No.286

<CD>

「星空に輝く月」五十嵐喜芳
ヴィンチェンツォ・ダヴィコが五十嵐喜芳に捧げた曲。「明るい月よ、星空を照らし、私の恋人を照らすなら、彼の後を追い、そして尋ねてください。どんな思いで私を捨てたのか」短いイタリア語歌詞に伴奏するピアノがとても美しい。そのあとの弱音のハミングが、まるで月が彼の後を追って夜道を照らしていくよう。そして、月の光に浮かび上がる彼の後ろ姿が見えるよう。ハミングだからこそできる、この美しい表現、なんて素敵。

 

2011年NHK時代劇「新選組血風録 主題歌 「慕情」 
作詞・作曲・唄:吉田拓郎
ドラマでは土方を主役に据えていますが、主題歌「慕情」ではもう一人の主役沖田総司(辻本祐樹)の恋を歌っています。
副長助勤の一人で一番隊長を務める沖田は新選組最強の剣士。しかし、その体は若くして結核に冒され、余命いくばくもなかった。そんな中、沖田は主治医半井玄節(逢坂じゅん)の娘と恋に落ちるも、もうじき死ぬ運命にある自分のために娘を不幸にしたくない思いから、沖田は病を押して一層稽古と任務に没頭してゆきます。
「結ばれなくても良い。遠くから見守ってあげられたら・・・」
そんな儚くも直向きな沖田の恋心を、拓郎さんが熱く、優しく唄い上げている、泣かせる一曲です。

 

<BOOK>

「うたのチカラ」JASRAC創立75周年記念事業実行委員会著 集英社
この本のなかに、作家の島田雅彦さん、あまちゃんのテーマで一躍有名になった作曲家大友良英さん、ミュージシャンのヒャダインさんが「鼎談 愛されるうた、日本人が本当に好きな歌とは?」が載っています。面白いので歌っている方は是非ご覧ください。外国でヴォイストレーニングをして、面白くなくなった歌手がいるという発言もあり、結構刺激的です。

 

「頑張らないから「上手く」いく」桜井章一
著者は麻雀の代打ち20年間無敗のまま、引退、雀鬼と呼ばれた。印象に残ったのは「子供の心を親の期待で擦りすぎない」という考え方と「地に足を着けて生きろ、と世間ではよく言うけれど、地に足を着けて踏ん張っていたら、ポッキリ折れてしまう。風に吹かれて生きるのも悪くない。今日の風と明日の風は違う。今と、少し時間が経った後も違う風が吹いている。その風を柔軟に受けて行く生き方もある」。例えばレッスンでも、この間はこう言われた、でも今日は、ということがある。その時、今吹いている新しい風を受けて行く柔軟性を身に付けたいと思った。柳に風折れなし、という言葉を思い出した。

 

「何もつけない美肌術」牛田専一郎
化粧水や乳液は肌を痛める、肌には何もしみこまない、という驚きの理論。天然皮脂膜を守るために石鹸をやめる、手についた菌やウィルスは流水で落ちるなど、今までの常識が常識でなくなります。「こうでなくちゃ」「これが当たり前」という無意識の思い込みが崩れる、面白い本です。

 

<その他> 

カサンドラ・ウィルソンブルーノート東京
CDではあまり好きになれなかったが、有名なヴォーカリストなので、生で聴こうと来日ライブに行った。バンドはエレキギター、ヴァイオリン、ベース、サックス、ピアノ、ドラムで、複雑な不思議な響き。カサンドラの声はとても低く、柔らかい。ライブ空間が音で埋め尽くされ、現代環境音楽という感じで、眠くなる。ライブは満席なので、この音楽が支持されている、とわかる。自分はもっとシンプルな楽器の響きで、声を聴きたいと思うけれど、それは私の中の音楽の感受性が育っていないからかもしれない。

 

シャンソン歌手 秋田漣」
青森県弘前市在住、ほとんど地元から出たことがなく、津軽言葉でシャンソンや詩の朗読をする。一度生で聴いてみたいと思っていた。ミューザ川崎シンフォニーホールの3/11東日本大震災チャリティ・コンサートのゲストが秋田漣だった。黒のシンプルなロングドレス、黒い帽子から白髪がのぞく、サヨリのようにスラリとしたまっすぐな身体から発せられた「雪は降る」の第一声、空間にサッと斬り込まれた、きれいな声。想像ではもっとドスの効いた声と思っていたが、全く違った。声と言葉を自分に引き付けて、メロディの中にぽぉんと、でも丁寧に放る感じ。聴きやすいのは、叫んだり嘆いたりしないからか?。「ふるさとの山」古賀力の詞では葡萄作りの部分を、山を津軽岩木山に見立て、リンゴ農家の話に置き換えて歌った。MCで自分が何故この曲を選んだのか、話してくれるのも良かった。七曲聴いて、飽きなかった。もう一曲聴くと、もしかしたら飽きるかもしれないけれど、この人は自分の歌を歌っていると感じ
る。今月、古稀を迎えるという。私も古稀を迎える頃には、自分の歌を歌えるようになっていたい。

