<CD>
「オルケスタ・チェタンゴ 」
ヴァイオリンが泣き、バンドネオンが唸り、ピアノが歌う。甘く切ないタンゴがすでにそこにありました。タンゴを歌うというのは、この上にプラスできる何かを歌い手が持たなければいけないのだと思いました。
「Fly me to the moon」トニー・ベネット
広い宇宙空間を感じさせる声。無限の宇宙と、今地上にいるあなたと私の二人とが、つながっている感覚。時空間の広がりを感じます。これと同じ感覚をシャンソンの芳賀千勢子の「庭」で感じたことがあります。ジャック・プレヴェールの詞にジョセフ・コスマが曲をつけました。永遠は今の一瞬の中にあって、あなたと私との距離も、地上と宇宙との距離も等しい、ような不思議な感覚です。アインシュタインの相対性原理って、この感覚に近いかも、などと思います。
「奇妙な果実」ビリー・ホリディ
1939年の若い時の録音、1945年のライブ、1956年の録音それぞれを聴くと、後期のものは歌うというより語っていると感じます。言葉が際立っていて、言葉と言葉の間を情念のようなものが埋めている。若い時の録音はそれよりも、歌うことに比重が置かれている。ライブ録音は声に惹き付けられる。自分は後期のものが好きでした。「Lover come back to me/ビリー・ホリディ」歌っている、リズムに乗っているというより、音楽の中にこの人がただ立っている感じがしました。
「枯葉」サラ・ヴォーン
これが枯れ葉?シャンソンで聴く枯葉とは全く別物。最初から最後まで全部スキャットで高音から低音まで自由自在。これだけ歌ってくれたら、こちらは恐れ入りました、と言う他ありません。彼女の歌声は頭声が入っていると感じます。
「ザ・ニアネス・オブ・ユー」ヘレン・メリル
聴いているうちにふと、高い声はこんな風に出せばいいのかなと思いました。どこをどうとは、具体的にわからないのですが。バースから丁寧に歌っていて、とても雰囲気がよく上品です。この人はハスキーヴォイスと言われていますが、自分にはハスキーだと感じられません。ということは、自分もハスキーヴォイスの傾向があるのかもしれません。
「I have nothing」Whitney Houston
ホイットニーさんはどうやって声を出しているのであろうか、という疑問を持たざるを得ない程の歌唱力を魅せつけてくれます。特に若い頃の歌声は、声を出そうとした分の全てが声に変わっている印象で、無駄がありません。大きな声でも張り上げているという印象はなく、同じポジションで声を出しているように感じます。バラードなので普通に歌うと力が入りやすい曲ですので、アレンジをどう効かせているかも参考になります。
「白穴」チリヌルヲワカ
メジャーな雰囲気は全くなく、完成度が非常に高い曲ばかりです。ドラム・ギター・ベースを聴き分けながら鑑賞するととても楽しめます。全ての音が精密に絡み合うようなアレンジ力も半端ないと思います。
専門家にはどう評価されているのかよくわからないが、お医者さんなのに、こんなにすばらしい歌声なのはすごいと思う。
鎌倉末期から南北朝時代に活躍した武将楠木正成が、天皇に献策した必勝の戦略を退けられ、やむなく勝ち目のない決戦で討ち死にを覚悟します。
桜井の陣中で、今まで共に戦ってきた嫡男正行(まさつら)に後事を託し、故郷河内に帰るよう諭します。拒む正行に対し、父の死後も天皇に忠義を尽くし、母や弟たちを守ってほしいと、涙ながらに正成は正行に懇願し、息子も涙を堪えて頷き、親子は別れます。折から聞こえてくるホトトギスの血を吐くような思いで・・・
やがて摂津湊川で正成とその弟正季(まさすえ)は朝敵足利尊氏勢を数回撃破しますが、多勢に無勢、楠木勢は敗退し、兄弟そろって「七生生まれ変わっても、帝(天皇)に尽くし、朝敵を打ち払おう。」と誓い合い、刺し違えて息絶えます。
