメッセージとして全体を創っている。
いわゆる、歌に対する固定観念をぶち壊すものだ。

ルイ・アームストロングの歌もそうだが、ビリーの歌は、
やはり女性の内面に潜むものがベースにあって、
一人の人間としての強烈な個性を生み出しているように思った。
こういう歌い方ができれば、他のどんなやり方もできるんじゃないか…とも思えてくる。
楽譜の音符通りにしか歌えなければ、とても表現なんて域にまではいけないだろう。

彼女の生い立ちを考えると、彼女が歌にスッと入り込んでしまう気持ちは、
理解できる気がする(想像できる)。
彼女は、歌の中でだけは、たくさんのへこんでしまった部分を
満たすことができた…というか、彼女が受けた傷を癒せる世界、
唯一、自分自身とコントロールできた場が歌だったのではないかと思う。

彼女について知るほどに、そのバックにあるものの大きさを思わずには
いられないのだが、人の前に立つとき、彼女のバックボーンは、
深く集中されたサービス精神となって送り出されるのだろう。
1日で人の100日分を生き、常に最高のものを伝えたいという彼女の姿は、
真のアーティストだと思った。

彼女の歌は、どんなにスローにテンポをとっても、ソフトな曲であっても、
声そのものにプッシュ力があって、すごい底力を感じさせられる。
とにかく、声が耳に飛び込んでくる。本当に「迫ってくるもの」がある。
「一銭の価値もない曲も、ビリーが歌うと一級品になる」
この力、表現こそが、人々が求めるものだと痛感させられることばだった。