ジャック・ブレル「Quand on n’a que l’amour」(「愛しかない時」)

どれだけ人生を問い、社会を問い、その思いや精神に対して、生涯を通して向き合い続けることができるか。おんぼろギターによれよれのスーツを着て、雨にぬれたように汗だくになりながら、独自の言葉で歌い続ける無二の詩人の姿に胸を打たれた。
情報がここまで勢いよく大量に流れ溢れ返っている世の中で、私たちの物事に対する集中力もまた、ずいぶんと落ちてしまっている気がすることがある。
ブレルの語りを聴きながら、映画「独裁者」でチャップリンの最後の演説シーンを思い出した。ブレルもまた、たった数分の作品に世を映し、真に伝えたいことが、明確に伝えた。
その感触、手ごたえ。ギターでのライブもいいが、ぜひCDの、ピアノのイントロで入る録音のものを聴いていただきたい。
またLara Fabian, Celine Dion, Mireille Mathieu, Patricia Kaas, Thierry Amiel などたくさんのアーティストが歌っているので聴き比べてみると興味深い。
この曲が、シンプルな作りということもあり、音から感じられる色彩がとてもわかりやすい。そしてそこに非常に大きな言葉がたくさんこめられている。それだけに、真に歌い手が感じているか、表面の動き、付け焼刃にならず、根の部分をくみ取っているかがはっきりと聴き手には感じられるだろう。そしてそれが他のどの作品においても本来はそうであることを、改めて気づかされる作品でもある。
メジャーな音の響きの中で、愛し合う者たちが分かち合う空間、行き交う人々の幸せな表情、もしくはブレルのように一人愛についてを思う時を映すように、温かい陽だまりのような時間が最初の8小節には流れている。そこから空が暗くなるかのように、だんだんと視界が険しくなり、マイナーなメロディが注ぎ込み、どんどん嵐のように困難、葛藤が訪れ、社会の不条理や憎しみ合いまでも映されるような中で、最初のフレーズから、その後も繰り返すamour(愛)がどのようにその嵐の中をくぐり抜けラストのフレーズに到達するかをよく聞いていたい。
ブレルをみていると、曲を作り続けなければ、きっと彼は死んでしまうではと思うほど、彼の中に、イメージが膨大あることを感じる。それを出さなくては、爆発してしまうのではないかというほどに、その思いが声から感じられる。繊細で弱くもろい部分と同時にそれでも守りたいもの、必死で全力で漕ぎ続けるような勢いをもち、崩れる寸前まで、1曲、これを歌ったら死ぬというほどに注ぎ込む。ただただ、心を打つのである。
そしてこの作品は社会への、心の灯火として、今も多くの人々へ、そして様々なアーティストたちにもよって、それが消えてしまわぬ様、あたため続けられている。