戦後は国粋主義、軍国主義の象徴のように悪く考えられていた楠木正成ですが、その私利私欲のない、大切な人々を守ろうとする純粋な心は、今の日本人が失った宝のように思います。
男の子が逞しく成長することを願う端午の節句も近づいた季節、「青葉茂れる桜井の・・・」で始まるこの歌が似つかわしい季節です。
<DVD・CINEMA・TV>
「王になった男 」
イ ビョンホンの声の使い分け、お芝居がすごかった。
笑わずにはいられなかった。
「クライドアトラス」
トムハンクスさん 何役も演じていましたが、全て別人でした。
特殊メイクで外見はもとより、声から動きから存在まで全て別人でした。
妻に浮気され会うことを拒否されてもまだ妻への追慕を絶ちきれない男と交通事故で夫を亡くし心が荒んでいる女との出会いから心の傷を乗り越えるまでの話。ヒロインはアカデミー賞主演女優賞を受賞しただけあって最初の登場から氷ついた風変わりな表情を見せる。彼女は嫌がる彼を巧みに操りダンスコンクールに出演するまでにこぎつけてしまう。男が精神科の病院から退院というところから始まる。この脚本は粋というかユーモアがあって彼の退院の日、友達が退院出来ないのにどさくさ紛れに迎えの車に乗り込んできてしまう。しかし、車に電話がかかってきて又病院にもどり病院で降ろされた。彼は退院してきてから彼らのダンスコンクール出演のレッスンの素晴らしいアドバイスする。最後はダンスコンクールに友人、家族を巻き込み、賭け事をされ、応援も盛り上がり大騒ぎになる。賭けの低いハードルが笑わせた。
「ファーストポジション 夢に向かって跳べ 」
プロのバレリーナを目指して日々努力する少年少女8名を追ったドキュメンタリー映画。皆がいろいろな環境で夢に向かって一生懸命に努力している姿がとても美しいと思った。
「東京カワイイTV」NHK総合土曜夜
いろいろなアイディア雑貨やファッションを特集しているのが面白い。特に素人の人が作った作品で自分には思いもつかない作品ができているのが楽しみ。音楽とは直接関係がないが、新しいアイディアや発想が出ている様子はとても刺激になる。
「にっぽんの芸能 」NHKEテレ
歌舞伎能文楽等。毎週金曜日10:00より特集。ダイジェスト版で解説もあるのではじめての方も見やすいと思う。
<BOOK>
「身体意識を呼びさます 日本語のちから 」高岡英夫
ここに載っているゆる体操は、トレーニング前の準備体操にちょうど良いです。西洋医学も凄いですが、東洋医学的考えのこの本一冊でちょっとした不調や精神の不安定さ・性格のゆがみまで直るのではないかと思います。
「宮本武蔵の立ち姿(熊本・島田美術館蔵 自画像に描かれた姿)」
<参考文献> 「宮本武蔵は、なぜ強かったのか?」高岡英夫 講談社
武蔵に関する武道の本や歴史の本に武蔵の自画像が写真で掲載されていますが、時代劇で描かれている武蔵のイメージとは全く違い、強そうに見えません。
むしろ、闘いなどやる気がないような、ヨレヨレの立ち方に見えます。上半身は殊更胸を張るでもなく、背中を丸めるでもなく、ただ天空から吊るされているような姿で、「闘いのときにこんなんで本当に大丈夫なのか」と心配になりそうなくらいです。
つまり、ピンと体の軸は綺麗に伸びているものの、それを筋肉の緊張した力で構成している訳ではなく、それが良い証拠に、両の方は左右に引っ提げられた大小2本の刀の重みに任せてダラーンと下げ、膝もやっと体重を支えているかのように柔らかく曲がっています。
対して、足は爪先を浮かさず、猫の足が土を掴むように足指を力強く曲げて、踵で地面を踏んでいるように見えます。
武蔵自身は、その著書「五輪書」の第2巻「水の巻」で、「水の如き」心持ちの重要性を論じています。殊に足遣いについては、「爪先で進もうとするな」とか、「(現代人の言う)良い姿勢はダメ」と、我々の「常識」を覆すような理論を述べているのです。
