V015「君に涙とほほえみを」  ボビー・ソロ/布施明

1.歌詞と曲と演奏など
(ことば、ストーリー、ドラマ、情景描写、構成、展開、メロディ、リズム、演奏、アレンジなど)
2.歌手のこと
声、オリジナリティ、感じたこと、伝えたいこと
3.歌い方、練習へのアドバイス

 

 

  1. 低い第五音から、高い第六音までの、2オクターブ余りのとても広い音域の曲です。しかし、曲の大部分は、第三音から上の音で、約1オクターブ半になります。曲の始めの低い第五音には、括弧で第三音が書かれ、低音が出せない場合は、こちらを使うように指示されています。

この曲の特徴を活かすには、低い第五音を歌いたくなってしまいます。裏声やミックスを普通に使う女性には、それほど難しい曲ではありませんが、オリジナルのように、男性が歌うには、かなり大変です。構成としては、4小節単位の2個のブロックが、4組でできています。1、2、4組目は、どれも、始まりがアウフタクトで、一つ目のブロックは、歌詞は違いますが、同じメロディです。3組目だけは、2拍目から始まりますが、全組とも、二つ目のブロックは、2拍目から始まっています。また、二つ目のブロックは、全組とも同じメロディから始まり、後半が微妙に違う形になっています。

 

  1. この曲の作曲者のボビー・ソロは、低音も高音も、ソフトな声、いわゆる甘い声で歌われていて、中音域では少し張った声も、一瞬聞かれますが、たぶん高音域では、張った声は使えないのだろうと、想像できます。

一方、布施明は、どの音域でも艶のある声を出したい歌手ですが、さすがに、最低音だけは、難しいようです。中低音域ではやや控えめですが、高音域では、艶のある張った声で、本領発揮という感じです。この曲のイメージを壊さないように、控えめに張っている点も好感がもてます。

 

  1. 三連符が多用されています。リズムを間違えないように、気をつけましょう。また、全体的に、跳躍が当たり前のように、たくさん出てきます。喉を柔らかく使って取り組みましょう。男性は、甘い声で歌う練習としても悪くないので、チャレンジしてみましょう。艶のある声で、音程を外さずに歌うのは難しいので、根気よく取り組みましょう。(♭Ξ)

 

 

  1. ゆったりとしたラブソングですが、低音から高音まで幅広い音域をもった曲です。短い曲ですが前向きな歌詞と美しいメロディです。大きな展開があるような曲ではないですし、難しいリズムがあるわけではないですが、ごまかしがきかない曲という印象です。

 

  1. ボビー・ソロは、持ち声は美しいですが、言葉がリズムでほとんどきれてしまうのでイタリア語のレガ―トな美しさがあまりないです。表現とはいえ、息混じりが多く、そのまま高音域までいくので、これをそのまま真似すると喉を傷める可能性がある

と思います。音が高くなるにつれ、喉頭があがってファルセットに近くなるので発声の参考にはあまりならない印象です。

布施明の方が好感がもてます。体を使って高音域でも音を抜かずに持ち上げられるのは素晴らしいです。声も布施明のほうが力強さがあって曲にあっているように聞こえます。高音域で喉が少し狭くなっているのですが、この狭さは正しいです。この狭さが、あの張りのある高音域をもたらしています。

 

  1. 体で言葉をとらえることが重要です。ボビー・ソロの言葉はブツブツきれているのでもっと口の形を変えずに、舌の動きだけで言葉をさばけると母音の形が変化しないのでレガートに歌えます。(♭Σ)

 

 

1.歌詞はイタリア語ですが難しい単語や言い回しはなく、本当にシンプルな言葉でストレートに「愛の歌」です。メロディ・歌詞の構成も、あえて言うならA-A'-B-A''という感じで、似た旋律や歌詞で歌われ、ダイナミックな展開がないことで、かえって聞き手は甘い愛の歌に流れるように聞き入ってしまう、という曲です。

 

  1. ボビー・ソロは、優しく甘い声という印象を持ちます。あまり声を張らない歌い方、一見すると声を抜いて歌うように感じられるときもありますが、息が止まっていては歌えないので、歌手本人の中ではうまくコントロールされているのだと思います。

