No.278

CD

 

We Sing, We Dance, We Steal Things 

彼の声、フレージング、ソングライティング力全てが参考になります。

 

But Beautiful Boz Scaggs

こういうジャズ・ブルースの曲を、個性的に歌えるようになりたい。

 

 

virtual insanityJamiroquai

アコースティックバージョンです。めちゃくちゃかっこいいです。

 

 

「昔流行ったドラマの主題歌」

1.青春時代劇「熱血猿飛佐助」主題歌「熱血猿飛佐助」 主演並びに唄:桜木健一(1972年放送)

佐助(桜木健一)は、連日戸隠山で師・戸澤白雲斎(露口茂)から厳しい修行を課され、同門のライバル霧隠才蔵篠田三郎)と切磋琢磨していた。

そこに忍び寄る徳川方の伊賀忍びの兇刃を相手に佐助は戦うが、大切な人を失う悲しみを乗り越えなければならなかった。

ついには師・白雲斎までが兇弾に倒れ、「真田幸村公(目黒祐樹)に仕え、豊臣秀頼公を守ってほしい。」と、佐助と才蔵に告げて息を引き取る。

後に猿飛佐助と霧隠才蔵は「真田十勇士」に加わり、大阪夏の陣で幸村と共に散ってゆく。

徳川・豊臣両陣営に挟まれ、やがては戦場に散ってゆく運命が待っていても、まっしぐらに走ってゆく佐助の覚悟を、名作曲家・猪俣公章先生の曲で、激しくも切々と唄い込んでいます。

2.青春刑事ドラマ「刑事くん」第4部主題歌「星を追う」 主演並びに唄:桜木健一(1975年放送)

殉職した父の志を継ぐため、母と二人暮らしの若手警察官・三神鉄男(桜木健一)は念願の刑事になった。

しかし、駆け出しの鉄男を待っていたのは、時村係長(名古屋章)をはじめとする先輩たちの、厳しくも温かいシゴキだった。

それでも鉄男は父の遺志を継いで、犯人を追い、走り続けた。一人前の刑事になることを夢に見て。

転んで躓いても、踏まれ蹴られても、叩かれ揉まれても、負けてたまるか!

俺も必ず、親父のような立派な刑事になってみせる!

そんな鉄男の思いを、菊池俊輔先生の曲で力強く描いています。

 

 

DVDCINEMATV

 

時代劇「新十郎捕物帖・快刀乱麻」 原作:坂口安吾 主演:若林豪(1973年10月~1974年3月放送)

明治時代中期の東京を舞台に、自由民権運動壮士の名探偵・結城新十郎が難事件を次々に解決してゆく。

まさに「快刀、乱麻を断つ」がごとし。

しかし、このドラマのユニークなところは、各エピソードのサブタイトルです。

<例>

第1話「売る符は狼大明神」(ウルフはおおかみだいみょうじん)

第4話「舞踏会のあとは武闘会」(ぶとうかいのあとはぶとうかい)

第9話「尼りといえば尼りな尼寺」(あまりといえばあまりなあまでら)

第12話「東京人と狂人と兇刃」(とうきょうじんときょうじんときょうじん)

第19話「相撲に気づけば、事件も済もう」(すもうにきづけば、じけんもすもう)

第21話「鳥と鳥とをとりちがえ」(とりととりをとりちがえ)

第26話(最終話)「西郷札は最後殺」(さいごうさつはさいごさつ)

どれを取っても言葉のトレーニングに利用できそうな文言ですが、毎回オープニングでナレーターの佐藤慶さんが重厚に読み上げていたのが見事でした。

 

大映製作映画「釈迦」(1961年) 出演:市川雷蔵本郷功次郎勝新太郎 監督:三隅研次

バラモンを階級社会の頂点とする紀元前5世紀のインド。カピラ城でシャカ族の王子、シッダ太子(本郷功次郎)が生まれる。

歳長ずるに至って、婿決めの武芸試合でシッダは従兄弟のダイバ・ダッタ(勝新太郎)に勝ち、后を娶ったが、自分の恵まれ過ぎた生活と、同じ人間でありながら身分差別に苦しむ人々との違いに疑問を抱き、城を出て出家し、苦行の旅に出る。

