ニール・ヤング

 ロックとは何か? という問い掛けはチャック・ベリーやビル・ヘイリーの出現以降いつの時代もそれぞれの立場でなされてきたわけだけれど、真面目な顔をして「反体制」とつぶやいたところで、元手はなくともこれほど稼いでくれる発明は稀なのだから、まさに体制そのものである英米資本主義のもっとも優秀な産物であるという言い方もできる。表現であるとともに商品。ロックとはつまり矛盾そのものなのだ。
 パンクなどはまさにその典型で、頭をスパイキーにして唾を吐きまくり、「三十以上の人間は信用すんな」と叫んでも、その楽曲が売れなければロッカーのステータスは落ちる。世間に中指を立てつつ、世間に愛されなければ存在し得ない部分がロックの按配というやつで、このバランスの妙を失うと、いかに突っ込んだことを歌っていてもランキング外に弾き飛ばされる運命となる。
 長く愛されるロッカーというのは、だからそれだけでも凄い。仮に四十年間ランキング入りし続けたロッカーがいるとすれば、彼は四十年間反骨を通したのであり、同時に四十年間按配の上でサーフィンをし続けたのである。
 ニール・ヤングがそうだ。
 独特のなめらかなハイトーンボイス。器用とは決して言えないギター。大きなノリの楽曲。プロレスラーみたいな凄みのある顔。いろいろと言い方はあるかもしれないが、常にその時代に応じた反体制を臭わせつつ、彼はシンガーとして愛され続けた。
 ボクが初めて彼のアルバムを入手したのは1978年録音の「RUST NEVER SLEEPS」(放っておくと錆びつくぜ)で、そのオープニング曲の「MY MY, HEY HEY」とクロージングの「HEY HEY, MY MY」に、なんだこれは? という驚きとともに、まさに反骨の按配であるところの彼の志というものを感じ取り、ロックにはもうひとつ「誰かに向けられた愛情」という定義もたしかにあると確信したのだった。
 このよくわからないタイトルの2曲は、セックス・ピストルズ解散後のジョニー・ロットンに向けた呼びかけのような歌詞だ。
 キング(ロットン)は去った。でも忘れ去られることはない。錆びつくよりは燃え尽きた方がいいのさ。ロックンロールは決して死なない。
 というようなことを歌っている。反体制の旗手であったセックス・ピストルズが、同時にパンクという新しい音楽産業の稼ぎ手でもあるという矛盾から、メンバーがどれほど苦しんだか。ニール・ヤングにはそれがきっとわかったのである。だが、その矛盾も含めてロックは死なないと言い切るのだ。
 好戦的なブッシュ政権時代、ニール・ヤングはあからさまな反ブッシュ・コンサートをやり続けた。そのために米本土では反発も受けた。でも同時に、聴衆は知っていた。それが彼の深いところからのメッセージであるなら、最後に人々がまた集まってくるのはニール・ヤングの方だと。
 日本ではあまり知られていないことだが、実はニール・ヤングのもう一つの顔はおもちゃプランナーである。おもちゃの製作者として受賞もしている。三人のお子さんのうち、二人までが脳性麻痺のハンディキャッパーなので、彼は積み木の角をすべて削るなど、子供に与えるおもちゃを手作りしだした。それが発端でおもちゃ界でも反骨の士となったのだが、つまり彼の反体制とは、常に人間愛に則った上での率直な言葉なのだ。なんでもかんでも反発するのではなく、胸の温かさに基本を於いた上での反権力ロック。これこそが彼の按配の本質なのだ。
 日本では、忌野清志郎さんが彼に近い存在であったと思う。