ノロヴバンザド

モンゴルの歌姫 落雷が落ちたかのような衝撃を、彼女の歌声を初めて聞いた時に受けた。天と直接つながっている場所で歌ってきたのが感じられる。こんなに類まれな声、超人的な歌唱があるのかと驚いた。光が雲の隙間からさす時に、神の存在を感じるような感覚と同じ感覚を彼女の歌に感じていた。 この突き刺すような強烈な細い高音の地声に、好き嫌いは大きく分かれるかもしれない。モンゴルの楽器、馬頭琴を伴奏に歌うオルティンドという民謡の歌手ノロヴバンザドは、100年に一人の歌声とモンゴルで称され、国内だけでなく、世界的にも知られる歌手である。また、このオルティンドというモンゴルの民謡も、2005年にユネスコ無形遺産として登録されている。 こちらで入手できた録音のほとんどは、70歳くらいの晩年のものだが、恐るべき驚異的で、声だけを聴いていると、不老不死鳥という言葉が過言ではなくぴたりと当てはまる。オルティンド特有のなびきやこぶしのようなものは、まるでうがいをしているような
喉の鳴らし方でもあり、何か生き物が鳴いているような感じにも似ている。アジアの歌に多い、非拍節で自由なリズム(もしくはリズムがないともいえる)で、非常に細かい装飾を帯びたメロディが何オクターヴにも渡り流れるように歌われる。 日本の大河ドラマ北条時宗」のテーマ曲も歌っているが、戦いを感じさせる、とにかくインパクトのすごくあるものを作りたかったと作曲者が言っていただけあり、非常にそれが恐ろしいほどでている。夜眠れないと番組あてに曲への苦情が視聴者から届いた話や、断固として馬頭琴の伴奏でしか歌わないという姿勢や、作曲者が当時のことを語ったエピソードも興味深かった。 孤高なるアーティストとそのすばらしい作品の数々。彼女の歌を聴いていると、声は本当は、こんなにも
自由なのかと改めて感じる。大自然から命を与えられ、インスピレーションを与えられ、人間は皆、生まれながらにクリエイティブであるという原点を感じさせる。同時に私たち、一般的に多くの日本人が失ったものを思い、今日の日本の音楽への絶望感や敗北感までも感じていた。日本の音楽教育が西洋音楽に傾倒してきたことで、多くの人の耳は、向こうの曲ばかりを取り入れ、それに近づこうと、いつしか欧米人のように歌う、奏でることばかりに集中してきたことで、どれだけ日本人が古来からもっていた味やパワー、オリジナリティ、日本人の精神性までもが失われてしまったのだろうかと思う面もある。もちろん、それは日本だけでなく、多かれ少なかれ各国各地でもそのような状況はあり、ノロヴバンザドも都市化するモンゴル、草原の一部が砂漠化していく中で、民族の歌の将来を心配をし、オルティンドの国立学校を築いて、晩年は教授としても努めた。 首都にある学校の現在の授業風景をみながら、本来は、草原を馬や羊を追いかけめぐる民族の姿、その生活に、あのエネルギーある歌が空と大地と直で結びついていることを感じていた。