ジリオラ・チンクウェッテイ「アネマエコーレ」 (アルバム ベスト オブ ジリオラチンクェッティ)

イントロにギターの美しい旋律が入り、そこにふっとやさしく艶やかに奏でる美声に、一気に引きつけられる。最初のnuje ca perdimmo~を聞いただけで、聞き手を既にその心の空間の中へおく。なんとも言えないこの印象。その繊細さ、可憐さ、そして瑞々しさは、作為がなく、無駄な力みもない。心の中に降り注ぐものをそのまま描いていくような純粋さは、聞き手の中へすっと入っていく。
ライブ録音のものもいいが、この曲については、この初期の頃に歌われたアルバムの録音が安定し、バランスよく心地よい。
詞の内容そのものは、本人自身が時を重ね、経験を重ねより身に沁みて、見えてくることが多いかもしれないが、この頃のチンクウェッティやミルバ、ジルダジョルダーニなど、10代の頃から既にベテラン並みの技量をもち、大作を歌ってきたアーティストたちは、音楽的処理の能力が非常に優れ、それと共に既に哀愁や渋さなど深い味わいを漂わす。そこに自然に歌詞の言葉が結びついている。また、映像をみていると、チンクウェッティは非常に感受性も高く、イメージをたくさんもっていることが感じられる。そして、本当にいい作品には、その人の性別や年齢、身体や時を超えてまで、霊的なものが感じられる気がする。そしてその見えない何かに聴衆の心も惹きつけられ、動かされていると思われる。
アネマ・エ・コーレ。魂と心という意味をもつ。イタリア語詞そのものをみていると、様々な解釈ができ、イメージもいろいろと連想することができるが、亡くした愛する人を今でも強く思う心、もしくは愛する人と死ぬまで一緒にいたいと願う心が描かれている。
美しいイントロを壊さずに、自然な丁寧な入りで、マイナー調の少し暗いイメージの中、繊細な語りが始まる。最初のnuje ca perdimmo~nun so sti vocche ojne! までの4フレーズのメロディラインは、最初に上昇し、次に下降し、低いところで彷徨うように、その次も上がるもの消極的でやはり語尾は下がるところから、歌詞と合わせて、愛する人に伝えたい思いの中に主人公の葛藤やもどかしさを感じる。チンクウェッティはここを吐息ではなく、言葉はしっかりと聞こえるが、与える印象は吐息のような繊細さや淡さをもち、力を抜いて、ゆったりと聞かせる。心の内だから、、と言うような控えさをもちつつも、小さくならず、存在感は大きい。筆をスーとひくように、やわらかくグラデュレーションが入っていく。フレーズを緩やかに膨らませ語尾をそっと置く様、そして次のフレーズの頭へと繋げていく様も、息の流れ、描く様、その間や入りが、とても優雅である。Pure te chiammo ~から平行調で一時転調し、メジャー調になり、影から一寸の光が差し込む。このnun rispunne! (あなたは答えてくれない!)で、既にサビの前でこの曲の最高音が現れる。もどかしくしていたが、でも伝えたいの!というように気持ちが熱くこみあげた瞬間でもあり、それがきっかけとなって、peffa dispietto a mmeで、今までの語り、そして次にくる真に伝えたい想いを伝えるサビへのゆるやかに流れが変わっていく合図が送られる。既にここまでで1オクターヴ強、音の行き来があるが、それを感じさせず、丁寧に語りを聞かせている。歌い手によっては、もしくは曲によっては、サビの高揚感を早く聞きたいと思わせるのもあるが、この曲は、チンクウェッティのこの語りがあまりにも心地よく美しいので、個人的には、このAメロを聞いただけでも十分満足するのだが、ここまで気持ちよく聞かせながら、よりサビを温かくやわらかく大きく仕上げていく様にもまた改めて驚かされる。
Tenimmoce accusi~から新たにメジャー調に転調し、テンポも変わり、跳躍を繰り返すサビが始まる。Aメロで描いてきたこととのつながりの自然さ、巧みさ。光が広がっていく様に、温かみを増していく。この色彩のバランスが美しい。ドーンとがっつり踏み込むタイプではなく、緩やかに穏やかに雲が流れ、光が降り注いでくる様なやさしさをもつ。心の中の光と影をみているような気持ちになる。そして明るいながらも、どこか物悲しく、切なさも感じられる。独特の繊細なビヴラートも織り混ざる。そして高音から下りてくるAnema e coreの置き方が流れの中で、そっと丁寧にこの曲により深みを与え巧みである。歌い手によって方法は様々だが、このtennimoce accussi~anema e coreをどうおくか前後の関係と共に、歌がもつ深さを伝えるのは、とても難しく、とても重要である。tennimoce~nunce ~stu desiderioまで3つの山のような感じのフレーズがあり、次のCampa cu tte, sempe cu tte, penun murir とそれをまた繰り返すように、別の言い方で3つの山があり、それらの間、微妙なタイミングも、イメージと息と気持ちなどすべてが統一した上で、チンクウェッティは自然とバランスよく効果的に描いている。水が流れるように、息の流れが心地よい。そしてChe ce ~再びサビの最初と同じ形の山がでてくるが、次のsiobene… respiroで、再びこの曲の最高音がでて、主人公の心情がより熱くなり、そのままsi sumanie pure tu pe chist amoreと、メロディも上にいたい力が強く動く。このsi sumanie ~のところは、サビ全体はメジャー調でありながら、平行調であるマイナー調を漂わせている部分でもあるので、高音続きで熱いながらも、切なく、悲しさがより含まれていると感じられる。チンクウェッティはこのクライマックスへもっていく様も、力で押さず、ゆるやかさをキープしながら華麗に、繊細に描く。そして印象深く最後のAnema e coreを残して、二番へ。しっかりと緻密なイメージがないと、二番になると、描きが弱くなったり、力んで押してしまいがちでだが、ここでよりチンクウェッティは静寂の中にある情熱をより繊細により深く描く。より影と光の度合いを巧みに自然にみせていく。サビになり、今までふくらまし描いてきたことにより、Campa cutte~のあたりも色彩によりグラデュレーションが自然とでてきて、最後のクライマックスへ、前向きに生きていこうという意志と共に、より切なく、悲しさも増す。実際に泣いている訳でも鳴き声でもないが、そこには涙も感じられる。閉めのAnema e core もスケールは大きく、光が照らし続けるような余韻を残しつつ、穏やかにやわらかく置き、聴き手に歌が終わっても、空間に美しいイメージが残していく。 
音楽には、繊細さが本当に重要であることを改めて知らされる。
チンクウェッティの自然さ、その描き方、個性や声質、そして技量と共に、この曲と彼女はよく合い、運命的な出会いをしたと思う。