 

江戸東京博物館 特別展「大関ヶ原展」」
今年は徳川家康公没後400周年。
これを記念し、415年前に勃発した天下分け目の関ヶ原合戦を偲ぶ特別展示が、江戸東京博物館にて開催されます。
参戦した東西両軍の武将所用の武具の他、開戦までに武将同士の間でやりとりされた書状など、スリリングな展示も多数用意されております。期間中に、常設展と併せて観覧する予定です。

 

<店>

「金太郎」
ただひたすら、鶏料理に情熱を注ぐお店。前回訪れたときよりも、さらに地鶏の種類が増えていた。名古屋コーチン、東京シャモ、比内地鶏、水郷赤鶏といった有名どころから、地方の地鶏まで週替わりで用意されており、それら地鶏のレバーとハツの間の部分、などという珍しいところも数量限定で頂ける。正肉は一つ一つの切り身が大きく、地鶏の肉の弾力はブロイラーなどでは味わえない。筋肉質で野性的な味わいのものもあれば、脂がのって柔らかくジューシーなものもあり、同じ「鶏肉」で括られているものの幅の広さに驚かされる。相変わらずの鶏尽くしで、当然のように、〆の茶漬けまでが鶏の出汁。鶏肉という一つの食材でありながら、その種類ごと、部位ごとの味わいの違い、可能性の広さを感じさせられる。一つの食材でここまでのことができるならば、無数にある食材でいったい何ができるのか。何ができなくてはならないのか、とても考えさせられる。また少し期間を空けて訪れたい、飽きのこないお店の一つ。

 

「サール(バイキング)」日比谷
今でいうブッフェ形式のお店に対し、日本で初めて「バイキング」という呼称を用い、広めたという伝統あるお店。来訪時はイタリアンフェアを開催しており、ずらりと並んだお料理はその文句の通りにイタリア一色。フェアごとに専門のシェフやスタッフの入れ替えがあるのか分からないが、ともかくレベルが高い。バイキングゆえに家族連れや若者をターゲットにした「分かりやすい」料理が多いかと思いきや、ちょっとした田舎の郷土料理や、一般的には聞き馴染のないだろう料理も平気で並んでいる。一方で、イタリアンの定番の一つであるピッツァを置かないという潔さもあった。厨房にピザ釜がないという理由が一つ、妥協してオーブンで焼いたようなピザは提供できないというプライドが一つ。パスタなどの出来たでで食べるべきものはさすがに一流レストランの仕事に劣ると感じたが、バイキングという形式では間違いなく最高レベルのものを供している。というより、下手なイタリア料理店の出来立てよりも美味しいかもしれない。サービス陣には百戦錬磨の貫禄があり、深く刻まれた皺と澄んだ笑顔は客に安心を与える。たとえどんな事態が起きようとも「待っていました」とばかりにスマートに対処してくれるのではないか。そんなどっしりとした安定感が、料理を楽しむことに集中させてくれる。全国に普及したバイキングの原点であると同時に、一つの到達点であると感じた。

 

「KOSO(生肉料理)」銀座
こちらは日本で一番最初に、生の牛肉を提供する許可を得たというお店。ということで、当然強みは生の牛肉の握りずしやユッケ、牛トロ丼などの生肉料理である。癖のない新鮮な牛肉は、例えが悪いかもしれないけれど、まるで刺身などの食べ慣れた生魚のように自然に受け入れられる。その味の裏で徹底していたのは、衛生管理。365日生肉を提供するということは、実に大変なことであるように思う。店の特性からして、ただの一度でも品質管理に間違いがあってはならない。一度信用を失えば、即座に閉店に直結しかねないからだ。もちろん、消費期限や食中毒に対する安全管理というのは全ての飲食店にとっての至上命題だが、「レストランで牡蠣を出してお客様が当たってしまったのでしばらく牡蠣は自粛しましょう」というのとは重みが違う。そこら中に配置したアルコールで常時あらゆるものを殺菌・消毒している。そうして神経を尖らせ続けた結果これまで一度の失敗もなく、しかしこれからも失敗の許されない日々が続く。取り返しのつかない事態の真隣で毎日営業していくことのプレッシャーは、ちょっと想像できなかった。