「Dona Dona ドナドナ」

かわいそうな子牛の話に胸が痛み、暗いメロディが怖くて聴くことができなかった幼い頃。先日、この歌が、ユダヤ人の過酷な運命が重ねられているという記事を読み、この歌の背景を初めて知った。日本語詞は薄められて書いてあるが、原詞はユダヤ人の作家によって、彼らの言語イーディッシュで書かれ、ユダヤ人の複雑で過酷な歴史の中、不条理な人間の関係を示した、メッセージ性の強い詩である。大空を飛ぶ自由な鳥の下、縛り上げやがてひきずり殺されていく子牛の苦しみが描かれている。-翼をもつものなら空高く舞い上がり 誰の奴隷にもなりはしない-1940年以前にポーランドワルシャワで活躍をした作家アーロン・ツァイトリンによって詩は書かれ、後に曲は、ツァイトリンと仕事をすることになった、ウクライナ出身のユダヤ人ショローム・セクンダによって、ニューヨークでのユダヤ移民の世界を描いた舞台のために作られた。その2年後の1942年、ツァイトリンの父親はワルシャワ近郊のユダヤ絶滅収容所に移送される途中に殺されてしまう。 荷台に縛られ乗せられた子牛の恐怖を歌詞と共に、このマイナー調の暗いが儚く美しいメロディ、ハーモニーの色合いに重ねられ、イメージは苦しいほどよくみえてくる。60年代、ベトナム反戦運動の中で、ジョアン・バエズはこの歌を通して、アメリカの惨たらしい事実を批判し、訴え続けた。美しい飾らない歌声の中に、強い意志、使命感、深い愛情が感じられ、それは現在の活動の中でもまったくぶれていない。1967年、バエズの初来日公演では、アメリカの情報局が、ステージでの彼女の言葉をそのまま訳すなと通訳に圧力がかけていたらしい。前回書いたブルース・スプリングスティーンのBorn in the USAの歌詞にもでてくるように、当時、無理やり捕らえられ戦地へ送られた者たちの痛みもバエズは歌の中に重ねていた。このコンサートで、当時高校生だった森山良子さんがバエズにぜひと声をかけられ、初めての大観衆の前でバエズと共に歌った。イーディッシュで歌うユダヤ人アーティストたちの録音がyoutubeにも数多くのっている。深い悲しみと共に、メロディに流れるイーディッシュ語の繊細さや美しさ、彼らの高い音楽性を感じながら、3000年以上の長い複雑なユダヤ人の歴史を想っていた。 歌に犠牲になった無数の人々の魂が漂うように、歌はいつとなく世界中に渡り、聴く者たちに働き続けている。