アマリア・ロドリゲス

何かが違うのではないかという気がしてしょうがない。
今まで「耳が聴ける」ということがわからないとは思っていたけれど、
心の底から全くわからないとは思っていなかった。
それが何なのかは全然わからないのだが、
今初めて「何か違う」ということばが私の頭に飛び込んできたのだ。

アマリア・ロドリゲスはピアフとは違うけど、
同じようにことばが後から後からかぶさっていくようなところがある。
そのリズムについていけない。追いついたと思ったら待ってるし、
こっちがひと呼吸おいてる間にもう走り出している。
それは曲がスローだとかアップテンポだとか、そういうことでの違いじゃない。
とにかくつかまえられないのだ。
曲が始まると、どんどん滑り出していくあの感覚は、私にはわからない。

ファドというジャンルは、
歌詞をみるとポルトガルという国の歴史や国に対する想い、
生活している人々の姿など、いろんなことがわかる。
決して明るい曲ではないが、強く生きてゆこうとする姿勢がみえる。
イワシの歌なんてかわいらしいのだけど、
アマリアが歌うと、歌詞のことばの世界が音によって、
どんどん広がっていくのがわかる。
アマリアのように、生きてきた中でのつらいこと、苦しいことを、
歌にすることができるというのは幸せなことだ。

ステージに立つアマリアは存在感に溢れていた。
黒の衣装で身をつつみ、ほとんど動きもせずに、あごを少し上にして歌っていた。
あごをすっと上にしたまま歌っていて苦しくないのかと思ったけれど、
あれが彼女のしぜんなスタイルなのだろう。
歌うということは自分の感情を一つの世界にして伝えるだけだ。
本物は皆そうだ。何も余計なものがついていない。
ことばを音に乗せ伝えるだけ。(K)