アレサ・フランクリン「THINK」

イントロで、think,think,think,thinkと例えば曲のキーをCとすると、ド、ド、ド、ドとその後もメインとなってくる主音のドがひたすら続くが、試しにこの部分だけやってみれば、thinkと体で言い切ること、ましてやそれを歌の中で連続してやるということが本当に難しい。彼らの声の大きさ、芯のあるのびやかな柔軟さなど、その質や、発達の違い、感覚の大きな違いを思う。その後のAパートもシドシドシドシドと続くだけであるが、1音アーと一流のオペラ歌手が歌ってひっくり返りそうなほど感動するように、これもまたこんなに単純な部分が、リズムと溶け合い豊かに鳴り、表現していることを改めて感じる。You better think,~let yourself be freeまでをAパートとしたら、たとえばこのthinkとひたすらでてくるドに向かって常にメロディが集中していきたがるところからも、thinkと歌詞だけでなく、メロディの中でも、強くなにかを主張していることが感じられる。そしてBパートをサビの手前までの、let’s go back~what you doing to meとすると、Aパート以上によりパワーアップして訴えつづけ、この主張のドを中心にその周りを派手に走り回ってふりまわす。そしてもう一度Aパートを入れる、入れないバージョンでも、次のサビでfreedom~freedom~freedomと再びドから始まり、ブルーススケールが上昇していく中で、think=freedomだったのかと、この強い主張は、実は自由がほしかったのかという感じもみえてくることも面白い。2番はそこから応用をつくる。これだけいろいろなことが起きていても、曲自体は2コードだけでできていて、これをもっとシンプルにやっても可能なくらいで、そぎ落としてみると、打楽器と歌だけのアフリカの伝統音楽だと思うほど、この曲とアーティストのベース、ルーツとなっているものがある。そこで、リズムの捉え方も、そのルーツから発信されていて、突き立っている要素が要となり、体の芯から発し、こちらからみれば、彼らはうら拍が1とカウントするような感覚の中で、thinkとコールしたら、すぐにコーラスと楽器がパーンとレスポンスしている。
また喉に相当かかってやっていても強いのか、多少声はぶれたり、かすれても、リズムだけは絶対にぶれていない。歌うのが先ではなく、呼吸、そしてそこにビートが先にあるのかもしれない。様々なジャンルの音楽が日本にもあり流行るが、リズムを立てる、発する感覚は日本人が実践すると難しすぎるように思われる。まず違いが聞き取れること、そこから様々な練習はあるが、だんだんと先に歌うことに精いっぱいになったり、その曲の雰囲気ばかりにのせることに走り、彼らのようにズドーンというインパクトが生まれていない。日本から海外へ修行にいくベーシストやパーカッショニストなど多くのミュージシャンも悩むことで、日本人の歌い手、歌となると本当に難しいことである。つねに自分の足元をどの芸術分野もみつめることになるが、もしポップスやその他の洋楽をやるときは、一人ひとりそれぞれでありながらも、相当いろんな面での切り替え力が必要になるかもしれない。ノリ、リズムそこからくる間の取り方、そういったところも彼らにとっては、わざわざ切り替えるという感じがなく、先祖代々、生活の中、もしくはその延長にあることなので、自然とあり、自然とやる。その中で、既に伝説となり、化石のような、黄金の存在となったアレサは、やはり多くの面で強烈で、2011年の今年も相変わらずライブでこの曲をパワフルに歌っている。

台湾少数民族ブヌンのアワの豊作を祈る歌「Pasibutbut」      
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13人のブヌン族の男たちが手をつなぎ輪になり左右に揺れながら歌う。4部に分かれ、それぞれがそのパートの一音をロングトーンでずっと発声し続ける。4部合唱であるが、倍音がきこえ、厚みのある音が、大地の中で共鳴し、ものすごいエネルギーを放つ。自然の音を表現したとつたえられ、日本人の耳には、雅楽で使われる楽器、笙にも聞こえる。滝の中に打たれるように、あの輪の真ん中に入り、その共鳴を聴いてみたい。また、太古の日本人にもこのような歌が生活の中であったのではと感じた。貴重な原始のハーモニーであった。