人体はその半分以上が水によって形成されており、水の心(意識)で体を働かせることは、現代スポーツの運動理論とは違った意味で「合理的」なのかも知れません。
「悪役の名優 成田三樹夫の自負」
<参考文献> 「日本の社長は、なぜ責任を取らないのか」佐高信 毎日新聞社
佐高さんにとって同郷山形県酒田市の先輩にあたる人に、元大映の名悪役、成田三樹夫さん(1935~1990)がいました。
1982年の某週刊誌に成田さんの「大放言」が掲載され、これを読んだ佐高さんは快哉を叫んだといいます。
「最近の役者はいやらしいのが多すぎるよ。総理大臣主催のナントカ会にニコニコしながら出かけて行って、握手なんかしてるだろ。権力にヘタヘタする役者なんて意味ないよ。」
「俺も一言でいえば流れ者、世間でいう余計者じゃないかな。昔の河原乞食が好きなんだ。社会から追い立てられても権力をバカにするような芝居やってたわけだから。これは性根の問題、なぜ役者をやるかという問題よ。カネや名声、権力が欲しいなら役者やるなって言いたいわけよ。」
「周りも、(権力などを欲しがる役者たちを)おかしいと言わなきゃダメよ。人気スターさんです、美人女優さんです、なんてチヤホヤするから、バカがどんどん図に乗るんだよ。ハハハ」
「仁義なき戦い」で共演した菅原文太さんは、めったに役者同士で飲みにゆくことはなかったのですが、成田さんとは気が合って、何度か酒を酌み交わしたそうです。
成田さんの葬儀の際、弔辞を読んだ菅原さんは、成田さんにこう語りかけたそうです。
「あなたは芸能人ではなく、俳優であり続けたのです。」
他人に媚びず、自分の考えを持ち、妥協せずに芸を磨き続ける成田さんのような「漢(おとこ)」をこそ、自立した大人と言えるのかも知れない、そう思います。
若くして亡くなったのは残念でしたが、もし成田さんが長生きしていたら、切れ味の鋭い織田信長を演じてほしかった。ファンの一人としての希望でした。
「他人と違うことをしなければ生き残れない」岡野雅行(岡野工業代表社員)
この本の中で、岡野さんは「(今のモノづくりについて)『気持ち』をみんな忘れてる」と訴えています。
例えば、ある部分の寸法が「公差±0.01」と図面に書かれていれば、プラスマイナス100分の1ミリまでの誤差は大丈夫ということを意味します。
しかし、実際にはその中でも「気持ち、プラス側に寄せた方が良いのじゃないか」ということがあります。例えば、そうした方が、化粧品の容器の蓋が「パチン」と良い音を立ててしっかり閉まるのではないか、ということがあります。
しかし、そんな「気持ち」というものを図面上には書き記せない。大学の理工系を出た所謂「優秀な人」のやるハイテクの仕事の限界です。
その限界を超えるために、自身の創造性を活かしてより良いものを作るには、ローテクが必要になります。「ほんの気持ちもう一舐め」、「ほんの気持ちもう一擦り」というようなわずかな意識の加減が、質の良いものを作ります。これはもう図面にも作業指図書にも品質仕様書にも書き記すことができないものです。
ボイストレーニングも同じことで、練習を積み重ねても、こうすれば間違いないとか、これで満足というものには永遠にならないでしょう。むしろ、進歩、上達を目指せば、自分の今までのやり方とは違う方法に挑戦し、思うように行かずに不満が募ったり、本当にこれで良いのかと不安に陥ったりしながら、それでも生きている限りさらに上を目指して研鑽を続ける。これしかないのです。例えそれが、結果として何の報酬に与れなかったとしても。
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