大竹伸朗

芸術は果てしなく難しい見えないものを見えるものにする作業。
求めるものの深さ、そして自由を知れば知るほど、
この社会の中で、個々が生む芸術の意味、責任や試練も大きい。
作者の心の問いかけ、迷い、その半生の旅を見た気がする。

隙間もなく紙面上を埋め尽くし、塗りつぶしていく、大竹氏のコラージュ。
少年時代から変わらず無意識と意識の中で、
たんたんと貼る作業をしてきたという氏の膨大な作品の数々を見ていると、
混沌と織り交ざる多文化と流れるような膨大な情報、支配や暴力、
新しいビル、新しい街、満員電車、店から流れる1920’s ディクシージャズ。


信号で止まる車からは大音量で日本のラップが聞こえてくる日常、
そんな今日の日本のジャングル社会がリアルに表されているように思える。
そしてそんな環境の中で生きている自分たちなのだと改めて考えさせられる。

“りっぱなほりものを作り上げて、そのほりものを世界一のほりものに作り上げたい。
あまりみごとなほりものなのでそれがまるで生きているようなりっぱなほりものを
ほりあげて、日本のぼくのほりものが世界的に有名的に有名になりたい。”

小学校の頃の大竹氏の作文。絵や工作に夢中だった少年時代、
西洋の文化がますます入り高度成長期真っ只中の60、70年代。

大竹氏の作品もまさに、それらに強い影響を受けていた。
しかし、デビュー後、ナイロビなどへ旅をした頃から、
作品にも視野が広がっていくのがうかがえる。ラインや色使い、温度が変わりだした。
旅の後、展覧会などせず黙々と作品を作っていた3年間の空白の中の作品。
「東京プエトリコ」や「ゴミ男」は、都会の殺伐さ、エゴやうめきなど暗闇や欲望、
そして脱出できない人間の空しさがにじみ出ている。

再び長い旅を経て、描いた作品集「網膜」には
本格的に精神世界を分解して見始める姿がうかがえる。
“血の記憶”“極氷”“火傷”など、その色彩力、コンポジションなど
抽象的な鋭い感覚が自然の神秘をキャンバスによびおこすような作品が続く。
長い時間をかけて自分との対話、世界との対話の中で、
ようやく何かが表現しはじめたようにも思える。

その後の作品集「アメリカ」でもそれまでの日本に入ってくる流行文化や
あこがれを描いていたのとは異なり、国の現実を繊細な彩りで描いている。
同じく、そのような状況をシニカルとユーモアを混ぜ奇抜な色使いで描く「日本景」。
「もじゃおじさん」「んぐまーま」など子供の絵本も作り、
自由に崩したラインでユーモアな楽しい主人公たちを描く作品もこの頃から始まる。

2006年の新作「釣船」は、30年間本人が心の中に見てきたこと、
子供の頃を思い、子供への愛情が織り交ぜられているように見える。

芸術家は道なき道を行く。
この社会の中で生まれ、和が薄まり、洋に囲まれた生活環境、多くを気づき、
真の芸術を求めれば、気づくことは、この無限の地の上で、道なき道を歩いている。
一人の芸術家の半生にわたる作品を通して、自分自身の足元を見つめ返していた。