その留守に、ダッタはシッダの后に淫らな欲望を抱き、乱暴を働いた上に后を自害に追い込んだ罪で、シャカ族を追放される。

シッダは苦行6年の末、帝釈天の化身である村娘ヤサ(京マチ子)の介添えで遂に悟りを開き、「仏陀」、「釈尊」と呼ばれ、多くの人々から帰依を受けるようになった。

その中には、淫らな継母の讒言で無実の罪により追放されていたアショカ王の王子クナラ(市川雷蔵)とその后ウシャナ(山本富士子)もいた。

仏陀の導きにより、クナラ夫婦は父から城に帰ることを許された。

これを妬んだダッタは、バラモンの悪行者(東野英治郎)から恐ろしい妖術を授けられ、両親への不満を抱くマダカ国王子アジャセ(川口浩)をそそのかし、両親を幽閉させた後、バラモンの大神殿を築かせ、アジャセの権威を利用して仏陀の弟子の迫害、処刑を始めた。

しかし、ダッタの教えが偽りであることに気づいたアジャセは仏陀に帰依することを決心したが、怒ったダッタはアジャセを王位に相応しくない親不孝者として排除し、自らが王位に就くことを宣言した。

仏陀の怒りが大地震を起こし、バラモンの神殿は倒壊し、ダッタは地割れに飲み込まれたが、前非を悔いるダッタの命は仏陀の慈悲によって救われる。

その数年後、仏陀は入滅するが、ダッタを始めとする多くの弟子たちによって、ブッダの教え(仏教)はさらに広まっていった。

 

この映画の特徴は、二人の人物の対称性である。

人の生きる意味から問い直して修行に励み、一切の欲望を克服して仏陀となり、善行に勤めることを説いたシッダ太子。

欲望を満たすために悪行を重ねた挙句、欲望に振り回される生き方からは何も生まれないことを最後に悟ったダイバ・ダッタ。

得られたものはいつか失われ、出会った人とはいつか別れる。

欲望や怒り、憎しみからは何も生まれず、人々が拘っているものも所詮は仮の姿ばかり。

大切なことは今、人として正しく生きているかどうかだ。

 

BOOK

 

「聴き方革命 」「天命の暗号」出口 光

人間には四つのタイプがあり同じ話を聴いてもその人の傾向によって解釈が違うという事が書いてある。タイプによって「親・愛・勇・智」に分類されるとあるが、自分と異なるタイプの人にどう接すればよいかという事が具体的に記載されていて為になると思う。自分は思いっきり「智」のタイプに当てはまりあまりにあたりすぎてしまって笑ってしまった。詳しくは本を読んでいただくことをお勧めするが、「智」のタイプの人間は、人の話を単なる情報としてとらえるため、普通の人に対しあまり関心を示さない、才能ある人や特殊な人に非常に強い関心を持つ、というのはよく当たっていた。だから日常生活で感情に流されずに淡々と進められる反面、芸術方面において「感情」とか「情感」を求められるとどうしたらいいか分からなくなってしまう面もあり今後の自分の課題になると思った次第。

 

EVENT

 

弦楽四重奏の夕べ/フリーデ四重奏団 」

現と元・日本フィルのメンバーの演奏を、息使いまでわかるような間近で、飲食しながら聴く、船橋・ゴリ店ならではの7月恒例コンサート。ヴィオラ奏者が曲を分かりやすく解説してくれるので、初心者でも楽しめます。曲目も多岐に渡り、日本民謡、ドビッシー「亜麻色の髪の乙女」、ハイドン弦楽四重奏曲 変ロ長調「日の出」Op76_4モーツァルト弦楽四重奏曲 ニ短調ハイドンセット第2番」K421。解説の中で「ハイドンの晩年の曲で、彼はモーツァルトよりもずっと長生きをしたが、この曲を弾くと長生きはするものだ、長生きしてこそ、ここまで到達したのだと思う」、「深い悲しみというとト短調になるが、このモーツァルトニ短調は、そこまで深くはないけれど透明な明るさのある悲しみが感じられ、これも良いものだと思う」というお話が心に残りました。一流の奏者は曲を演奏しながら、曲と向き合い、すでにこの世にいない作者と向き合っている。音楽の世界はなんて深いのだろう。

 

オルセー美術館展」国立新美術館

マネの「笛を吹く少年」が今回の目玉だった。最後に描いた「ロシュフォールの逃亡」はもっと描きたいという思いと病気によって先の希望を諦めなければならない葛藤があったたそうだ。

マネーとモネ。どちらがどうなのかよく知らなかったけれどマネはモネを精神、金銭、両方の援助をしたそうだ。モネの方がパステルカラーが際立っているような気がする。マネは「婦人と団扇」で浮世絵の影響を受けている。モネの睡蓮の池にかかる橋も日本の太鼓橋の影響を受けている。ジャポニスムだ。

