V019「マック・ザ・ナイフ」 エラ・フィッツジェラルド/渡辺えり

1.歌詞と曲と演奏など
(ことば、ストーリー、ドラマ、情景描写、構成、展開、メロディ、リズム、演奏、アレンジなど)
2.歌手のこと
(声、オリジナリティ、感じたこと、伝えたいこと)
3.歌い方、練習へのアドバイス

 

 

1.クルト・ヴァイル作曲の「三文オペラ」という音楽舞台劇の、冒頭の曲がジャズに編曲されたものです。私は、オペラの舞台として「三文オペラ」に参加し、先輩と、アニメ「ジャングル大帝」の主題歌を歌っていた先生が、このメッキ・メッサー(盗賊団のボス)のダブルキャストだったので、とても印象に残っています。オペラの内容はそれほど怖くなく、不思議なハッピーエンドで終わります。ジャズに編曲されたこの曲は、オシャレで、原曲のおどろおどろしい内容とは、かなり違います。

 

2.渡辺は、なかなかよい声で歌っています。役者ということもあり、喉声に少し近いのか、何度も聞いていると、声の伸びや輝きが少なく、喉が少し辛くなります。それに比べると、エラは、同じように地声なのに、何度でも繰り返し聞けるのは、伸びや輝きが声のメインになっているからでしょうか。二人とも、ジャズの巨匠ルイ・アームストロングふうのダミ声を、途中で使っていることは、驚きです。

 

3.日本語での歌唱の場合は特に、日本語らしくなり過ぎるあまり、喉声にならないように、気をつけましょう。しっかり、声を前に出して、喉にかけ過ぎないことが大切です。(♭Ξ)

 

 

1.打楽器の一定のリズムの中で歌手が自由にことばを紡いでいく、典型的なジャズの形式の曲です。リズムが一定で、メロディも派手に動くタイプの曲ではないので、歌手の力量が必要な曲です。

 

2.渡辺が、歌手としてのクオリティがとても高いことがわかります。しかし、エラのように一音一音が体からでているという感じではなく、息がメロディにそって横に流れています。一見きれいに聞こえるのですが、音としては弱い。全部を支えて深い場所で支えられて胸の響きももった音が紡がれているのが、エラです。

高音や強く出したい箇所では、圧迫が加わりそこから密度の濃い声がでてきます。渡辺も同じような音を出そうとしているのですが、それは音を近づけているだけで圧迫が加わった声ではないです。

 

  1. 歌う前に歌詞を役者のように喋れるところから始める必要があります。体でことばを支えなければいけません。メロディを歌おうとすると息が流れてしまいます。そうすると一見きれいだけど、芯のある声からは遠のいてしまいます。少し体への負担はあるかもしれませんが、体でとらえた発声が必要です。(♭Σ)

 

 

  1. マックという鋭いナイフを持った殺し屋が町に戻ってきたかもしれない、という噂話を描いた歌詞です。軽快なメロディに乗せて歌うことで、町の住人が噂話に好奇心を駆り立てられるさまがよく表現されています。多くの歌手たちに歌われ、人によっては歌詞を少しずつ変えているので、いろいろな歌手のものを聞いてみるのも演奏の参考になると思います。

 

  1. エラは高めで明るい響きの声だと感じました。その高くて明るい響きの中に、力強くてタフな部分もしっかりと持ち合わせています。エラがライブの途中で歌詞を忘れてしまったものの、機転を利かせて即興でその状況に合った歌詞をつけたり、スキャットで盛り上げてむしろ楽しませてしまうところが凄いの一言です。そのままを模倣するお手本には不向きですが、ぜひライブ中での即興演奏とその空気感を感じてみてください。

渡辺は、曲の隅々までよく練習したと思わせる歌唱で、こちらも伸び伸びと歌っている様子もうかがえて、歌手としての活動を全く知らなかっただけに驚きです。スキャットも取り入れて歌声も緩急があり、渡辺自身のマック・ザ・ナイフに仕上げていると感じました。

 

  1. 技術的な部分(音程やリズム、歌詞の発音など)をしっかり練習した上での話になりますが、ちゃんと歌詞の内容をしっかり把握し、それぞれの単語の意味をわかった上で歌うようにしてください。ことばにするとあたりまえのように思えますが、外国語の曲を歌うときに何となくの意味は知っているという曖昧な状態で歌っている人が多いように見受けられます。特にこの曲の歌詞は次々と情景描写をしているので、単語を一つ一つ把握しているか否かで表現も大きく変わってきます。また、スキャットは即興でやらないといけないと思わずに、こう歌いたいと思うものを予め決めて、感覚が身体に馴染むまでしっかり練習してください。(♯α)

 

 

  1. もともとが音楽劇の劇中歌で、アレンジはジャズなので、きれいに歌うことよりも「セリフ」的なニュアンスでとらえるとよいのではないでしょうか。

 

  1. エラは、ジャズ的な歌い方として、他の人にはなかなか真似のできないものを持っているように感じます。それゆえ、他の人が彼女の真似をしようとしても、無理が生じたり違和感のある状態になりかねないので、真似をするという観点では参考にしない方がよいのでしょう。

渡辺は、映画やドラマだけではなく、舞台にも立たれている女優だけあって、声も表現も生き生きとしているのが印象的です。日本人として「歌」とどう向き合うかということの一つの答えを示しているように感じます。「歌手」を名乗る人よりも、ことばが明瞭で、音楽や声が生き生きと聞こえるのはなぜなのかということについて、たくさん学ぶべきところがあるように思います。

 

