マヘリア・ジャクソン 「Silent Night」

 先人たちの教えを自分自身の血を通して感じ、少しでも書こうとするならば、マヘリアの歌は、一人の人間が歌っている以上に、巨大な不動の岩のように、洪水のごとくあふれだす湧水、または深い地低層から吹き上げて来るエネルギーのように、何か大きなものの反響にも聞こえてくる。長い時を経て、彼女の中に、それが映し出されたように、人間の愚かな欲望から離れ、時を越え、空間を変え、人々や社会に強く響く歌には必ずそれを感じる。輪廻転生と理解する人もいるかもしれない。一人の人間としてくくれないほど、果てしない長い時の中でこの世を見つめているような、まなざしを感じる。宇宙のように、真に人を包む作品は、長い歴史の中で、その記憶が響き合ってきた中で、ある時ある地のある人に命ずられるように、莫大なプロセスの中で、雨が降ってくるように、生まれる。歌がうまくなりたい、自分の歌を感動してほしい、そんな勘違いや邪念は捨て、海に、雨に、大自然の恵みに、真に心を動かす作品に、真の愛情に、気づき、生涯を注いで学ぶのみであると思う。自分はたまたま現在ここにいられるのであって、絶え間なく関わる人々の労力と、同時に、一日に何万人の子供が、人々が殺されている長い歴史、その事実の中に確かに自らがいることを忘れてはいけない。阿呆であること、生きていくことの大きな矛盾と支離滅裂な自らの途上で、そしていつかは死を迎える。
 
 人間としてこの世で生きていくことへの救いのなさ、その深い悲しみ、涙、絡み合う切っても切れない無限の要素がこの歌には秘められている。生きることも、人と関わることも、眠ることさえも、苦しい時もあるかもしれない。もしそういう中で、このような作品が真に心に訴えてくるのであれば、そこに何があるのか、自身の中で、奥底から何が感じられているかをみつめていたい。
 そしてこの歌は、キリスト誕生について、人間の生との関わりであるが、たとえキリストに限らず、すべての赤子の、生命誕生という計り知れない奇跡が、授かるという原始なる喜びが祈りとなることに気づかされる。
 深く純粋なる思いが、叡智が声となり、歌となり、生命を守り続けてきた。彼らの歩みがなければ、過酷な歴史は変わらず、もっと多くの人間が殺され続けただろう。歌詞の中にredeeming、あがない、つぐないとあるように、マヘリアは歌を通して、生涯、祈りとともに問い続けただろう。そして、記録として、録音として、残された今、聴く者たちを捉える心の先に、何十年も、何百年も、それは続いていくのである。