エディット・ピアフ 「La Foule(群衆)」

1957年に発表されたLa Foule(邦題:群衆)。晩年の映像をみながら、彼女には、スポットライト1つあればいい、その他の舞台演出など必要ないと思った。それほどに、一人の歌い手として完全な存在であると感じられた。CDでは、オーケストラの演奏も絶妙で味があり、構成もすばらしく、ピアフの鋭くたたみかけるような歌声と、共に緊迫感漂うイメージの中、例えばイントロが終わり、最初のパートの8小節あたりのオーケストラとピアフの歌がそれぞれ華麗な描きをしながら、シンクロする様などぞくぞくどんどん心を奪われていく。ピアフの歌の入りも、バシッとしていて、どの曲を聞いても、つねにクリアで無駄な甘さ、甘えがなく、鋭く爽快である。そしてメロディーがそこにあるという感覚すら感じさせないほど、突き破るように徹底したものが聴き手の心に飛び込んでくる。まるでこの歌の主人公が人ごみの渦から恋する相手の胸に飛び込んでいったように。歌っているのでもなく、芝居でもなく、表現をしているというなどそういった手前の感覚を忘れさせ、ひたすら飛び込んでくる。本当に自由だからなのだろう。
マイナー調の曲調に、雑踏にまぎれ、緊迫した印象も与える中で、一瞬あたたかい光が入るような、ワルツを踊るような遊びができる部分が繰り返されていくが、ここをピアフは2度目、3度目とどんどん飛んだり、跳ねたり踏んだり、かみついたり、巧みに引いて押して、それでいて曲がぶれず、壊れず、すごく面白いため、まったく飽きさせない。また、渦に飲み込まれないように、底から這い上がってきたような、たくましいピアフの姿、その人生をこういった部分からも感じる。実際には私たちからすれば、曲への深い吸収力と発信力、大きなイメージと集中力なども含め、自在にやりたいように描けるための、相当にいろんなテクニックが細かく入っているが、まるでもともと彼女の中にその曲があってでてきたというほどに自然で隙がない。心臓の鼓動までも作品の中に聞こえてくるような力強さ。こんなにリアルなのかと思う。ゆるみがなく、スリルがあり、毒がある。そして無駄をばっさり切るような快感も覚える。時に攻撃的で、一瞬みせるギラっとした眼差し。路上で育ち、修羅場を生き抜いてきたパワーや凄みは晩年になっても変わらなかった。偽りのない芯の強さが肉体からも声からも突き抜けて出てくる。真に働きかけてくる歌い手ほど、皆、生ぬるさがなく、生活や人生、その全てが作品に結びついていることを感じている。