古今亭志ん朝

ある知り合いのボイスタレントの方から落語を勧められ、聞き始めてから3年ほど経ちます。最初の落語のイメージは古臭いし、役に立つことがあるのかなと半信半疑な思いでした。しかし勧められたこともあり、とにかく聞いてみようと何人かの落語家をCDで聞くようになりました。
初めは内容に惹かれたことを覚えています。現代では失われている義理、人情の世界が展開されていて心あたたまる思いがして、何度も聞いてみたいと思うようになりました。ある意味、娯楽として趣味として落語と付き合ってもよいのかなという感じでした。
そんな中で古今亭志ん朝との出会いがありました。最初はCDでしたから、声だけを聴いていたのですが、映像が思い浮かぶほど、それも志ん朝ではなく、噺の中に出てくる主人公が生き生きと浮かび上がってきたのです。とても感動した記憶があります。
彼は若い頃、お芝居に夢中で、新劇に出演しているほどでしたが、ある時期二足のわらじではなく、落語家として生きていくことを決めたのです。彼の父は、落語の世界では知らない人がいないという名人・古今亭志ん生なのです。志ん生の次男として生まれ、長男も落語家。そんな家系に生まれてきたのも、運命といえば運命でしょうが、若者にとってみたら、その不自由さにがんじがらめで、落語家として生きていくことに対して悩んでしまうのかもしれません。
そんな中、落語家として進んでいくことになり、その演劇での経験が落語に大きく影響を与えたのではないかと思うのです。落語は落語でも、志ん朝の落語は、どこかお芝居がかっていて、見ていて楽しく、声の張りも心地よく、とても新鮮なのです。
彼の作品の中でお薦めは「高田馬場」という噺です。この噺の中に3分ほど、「がまの油」の口上があります。この口上は必聴です。(CDで聞くことができます。)この口上を初めて聞いたときの感動は今も忘れられません。テンポやリズムの小気味よさ、そして技術の裏づけ、ことばがうねっていく様、こういったものがミックスされて、じわっと涙がわいてきたのです。芸の奥の深さに感動を覚えたのです。