ボブ・マーリィ

レゲエの歌詞をいろいろみたら、曲の感じとは全然違って、
世の中の理不尽なことや心の苦しみ、哀しみそんなものが多かった。
生活に根づいた音楽、時代に根づいた音楽。
日本からはこういった音楽は決して生まれないだろうと思ってしまう。

ボブ・マーリィは自分の求めているものをちゃんとわかっていた人では
ないだろうか。どういう生活をしたくて、どんな歌を歌いたくて、どう生きたいかを。
環境の影響もあって選択できるものが少なかったということもあるかもしれない
けれど、多かろうが少なかろうが自分を知っている人は選んでいける。

今、世界のレベルで通用する声を手に入れたいと思っているわけだが、
かりに手に入れても、ショーウィンドウに飾ってあるだけのものになってはいけない。

世界の音楽を知ることは、今、この時代に日本とは違う国がたくさんあり、
そこで人々はどういった生活をし、何を考えて生きているのかを知ることに等しい。
たとえそこに行けなくても、人間には創造する力があるのだから、
それを活かせばいい。だけどこの身体が動くならば、
いろんな国の空気を人々を肌で感じたいと思う。

日本の歌って、日本の心ってなんだろう。
日本は何百年も前に鎖国をといたはずなのに、
人々の心は今でも鎖国状態のような気がしてしようがない。
人間を育てていかない、感動をひきおこさない歌が多すぎる。

日本しか知らず(知ろうとせず)、小さい枠の中だけで歌いたくない。
日本の中だけで歌うとしても、私の心の中にはもっと大きなものをつめこんで
歌いたい。ちっぽけな人間ではいたくない。

ボブ・マーリィの瞳がものすごくきれいでいいなぁと思った。
目の中に心のきれいさがあらわせていた。まっすぐをみつめる瞳。
バンドマンは「今の生活からぬけでるにはプロデューサーに認められるしか
ないんだ」といって、曲をつくっては聴いてもらうことの繰り返し。

この日本にいると何のために自分は歌い、誰にむけて歌うのか、
どんな歌を?と常に考えさせられる。
生活に何の不自由もなく、あっても大したことなく、
明日生きてるか死んでいるかなんてことは考えることもなく、
腹をすかしても死ぬわけではないこの国で、何を歌うのか。
私は何も知らない、わかっていないに等しい。
だから日本を世界を知りたいと思うし、わかりたいと思う。(K)