テッド・ロス

 不慮の死から一年、マイケル・ジャクソンの人気はいまだ衰えずといった感がある。いや、むしろああいう去り方をしたからこそ、美しい記憶のみをファンはつなぎとめ、彼を天空に留まらせ続けているのかもしれない。
 一方、主役ではなかったがために人気とは無縁。強烈な個性を残しながら、その死とともに忘れ去られたような人もいる。
 個人的な話で申し訳ないが、今、フルメイクの道化師として歌う自分のステージがかろうじて成り立っているのは、この人に負うところが多い。テッド・ロスという黒人ミュージカル俳優をご存知だろうか。
 オズの魔法使いの黒人版「THE WIZ(ザ・ウイズ)」でライオンを演じた俳優である。ブロードウエイではこのライオン役でトニー賞助演男優賞を取り、そしてモータウン・レコードダイアナ・ロスマイケル・ジャクソンのために制作した映画版でも見事にその役をやってのけた。2002年に68歳で亡くなったが、私の頭の中ではいまだに彼の演技と歌が生き続けている。
 この映画を初めて見たのは30年近く前の新宿で、ミュージカル映画4本立てオールナイトという企画だった。勇気のないライオンがドロシー役のダイアナ・ロスに励まされながら「もともとそれは自分の内側にあったのだ」と気付き歌い上げる「Be a lion」という曲がとにかく秀逸で、かかし役で共演しているマイケル・ジャクソンすら霞み、続けて見たはずの「The Rose」や「Hair」までがどこかに吹っ飛んでしまった。
 もちろんこういうことはそれぞれその時の感じ方によるのだから、「The Rose」のベット・ミドラーよりテッド・ロスの方が印象深かったというのは今振り返ってみても不思議な話だ。ちょうど二十歳の頃だったから、うすうす気付き始めていた自分の表現の鋳型、未来の可能性の方向というものが感じ方に作用していたのかもしれない。
 どういうことか?
 簡単に言ってしまえば、どれだけマイケル・ジャクソンに憧れたところで私はその方向の歌い手にはなれない。だからマイケルに驚嘆したとしても、それはあくまでも観客としての視線なのだ。しかし、不器用で内気なキャラクターを(俳優もそれを自らのものとして役作りしつつ)懸命に表現し、なおかつそこから歌に転じていくダイナミズムを見せつけられた時、これは自分が将来やるべきことだとはっきり思えたのだった。ダメな人間が自ら這い上がるその瞬間の輝き。執筆にしろ歌にしろ、それこそが自分の骨や肉に沿った芸風であると理解したのだろう。
 以降、米国に行く度にWIZ関係のコレクションを増やし、LP盤のサイズなのに一曲しか入っていないインチキ商品にまで手を伸ばした。テッド・ロスに対してはそこまでの熱意があったので、今でも落ち込んだ時などはそっと「Be a lion」をかけることがある。
世間の人気尺度とはまったく別の視線で、自分なりのスターを探し出すのは楽しいし、精神的に大きな支えとなる。
 憧れとは何だろうと思う。そこにはやはり自分の生き方の方向というものが、要素として現れるようだ。