一方、布施明の歌唱は、高音域で声を抜かずにしっかり歌いあげているのが、より歌詞の内容を引き立たせていると個人的には思います。歌手による表現の仕方の違いであり、その評価もそれぞれ聞き手によって好みがあることでしょう。

 

  1. ボビー・ソロは、フレーズの中で声を緩める部分が多く見受けられますが、歌い方が確立していない人がこれをそのまま模倣しようとすると、喉に負担がきてしまいかねないので気をつけたいところです。

歌手の歌い方は参考程度に留めて、まずは旋律にしっかりと声を乗せて歌うことから始め、その後で表情をつけていくのがよいと思います。(♯α)

 

 

1.優しく寄り添うような内容の曲ですね。優しく語る要素と、しっかり気持ちを伝えるような要素の二つが大事な曲に聞こえます。

 

  1. ボビー・ソロは、決して声を張り上げず丁寧に語るような印象を受けますが、曲の内容からして適切だと思います。イタリア人だけあって、語るように歌っているのが印象的で、とても自然に聞こえます。”Ricorda sempre”が少し跳ね過ぎなようにも聞こえますが、持ち曲の本人の歌い方ですので、あとは今後この曲を歌っていく方が、より言葉に忠実に丁寧に歌えるとよいのかもしれません。

布施明は、歌唱力で言ったら、近年の日本人歌手には少なくなった実力の持ち主だと思います。しかし、少々音で歌いすぎて言葉が飛び出る部分が個人的にはもったいなくも聞こえます。冒頭は、この人にとっては少々音域が低すぎるのかもしれません。低音域で息を吐きすぎているのが少々気になります。もう少し語る要素があってもいいのではないと思います。しかし、音域が上がるにしたがって、徐々に出しやすい音域になってきてからの歌いまわしはさすがだと思います。少々ポジションが高いとも思いますが、これはこれで成立させていますし、近年の日本人歌手よりもしっかり声を使えていると思います。

 

  1. 歌いだしが低い音から始まっていますので、あまり歌いこみすぎないほうがよいと思います。歌詞を語るような要素があったほうがよいのではないかと思います。

楽譜で見ると3連符が特徴的に見えますが、あくまでもイタリア語の言葉のニュアンスを大事にしていきましょう。そのためにも、繰り返し、イタリア語の歌詞を詞として喋る訓練をして、言葉のニュアンスに慣れていくことが必要だと思います。

日本語訳詞であっても、言葉のフレーズをより大事にできると、もっと素敵に聞こえると思います。(♭Я)

 

 

1.AABA'の形式で作られています。歌詞の内容は「もしあなたが泣くなら、恋人よ、僕も泣くよ、なぜなら僕はあなたの一部だから。いつも微笑んでいてね、もしそうしたくないなら僕が悲しんでいるのを見たくないでしょう。遠く離れていても君は一人なんかじゃないよ。いつも僕は君のそばにいるよ。」といった感じです。低い音で始まり、6小節目には2オクターブも上の音まで上昇して、曲の心情が高まります。声域の広さを要求される曲です。

 

  1. ボビー・ソロは、一音低いAのキーで歌っています。声を抜き気味で歌っていて柔らかな声の魅力を引き立てて歌っているようです。布施明と大きく違うのは、高い音になったときに張るのではなくあえて抜いて歌ってとても情緒を醸し出しているところです。このように歌うことで、この歌詞の切なさ、恋人に対する思いが表現できているのでしょう。

布施明は、♭Bのキーで輝かしい声で歌いあげています。言葉の最初を少々強調して言葉を丁寧に歌っています。低い音で始まるので、最初の音は多少音が鳴らなくウイスパリングボイスになっても、それを効果的に使用しています。小さな声からfで歌ったと思ったらすぐにpにするなどの表現を使っています。三連符が均等にならないように、言葉の抑揚や音の運びのセンスで少しずらすなどして工夫しています。

 