3.基本的に、舞台でセリフをしゃべっているようなニュアンスを大事にできるとよいですね。この喋りに音とリズムがついているというような感じでとらえましょう。ノリのよさも必要とされると思いますが、音とリズムだけが優先されてしまうとつまらない曲になってしまうと思います。ノリノリでセリフを語っているのが歌になってしまったような状態になると、理想的なのかもしれません。(♭Я)

 

 

  1. コーラスのたびに高く転調しています。9コーラスあり、G、G、♭A、A、♭B、B、C、♯Cis、♯Cisといった具合です。どこか憎み切れない主人公マックの物語を歌っていますが、エラは「ボビーダーリンやルイ・アームストロングがこの歌のレコードを作り、今エラがその残骸を作っています」とコミカルな歌詞を挿入しています。7コーラス目には彼を模したダミ声で歌っているもの印象的です。最後は「もう我々はベルリン(ライブをしていた場所)を去りますが、マックが戻ってくるのでご用心!」で臨場感のある歌詞で締めくくっています。

 

  1. 渡辺は、さすがキャリアの長い女優で、ことばも明瞭で、表現もよく伝わってきます。歌に比重をおくというより、ストーリーテラーであることに比重を置いて、ときにシリアスに、ときにコミカルに語るように表現しています。エラがルイ・アームストロングを真似したダミ声を真似し、「田舎のジャズ喫茶で初めてエラを聞いていつか歌おうと思った」と、コミカルな歌詞を入れ、エラのバージョンの歌詞をさらに模倣したものとなっているのも洒落がきいています。

エラは、非常に臨場感のある歌詞で、即興的なスキャットも織り交ぜ、お客さんとの一体感を作り上げ、場を最高に盛り上げています。この即興でお客を喜ばすということがジャズの醍醐味なのではないでしょうか。それを毎ステージ成し遂げている時点で、もう天才としか言いようがないと思います。声も女性歌手にしてはなかなか出しにくいルイ・アームストロングのようなダミ声を模している点も大変魅力的です。歌と本人が完全に一体となって演奏しているように感じます。

 

  1. この曲を歌うには、歌詞の内容をよく理解し、どのような登場人物でどのように描き出すかという背景をしっかり作ることをおすすめします。単に音とことばを真似してもうまくいかないでしょう。渡辺の人物解釈を真似して取り入れれば歌いやすいかもしれません。次に自分なりの歌詞解釈をして、歌ってみてください。歌詞もオリジナルのものを挿入できたらいいですね。(♯β)

 

 

1.曲の特徴が二つあります。はじめ、コードの第6音を歌うということ。(Cに対して、ラの音。)そして、1コーラスごとに転調して半音上がる、ということです。壊れたレコードのように、テンションが上がっていきます。

 

2.エラのエネルギーのある歌唱に引き込まれます。転調も何度もあり、すごく音域の広い曲のように聞こえますが、オクターブと少しです。狭い音域を広く聞かせる、というのもすごいテクニックだと思います。ちなみにエラは、この当時有名だった曲をライブで思いつきで即興でカバーしたらしく、歌詞を間違えたり、「忘れちゃったわ」と歌ったり、スキャットでごまかしたり、とひどいものです。欠点を補って余りある魅力ですね。

渡辺の歌唱は、6度が低めで、そこが独特の雰囲気でよいです。

 

3.エラの音源をつけて、一緒に歌います。(渡辺のものより音域が広いのでエラの方がトレーニングには適します。)一緒に歌うことで、音感、転調、発声のトレーニングができます。まずは音感。第6音をとるのは難しいので、その感覚をつかみましょう。初めの2コーラスを繰り返して練習します。第6音の感覚が身についたら、2コーラス目から先に進みます。転調のトレーニング。半音ずつ上がる転調が繰り返されます。(はじめト長調と最後変ニ長調は2回ずつ。)転調するときに、コードの感覚と第6音の感覚が難しくなります。ついていけるようにしましょう。実際に出す声と、頭の中の整理を冷静につけるようにしましょう。通して歌うと半音ずつ上がるので、発声練習になります。失礼な使い方かもしれませんが、楽しく発声練習できます。(♭∴)

 

 

  1. ブレヒト三文オペラ』の劇中歌で、殺し屋メッキー(マック)の完璧な「仕事ぶり」について人々が噂する、といった内容。ジャズふうに編曲されて大流行しました。特にルイ・アームストロングによる歌唱で一躍有名曲となり、今日ではジャズのスタンダードナンバーとして扱われています。エラ・フィッツジェラルドは一部分を「ルイ・アームストロングも歌ってる」という歌詞に変えて、続くスキャットルイ・アームストロングふうの骨太な歌声で披露しています。

 

  1. エラの声はトップノートこそキュートな印象ですが、元来リッチな声質の声帯を薄く使って、よく通る明るい声に鍛え上げているように感じます。ルイ・アームストロングの物真似で聞かせてくれる力強いダミ声は、軽いだけの喉では表現できないものです。

渡辺の歌唱はとても自然で安定感抜群。歌手より役者として活躍している人なのでレベルの高さに驚きました。深い呼吸に裏づけられたブレない発声だと感じました。

 

3.歌唱パートのリズムは単純ですが、ビートをよく感じでダレないように。どんどんキーが上がっていく曲なので、どの調で歌えば無理なく効果的な演奏が可能かの見極めも大切です。(♯∂)

 

 

「福島英のヴォイストレーニングとレッスン曲の歩み」より

30.エラ・フィッツジェラルド 「マック・ザ・ナイフ

 

  感心したのは、歌手でなく、渡辺えりの「マック・ザ・ナイフ」です。長い歌詞もうまく訳して、見事に処理していました。もちろん、エラ・フィッツジェラルド版がお勧めです。