パブロ・カルザス

感動した。うなづくことが多かった。
おじいさんになったカザルスが、劇場で演奏する前に言った言葉には、
もう何も言わず拍手を送りたい。彼をいとおしく思った瞬間だった。

かつての国家カタロニアの小さな村サン・サルバドル出身の彼は、
地方出身者らしい知恵、粘り強さ、目的意識、負けん気を奥に秘めた努力の人。
長い間の不幸な結婚の後、年老いてから出会った二人には幸福をもらった。
カプデビラ夫人と、マルタ未亡人だ。

それまでの彼の音楽が人々に幸せをもたらせたとしたら、
当然与えられるべき至福のとき、安らぎの時間だったろう。
彼の人となりを語る人々の言葉は皆正直で、時折辛辣な批評もある。
しかし、gentleで愛情を含み、思い出しながら幸せそうに
感慨深げに語っていた。ひとかどの大人とはああいうものなのだろう。

その中のひとりがカザルスの音楽についてこう言った。
「彼の音楽はただ完璧に演奏するだけではない。
彼は常に聴衆に何かを訴えてきた。しかし、その音楽は
詩のように純粋で簡潔なスピーチのようだった」と。

彼には才能があった。しかし、それ以上に努力家であった。
幼い頃、始めて弦楽四重奏を聴き、父親にチェロを習いたいと告げた。
父の手作りのヒョウタン・チェロを与えられ、彼がアベマリアを弾くと、
一同は感動した。とりわけ音楽家の父より母の方が彼の才能を見出し、
あちこちに連れてはチャンスを作ってくれた。

バッハのチェロ組曲は難曲だという。
並みの練習量では演奏できる程になれない。
彼はこの曲を長年研究し、発表し、そして成功した。
彼は宝石細工師のようだったという人もいる。
音楽は完全に大きな視点でとらえ、しかし、細かいところも忘れない。

彼自身は言う。自然が好き。
自然にしていれば音楽が要求するものを組み立ててくれると。
祖国の独裁者フランコ総統に反対し、亡命したカザルス。
もうほとんど人生の終りに近い老齢で、若く美しい乙女マルタと出会う。
彼女はチェリストとしての才能もあったし、女優でも他の仕事でも
きっと成功していたであろう程の才能の持ち主だったが、
巨匠と出会ったことで、彼が生涯を閉じるまでの17年間を、
全ての時間を彼に捧げた。

彼女はカザルスの母親と同じプエルトリコ人で顔立ちや髪の色、
雰囲気など、風貌が母親にそっくりであった。おまけに不思議なことに、
マルタの母とカザルスの母は誕生日が同じだったという。
彼の才能を見出した母―当然彼は母を一番尊敬しているし、愛している。
その母と結婚した、と言っても過言ではなかった。
劇場での彼の言葉が忘れられない。

“ Cataluna was a great nation in the world.

I play a short piece of the Catalonian folklore ― Song of the birds ”


「鳥の歌」は、彼が最も愛し、今はスペインの一地方になってしまった
祖国への想いが込められた曲であった。