モネは今回「草上の昼食」(何故裸婦なのか)が出ていた。一緒に行った友人は印象派は曖昧な色が好きではないと言っていたが私はパステルカラーの曖昧な色が好きだ。その他、ドガ(バレエの舞台稽古)、ルノワールセザンヌクールベ、ミレー(晩鐘が!)等。混んでいたが(日本人て律儀)風景画は癒されるし、肖像画は表情に惹き付けられた。1020日まで。

 

<その他>

 

「嘉納愛子さん 」

106歳の現役ソプラノ歌手。存在そのものがもうそれだけですばらしいと思う。一度お声を聞いてみたい。山田耕筰氏の弟子とのこと。年齢がどうの、環境がどうのと言って変わらないための理由を挙げ続ける人が世間の大部分を占めているが、正直そんな話を聞くのにうんざりしている私にとっては、無気力はこびる現代社会にこのような方がいるというだけで元気づけられる。自分もそのような存在になりたいと切に思う今日この頃である。

 

小林清志ルパン三世 次元など

自然で深くて渋いいい声で好きです。

私は自分のしゃべり声が浅く軽くてあまりよく思っていなかったので、小林さんの声に憧れていました。

80歳を越えても変わらないのがすごいです。

折に触れ作品を観ます。

最近のではなく1020年くらい前にのものが多いのですが、他の役者さんは段々と変わっていくのですが、小林さんはほとんど変わらないように思います。

 

<店>

 

「うな鉄()」新宿

ただ、純粋に美味しい鰻を食べたいという人にとっては最適な選択であるように思う。レバーやかしらなど、焼き鳥を想像してしまう名前でメニューに載っているものも、すべて鰻。うまきもあればうざくもあり、鰻に関するものに限れば品揃えは豊富。退店時、「鰻はしばらくいいかな」と思うほどの満足感を得られるこのお店は、着席している間、客足が途絶えることがなかった。

 

「タカノフルーツパーラー(パーラー)」池袋

季節ごとに旬を迎える果物を全国から選りすぐり、「そのとき美味しいもの」を「そのとき美味しい産地」から仕入れて店に並べている。味もさることながら、フルーツのカットは芸術的。常に旬のものを扱うのだから美味しいのは当然で、素材に対して下手に加工をする必要もない。そのため調理ではなく、皮のむき方やまるで生け花のような組み立てを用い、繊細な技術で魅せる。その季節に旬を迎える果物によって来客数が左右されそうではあるが、いつ行っても違うものが味わえるという点では年中魅力が尽きない。

 

「いせや(すき焼き・しゃぶしゃぶ)」吉祥寺

吉祥寺のいせやと言えば焼き鳥のイメージが強いが、大元はすき焼き・しゃぶしゃぶ等肉料理のお店だったらしい。それだけ、肉には強いこだわりを持っている。同じコースでも提供される銘柄牛はしょっちゅう変わるらしいが、この日は静岡県の黒毛和牛だった。ただ、残念ながらこれがあまり印象に残るものではなかった。不味い肉というわけでは決してないけれども、「普通に美味しい」という程度。脂はのっているけれど、肉の旨みは強くなく、どこか淡白。もしかしたらすき焼きよりもしゃぶしゃぶに適しているお肉だったのかもしれない。前菜やデザートはきちんと作りこまれたもので美味しかったので、必ずしも今回の印象がこのお店の実力ではないのかもしれないと感じた。

 

「椿山荘(ブッフェ)」目白 

ブッフェ形式ではあるものの、食べ放題にありがちな原価を落とした料理ではなく、質の良いものを少しずつ多種類食べることができる。場所柄、客層は年配の方が大半を占めている。そのためレストランとしても、事前に対象としている年齢層を高く設定しているのだろう。大食らいの若者が群れをなして来るわけではないので、こういったブッフェが実現できるのかもしれない。ローストビーフやライブキッチンものではなく、米茄子の鴨炊きが名物というのもなかなか珍しいけれど、これが本当に美味しい。ブッフェ特有のわくわくする感覚を残しながら、食べてほっとする料理が多いように感じた。大人のブッフェ、というよりもさらに一つ上の、年配の方向けブッフェと言っていいのかもしれない。美味しいお料理と、落ち着いた空間。豪華絢爛なようで、どこか身近に感じる味が並んでいる。それが若年層にとって魅力的でないということにはならないのが、料理を作るシェフ達の腕なのだろう。