セルジオ・エンドリゴ 「Adesso si(去り行く今)」

“人ごみの中へ消えていく。見知らぬ世界へと去っていく愛しい人。” 原詞は相手を想う、悲しく切ない美しい詩である。課題としてこの曲を練習する人も多いと思うが、ただリスナーとして聞いていれば何気なく流して聞いてしまうが、最初のフレーズ“adesso si, adesso che, tu vai lontano”までだけでも、体と息をきちんと使えることから始め、ひとつひとつの基本的な要素をあげていけば、この部分だけでもキリがないほど膨大な課題がまっている。
 
歌詞は哀しいのになぜかメロディは明るい温かい印象を与え、メロディの構造も安定したつくりになっていることからも、相手が“去る”ことに対して、別れを受け止めなくてはならない、見送るという現実がここにある、相手の意思を尊重しているという微妙な心情が感じられる。そしてその中で、la nostre la crime のあたりはサビへの悲しい想いをほのかに感じさながらも、non servo no piuへと気持ちを抑えているような、白黒がはっきりする世界ではなく、光と影のような部分である。何気なくエンドリゴは歌うが、かすかなところも深い味わいの中で漂う。言葉だけではなく、そしてメロディだけではなく、こうして歌詞とメロディの間で生まれて見えてくるもの、繊細に動き続けている部分を出すことができること、それがより心に迫ってくるということも歌という表現がもつすばらしさなのではないかと感じた。
そしてサビからは、安定し、見送るという現実を認めていたAパートから、本当はそれがどれほど悲しいかがメロディと歌詞共に現れてくる。Aパートとは対照的に、サビは不安定な動きをする作りになっており、感情で乱れそうになっている精神状態も感じられる。例えばsenza di meのme(私)であり、曲の中でその調の中の一番メインとなる音が、サビの中になるとオクターヴとして曲の中の最高音として現れ、ここに“私”の希望がある、到達しとどまりたいという願いがありながらも、それができない悲しい不安定なメロディの動きに引き戻されていくのが切ないつくりになっている。そしてどうすることもできず相手を見送るというような現実に戻っていくような感じで、adessoへと続いていく。最初のadessoとサビの後の後半のadessoでは、エンドリゴのものも表情がだいぶ変化しているのが感じられる。
いろんな構造の曲がたくさんある中で、シンプルで何てことない曲にも見受けられるかもしれないが、吟味すればするほど、心打たれる作品である。シンガーソングライターとして活躍したエンドリゴ。今日ではあまりみることのできなくなった味わい深い歌の表現者である。