  1. 音の跳躍がとにかく多いので、まずは正確な音程が取れるように、母音のみで歌うことをおすすめします。しかしこれをやりすぎてしまうと、歌詞を情緒的に表現することから遠ざかってしまうといけませんので、次に必ず歌詞をよく読んで、イタリア語の歌詞のリズム感や、日本語の歌詞の抑揚を感じてみましょう。感じたリズム感、音の流れ、をメロディに乗せてみましょう。音と音の間の運びが機械的にならないように、滑らかになるように練習してみてください。(♯β)

 

 

1.なんと音域の広い曲でしょう!初めの一フレーズでほとんど2オクターブ。音域が広い、ということばかりが強調されないように歌わないといけないため、2オクターブ統一した響きがないと取り上げることは難しいでしょう。Aメロ終わりの方にある急に出てくる「準固有六度の和音」にも個人的にはしびれました。多分多くの人が違和感を感じるハーモニーだと思います。音域が広いですが、切ない歌詞を表現するためには、歌い上げるというよりは語るように仕上げなければなりません。

 

  1. わかりやすい冒頭を比較してみましょう。

ボビー・ソロは、「se piangi」「amore」を別々に畳みかけるように語るため、切ない。「io piango con te」歌いこまずに言葉を置く感じ。最後は抜く。

布施明は、「たとえ」かすれるようにうめくように始めており、セクシー。「いまは」を少し遅れて歌うため、次の高い音を聞くための集中力が高まる。「ふたりが」ややフラットぎみ。「が」を修飾させてビブラートをかける。(布施の歌唱は全体的に、フレーズの最後に必ずビブラートがかかるので、それに気づいてしまうとややくどい。)

 

  1. 冒頭のフレーズにかかっています。低い部分をささやくように歌う隙に絶対に休まないように心の中でエンジンをふかし続け、高い音を無理なく出さなければなりません。(♭∴)

 

 

1.原語では「君が泣けば僕も泣き、君が微笑めば僕も微笑む。だから僕の悲しむ顔が見たくないならいつも笑顔でいてくれ」という、どこか『関白宣言』を思わせるような内容。それでも嫌な感じがしないのは、音楽がどこまでも甘美だから。スローテンポの3連符に乗せて歌うナンバー。

日本語の詞からは「男の甘え」要素は、排除されており、離れていても想い合う二人の心情に昇華されています。タイトルも元の意味からは外れていますが、日本で受け入れられやすい美しい邦題だと思います。

 

  1. ボビー・ソロは、息混じりのソフトな声でバリトンテノールの音域を無理なく行き来する歌唱が魅力的です。甘いだけではないコクのある声。

布施明は、音程がフラットなのが気になりますが、詩情たっぷりに歌い上げる方だと思います。こういうのが好きな人はたくさんいるだろうなと感じます。

 

  1. 2オクターブ近い音域が楽々歌えることが必要です。低音に重心を置きましょう。最高音は張り上げず軽く息を投げるイメージで歌うとうまくいくと思います。

(♯∂)

 

 

この曲は、布施明のデビュー曲です。その秀でた歌唱力のベースをみられる、歌のなかでの彼のフレーズづくりの見本帳のようなものといえます。

冒頭は、そのあとの中・高音フレーズのために、殺した「たあとえ今は」から、展開します。「二人がとおおく離れて」「いても」。「心には」「ひーとつのー」と歌うのには、難しいことばが並びます。「あいが」「もえている~」。「涙」の「な」。「ほほえみ」の「さえ」の消し込み。「感じる」の「る」、「忘れないで」の「ないで」、「思っている」の「いる」。

テクニックと息遣いなどが、ややあざとく聞こえることの少なくない彼の歌のなかでは、うまくまとまっているものの一つです。2オクターブ近くありますが、それを楽に歌えるという見せ方です。誰もがうまい(声が出るなあ、歌唱力があるなあ)と思うように構成されているために、曲がとても大きく難しく聞こえます。彼が歌うと、よくも悪くも大曲にしてしまうし、そうなるということです。(そこは、布施版「マイ・ウエイ」「君は我が命」と似ています。「愛の別れ」あたりが、その歌唱スタイルでの限界でしょう)。

