フランク永井

僕は男性の低音の響きがとにかく好きなのです。
と言っても、クラシック的な「ベース」の、地面をビビらせるような「重低音」じゃなく、パートでいえば「バリトン」くらいの、甘さを含んだ低音、いわゆる「オスの声」と言う奴ですね。
ナット・キング・コールフランク・シナトラメル・トーメなど、ジャズの大御所はおおむねこの声域に入ると思われますが、わが国でいえば、やはり「フランク永井」を上げなければならないでしょう。
フランク永井
1932年、宮城県生まれ。
昭和26年ごろに東京へ出て就職していた兄を頼り上京。進駐軍のキャンプ地でのアルバイト生活を経て、アメリカ軍のクラブ歌手として契約する。さまざまな「のど自慢大会」に出場し、「のど自慢荒らし」の異名をとったが、1955年『素人のど自慢』の年間ベストワンに選ばれたのを機に、メジャー契約。
やはり、戦後すぐに登場した歌手と言うのは、何らかの形で「進駐軍」の影響を受けているんですね。
はじめはジャズ歌手として活動していましたがヒットに恵まれず、先輩のディック・ミネや作曲家の吉田正のアドバイスで歌謡曲に転向。
1957年(昭和32年)『有楽町で逢いましょう』が空前のヒットとなり、一躍トップスターに。
また自ら見出した松尾和子と共に歌った1959年(昭和34年)の『東京ナイト・クラブ』は、デュエットソングの定番として2000年代においても歌い継がれています。
有楽町で逢いましょう』って、実は当時有楽町駅前にあった「有楽町そごう」のキャンペーンソングだったんですね。イキなもんですねぇ。
あの場所にはいま、さる「大型家電量販店」が入っていますが、そのテーマソングといえば
「びぃ~っく、ビッ○ビッ○ビッ○カメラ!」とただ連呼するだけ。
いやはや、50年前は世の中ゆったりしてた、というか、今現在が味気なさすぎると言うか・・・
それはさておき、フランク永井はその後も、
君恋し(1961)
霧子のタンゴ (1962)
大阪ろまん (1966)
お前に(1972、1977年再録)
と、立て続けに大ヒットを記録。
一流歌手の証し、「NHK紅白歌合戦」にも1957年から連続出場、常連となっていました。
変り種は1982年、山下達郎プロデュースの「WOMAN」で、ここでは達郎サウンドに乗せて、かつてのジャズ歌手フランク永井の面目躍如を見せています。
異変が起こったのは1985年。かねてからの借金苦や愛人問題を原因とする騒動に疲れ、発作的に自殺未遂を起こし、一命は取り留めたものの脳に重い障害が残り、以後長い入院生活に入りました。
一時は持ち直し、「復帰間近か」と報道されることもありましたが結局かなわず、2008年永眠。
歌手としての黄金期の最中に活動を休止して二十数年。しかし彼を超える「低音の魅力」はいまだに現れていません。
一人夜更けに聞くフランク永井は・・・渋い!