詩は、幼い我が子の死(長女が生後7日で亡くなり、14年後に生まれた女の子も2歳で亡くしている。)に対する鎮魂歌説や、親戚の急死した子供、あるいは、一般的に幼くして亡くなった子供たちへの鎮魂の意味が込められているなどと言われていますが、作詞した野口雨情は、そのことには言及していません。ただ、曲頭に、「ゆかいに」と指示があるにもかかわらず、ピョンコ節が多い中山晋平の作曲ですが、スキップのリズムは、最も後半の2ヶ所しかありません。それでもメロディーはやはり、中山晋平らしく、長調なのでほぼ日本固有のヨナ抜き音階になっています。
歌の出だしは、最低音の属音で始まり、3小節目ですでに、最高音の高い主音にたどり着きます。4小節単位の1フレーズ目が、中間の属音で終わった後、少し下の第三音から始まった2フレーズ目は、1フレーズ目とは異なり中間の音を行き来して、低い主音に落ち着きます。これが1番、2番と続いた後、高い主音の連続に続いて、低い主音から属音に上がって、また主音に戻り、曲は終わります。曲頭に、「ゆかいに」との記載がなければ、まさに鎮魂歌のように歌ってしまいそうな、詩と曲です。([E:#x266D]Ξ)
歌唱上難しいという部分はないかと思いますが、トレーニングメニュとして注意してみるといいのは「ん」ということばです。母音と同じレベルで「ん」を扱うことは案外難しく「ん」で終わるのではなく前後の他の言葉があるときの「ん」は支え、響き、音程をキープするのが難しいですし、気を遣う部分です。その「ん」がわりと韻を踏んだようにフレーズの最後に頻発しますのでトレーニングとしてはその部分で注意してやるといい教材になると思います。
そしてこの曲は案外レガートに歌わないと雰囲気が出ません。しゃぼん玉がとぶ感じは跳ねて歌い過ぎるとでないのではないでしょうか。
しかし、注意下記にもあるように、作詞家が幼い子供をシャボン玉として比喩でつかっているのであれば多少元気よく歌ってもいいのかもしれません。この2点に注意してみると「レガート」「母音と有声子音のつなぎ」という訓練にはとてもいいと思います。([E:#x266D]Σ)
幼いころに歌ったり聴いたりしたことのある人は多いのではないかと思います。音楽の雰囲気は非常に明るいものですが、歌詞だけを見てみると、少し悲しい感じの詞であることがわかります。この曲の裏にある、作詞者の悲しい出来事が重ねられているように感じます。
非常にシンプルな曲ではありますが、一方で、あたかもしゃぼん玉のような繊細な表現も必要とされています。冒頭の「しゃぼんだまとんだやねまでとんだ」の部分は、しゃぼん玉が屋根まで上がっていく様子を、ポジティブな気持ちで表現していきたいです。「やねまでとんでこわれてきえた」の部分は、特に「こわれてきえた」のところで、しゃぼん玉が急に割れてしまった様子をイメージすることを大事にし、「きえた」はとても丁寧に、あたかもしゃぼん玉が割れた様子を表すかのように、繊細に表現していけると理想だと思います。
2番は、「しゃぼんだまきえたとばずにきえた」の部分でがっかりした様子が欲しいところです。「うまれてすぐに
こわれてきえた」は、がっかりしつつ、繊細に表現できると理想的だと思います。「かぜかぜふくな」の部分は伴奏がなくなりますので、少し前向きな気持ちでたっぷり歌うと良いでしょう。最後の「しゃぼんだまとばそ」は、最後が「飛ばそう」ではなく「とばそ」となっていることから、丁寧に少し軽やかに歌うといいのではないかと思います。([E:#x266D]Я)