Joy Norman

 ニューファンドランド北米大陸最東端の島で、カナダのニューファンドランド・ラブラドール州の中心地である。州都のセント・ジョンズという街もこの島にある。島といっても、我が国の本州を半分にしたくらいの面積はあり、年間の三分の一は霧に覆われるという特殊な場所でありながら、五十万人ほどのアイルランド系移民が住んでいる。1949年にカナダ領に組み込まれるまでは英国の自治領で、欧州からは独立国家的な扱いも受けていた。今でも何かあれば、住民の多くはカナダ国旗ではなく、ニューファンドランドの旗を掲げる。
 ジョイ・ノーマンは、アイリッシュ系音楽が盛んなこの島に於いて、十六才という年齢でデビューしたシンガーだ。なぜかYouTubeでは一曲のみ、「Cape Shore Lady」がupされているだけだが、ちょうど奄美大島に於ける元ちとせのように、地元ニューファンドランドでの人気は高い。知らない人はいない存在で、彼女がなぜ歌姫になったのか、その経緯も含めてニューファンドランダーたちはジョイ・ノーマンを誇りに思っている。
 ジョイが育ったのは、ニューファンドランダーも「え?」と絶句するほどの寒村で、海風をもろに受ける断崖に建てられた小さな家だった。父親はタラ漁の漁師で、彼女は父親の帰りを港で待ちながら、波止場でいつも歌っていた。その歌は父親が教えたもので、アイルランド系の貧しい移民たちがどんなふうに暮らしてきたのか、まるで物語を聴くかのように起承転結を提示する作りになっている。
 実際、移民たちの生活はひどくタフなものだったらしい。ジョイの父親はレッドアイランドという小さな島の出身だが、ここはカナダ政府の強制移住政策が施行された地域で、家が柱ごと切断されて海の上をじかに運ばれるといった乱暴な行政に苦しめられた。そうした現実の中で、希望を失わずに生きる努力とはどんなものだったのか、祖国や伝統は何を意味したのか、貧しさとは何だったのかというあたりが物語として歌われてきた。そしてそれを継いだのが、海風に吹かれながらも歌い続けてきたジョイであった。
 ニューファンドランド・ラブラドール州という限定された場所でありながら一応はメジャー・デビューしている彼女。澄んだ上に安定している歌声が広大な空と海を感じさせるのは間違いない。ただそれ以上に刺激を受けるのは、世の中の歌はAメロBメロ・サビでできているものばかりではないという発見である。
 ポップスが世界を覆ってから、我々はパターンを組み合わせる曲作り、歌詞作りというものをほぼ規則のように受け入れてきた。しかし、一度もリフレインを使うことなく、物語を伝えるための、まるで小説のように歌詞が展開していく歌世界もある。
 何もかもマンネリしたような気分になった時は、他国の辺境の人々の歌心に耳を傾けるのもいいかもしれない。
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