Bob Marley  Redemption Song

 “この自由の歌を
俺にはこれしかない
この救いの歌を
この自由の歌を“
真っ青な空、真っ青な海。まぶしいほどのアフロブルー。遠くなる祖国を最後にみつめる人々の眼差しを歌に感じる。Redeption-救い-。ある日突然略奪され、船に売り積まれ、見知らぬ遠い地に連れていかれた遠い昔。死が訪れる2年前につくられた。歌が彼のもとへ降りてきた気がする。
シンプルな歌でありながら、巨大な力を生む。歌い手自身が真に感じているか、歌と結びついているか。ボブマーリーの歌を聞いていて、感じているということをふと思う。その血からでてくる叡智が源となり、体の芯から突き上げてくるリズムが音楽をよぶ。歌は存在感を出し、聴き手と空間の中で結び付く。聴き手は、歌い手のメロディを聞きに行くのでも、いい声が聞きたいわけでも、歌詞が知りたいから行くのでもなく、ただ感じるためにライブやCDを聞く。その真に感じる、感じあえることが、最も大事なことであり、本当はそれがなくてはならない。
軍人の白人の父親と黒人の母親の間に生まれたが、肌の黒い自分を人は黒人と呼んだ。いったい自分は何者なのか、ここはどこなのか、俺はどこへ行くのか。支配者と被支配者の間で、常に葛藤の渦の中にいた。それぞれの歴史を血に背負い、自由を人権を問いつづけた運命。多くを学んできた姿をその歌やあたたかい深い眼差しに感じる。
幼い頃からの蓄積されてきた音。生きることも、その強い意志も、歌も、クリアに感じられる。少ししゃがれた味のあるやさしい歌声とギター。自分から発するリズムの中で、ジャマイカ英語で、語るように歌う様に、普段のひとなつっこい話し方も想像できる。その普段の話し方が表現豊かで、リズミカルでもあるので、それをそのまま歌にできる感覚が備わっていると思われる。今の日本のお金を払って何から何まで教えてもらえるような音楽の在り方とは違い、物の少ない貧しい国、地域では、メインテナンスが行われていないボロボロの音の狂った数少ない楽器を貸し合い、自分たちの耳で調節しながら使い、歌もピアノなどの伴奏がつねにあるわけでもなく、様々な方法で楽しむ中で、感覚が鍛えられ、他にはない味わい深い作品を瞬時生んでいる。真に感じるから、歌が降ってくる。そこに歌詞やメロディが発生する。生ぬるい生き方、甘えた生き方であるならば、それが歌に現れるだろう。何よりも、感じ続けなくてはならない。
“昔 略奪者たちはこの俺を力づくで捕らえて奴隷船に売っ払い、絶望のどん底に突き落とされた俺を奴隷商人が買い取った” メロディだけをみれば、最初のパート、まるで船が進んでいくように、前向きに明るい印象を与えるシンプルな曲調。しかし、歌詞は、その明るいメロディとはまったく反対にと、ぞっとする悲惨な状況を伝える。声の微妙な様子と歌詞の内容を知ることで、その曲調とのコントラストに、より驚かされ引きつけられながら、その対照的なものが、“しかし、俺の手は頑丈で、全能の神が授けた手だ、堂々とこの時代を進んでいく”とどん底にいる主人公が不屈の精神によって、ひとつになっていることが徐々に伝えられ、メロディと詞も一致していることが感じられ、聴き手の心を打つ。そして誰しもが尊う「自由」を呼びかける。2番に入ると、“精神的奴隷から自身を解放せよ 自分たちの精神を解放できるのは、他の誰でもない、自分たち自身だ”と主人公だけでなく、聴き手に、現代の生きる全ての人々に共通する壮大なテーマとなり、より力強くストレートに前向きな歌だということを決定づけている。
その血と生き方に真の表現が存在する。たった3、4分間の歌は、何百年といく時を抱え、現在を結び、今も空間の中で人の心をひとつにしている。