作品としての歌よりは、声の演出、フレーズ、歌唱法として、学べるところは大です。ただ、このようにこなそうとするのは、大変なチャレンジになります。布施明のものまねが、ほとんど出てこない理由でもあります。

彼の歌には、みせようと技巧的になり過ぎているきらいがあります(「この胸のときめきを」など)。厳しくみると、この曲でも全体の一本の流れがところどころ止まっています。その点で、構成力としての完成度は、曲をしぜんに捉えてこなしたボビー・ソロの原曲に劣ります。とはいえ、日本人の聞き方は、布施のこうした歌い方を求めていたものですし、この歌では、気にならないでしょう。この曲では、息でのハスキーな処理で、西城秀樹っぽくなるところがちらほらみえます。「積木の部屋」は、野口五郎の細やかさとやや似ています。まねたのではないから、当時の歌唱スタイルと思ってよいでしょう。

スター歌手としての布施のきらびやかな歌い方、「君はバラより美しい」などの線上からは、やや抑えられています。彼の歌では、「霧の摩周湖」が絶唱、「シクラメンのかほり」がベスト歌唱と思いますが、日本人の好む見せ方として参考になります。日本のミュージカルの小器用なつくり過ぎからは、このくらいに堂々と歌いあげた上で抑制すべきという基準になると思うのです。

布施のカンツォーネの日本語版としては、他に「ラノビア」「イル・モンド」「愛限りなく」など、たくさんありますので参考にしてください。まさにカンツォーネで歌唱と声力を磨いたといえる歌い手の一人だからです。もちろん、紅白で歌った「マイ・ウエイ」「そして今は」なども。

 

ボビー・ソロは「ほほにかかる涙」も、1オクターブを軽々とのり切ってしまう、その浮いていながら芯のある声は、フォークシンガーらしい処理ですので、初心者はイメージを学び、直接、まねない方がよいでしょう。

「涙のさだめ」「恋のジプシー」も同じく、とてもうまくまとめています(私は、彼のでは、「少女」が好みですが)。歌唱をまねずに曲を課題として使うとよいと思います。「涙のさだめ」はイヴァ・ザニッキ(私は、布施と同じく、ジャンニ・モランディのが好きですが)、「恋のジプシー」はナーダで学ぶ方がよいでしょう。

 

歌の仕上げとしては、芯のある上で、共鳴をコントロールして、みせている、このみせるところで、ポピュラーとしてマイク処理の効果を学べます。といっても、今の歌手のようなヴォリュームや雑さの補充でなく、60年代、多くの人に届けるための補助としてのマイク、シンプルなリヴァーブで、声のソフトな効果を上げるような本来の使い方です。

二人とも力みなく歌との距離を一定にとって、その加工をしっかりと行っています。その細かさでは布施が上で、シンプルに曲の構成のまま活かしている分には、ボビー・ソロが上でしょう。どちらも発声としての基礎よりは、基礎ができた後に、どのようにみせていくのかの音楽的演出で、歌唱表現としての応用課題として聞くとよいでしょう。

 

楽曲としての、この曲は、広い声域を使うのが課題です。低・中・高音域の処理の仕方に、とてもよいので、グループレッスンで取り上げていました。「セピアンジ アモーレ」Se piangi amore(ソドミソドミ)だけで2時間、くり返したこともあります(ここはGのコード上で処理して、一曲通して歌うときは、ドドミドドミでもよいでしょう)。

次のIo piango con te(ドドシラソ)なら、1年後、sorridi sempre se tu non vuoi(レファラドラドシドファ)では、2年後の課題になるなら理想というくらいのレベルです(調号を略しましたが、低いソから2オクターブ上のファまでの上がる展開)。発声で扱うのならヴォイトレも深いのです。

発声の基礎トレーニングとしては、冒頭の低いソミレの3音を全く同じ、同じ太さの音質で揃えて、2音目に強拍(圧)をおくということです。ここだけでプロとわからせる声です(この低音発声の基礎練習においては、二人とも見本になりませんので、注意)。(♭π)