No.269

CD

 

「雨のち晴レルヤ」ゆず

朝の連続テレビ小説ごちそうさん」主題歌

人生には思い通りに行かないこと、予想を裏切ること、たくさんあります。しかし、それらに一つとして無駄なものはない。

止まない雨はない。悲しみや苦しみもいつかは終わる。晴れ渡った青空のように、笑顔に戻れる日が来るから。

そんなメッセージが込められた新しい朝の連続テレビ小説の主題歌は、温かく心に響いてきます。

 

DVDCINEMATV

 

「五線譜のラブソング 」

コール・ポーターの自伝的映画。出ているミュージシャンがそうそうたるメンバー。

 

クロワッサンで朝食を

ジャンヌ・モロー主演。あこがれのパリで家政婦を頼まれたエストニア人の女性の話。エストニア出身で気難しい女主人フリーダがジャンヌ・モロー。家政婦アンヌは紅茶をわざとこぼされたり、スーパーで買ったクロワッサンを食べてもらえなかったり、夫を亡くして6年、母親を亡くしたばかりの苦労人だから我慢できたのだ。アンヌはフリーダが友達がいなくあまりにも孤独だったのでエストニア人が集まる教会に行き、フリーダの昔のコーラス仲間を「病気で会いたがっている」と嘘をつき集める。病気でないと不信に思った友達とフリーダは喧嘩してしまい、友達は怒って帰って行く。フリーダになじられたアンヌはやりきれなくなってエストニアに帰って行く。しかし途中で思い直し帰ってくる。寂しがってアンヌを捜すフリーダはやっと素直な気持ちを持てるようになった。嫌われ者のフリーダがアンヌによって人間らしい優しさを取り戻した。意固地さもいい加減しないとと思わされた映画だった。往年の名女優があまりにもおばあさんになっていたのでなんとも言えぬ気持ちになったが。

 

BOOK

 

「『心の疲れ』がスッキリ消える簡単ヨガ」綿本彰

姿勢に関して言われているけれど、なかなか人間の身体として自然な状態がわからない時に読みました。この本は自然なボディーバランスの体得法を各パーツごとにわかり易く記載しています。紹介している体操は難しいものではないので、すぐに活用できると思います。

 

「歩くような速さで」

是枝裕和カンヌ国際映画祭にて受賞『そして父になる』の監督が綴ったエッセイ。「作品も感情もあらかじめ世界に内包されていて、僕はそれを拾い集めて手のひらですくい、「ほら」と見せているに過ぎない。」「作品は世界との対話(コミュニケーション)である。」(本文抜粋)活字化された思想を読んだ上で、作品を観てみるのも面白いです。

 

「あなたの魅力を演出するちょっとしたヒント」鴻上尚史

誰しもが持っているのにほとんど関心を持たないモノを、魅力的にするためのヒント集。感情、声、体、言葉の4テーマから自分が既に持っている素材に問いかける。この本で体の教養という言葉を覚えた。日常的な心のエクササイズに利用していました。

 

EVENT・その他>

 

斉藤和義

ライブで聴くとCDよりも楽器の音量も大きく、よりロック調になっている。その中で斉藤和義の声は全く負けずに聴こえてきて迫力があった。

 

小池マリ子

仙台在住の歌い手さん。銀パリ閉店にショックを受け、歌手活動を辞めていたが、カルチャーの講師を引き受けたことからまた歌い始め、今回は自由が丘・ラマンダでソロライブ。胸から声が出ている感じ。身体は下にグッとなっている。呼吸で歌を作っている。何曲も聴いて飽きない。良い歌い手さんだと思いました。

 

田中朗

上野・ライブスペースQui、盲目の歌手長谷川きよしライブのゲストで出演。自分でピアノを弾きながら、フランス語で語ったあと日本語で語り、時々歌う。活動弁士のような語り口。80歳というが、ヨレヨレしたところは全くない。銀巴里で歌っていた頃、組んでいたピアニストが突然亡くなり、他のピアニストでは納得できず、それ以来自分で手習いのピアノを弾きながら歌っている。水夫の魂がカモメに姿を変え、天国へ行く前に自分の亡骸にありがとうを言ってから行こうとするが、亡骸が見つからない。それでカモメは海の上をぐるぐる回り、くたびれ果てて落ちるまで鳴き続ける。独特の世界観、こんな歌い方のシャンソン歌手は初めて。アンコールの「いない人」が素晴らしかった。長谷川きよしのギター伴奏で、その亡くなったピアニストの葬式で歌ったというもの。昨日まで一緒に飲んでいた仲間が突然消えた。生前、あいつはもし俺が死んだら、お前たちは悲しみで俺の旅立ちを汚すな。俺の飲んでいた杯とお前の杯と2つを手に持ち、俺の旅立ちに祝杯を上げよ、と言った。そうしてやろうと思うのだが、しかし、今、手に持つこの杯のなんと重いことよ。あいつの存在が空いていることの重さよ。フランス語に日本語を交えて田中朗が友の死を悼む。それを聞いていると、音程やリズムの正しさなど大した問題じゃない、40年も前の友の死を今も悼む、その心が歌なのだと感じ、ブラヴォを送りました。

 

古賀力・芳賀千勢子

地味といえば地味、粋といえば粋なおふたり。古賀さんは80歳を越してらっしゃると思いますが、この軽妙酒脱さは他の人には感じられない。「いざり」「めくら」など放送禁止用語入りの歌のシニカルさも様になる。9つか10の女の子の歌は本当にこの人は女の子に恋をしたのかも、と思わせる。芳賀千勢子さんは派手さはないけれど、いい歌を歌うなぁと思う。歌にでこぼこがない。彼女が歌い終わると、良い物語を聞いたという気持ちになります。

 

活動英語の発音矯正講座に参加しています。まだ初歩的な段階ではありますが、音声学的な考え方もあり、興味深く授業を受けています。

 

起業セミナー「恋愛上手は企業上手」ソラフィッシュ株式会社Happy起業アドバイザー 南川まなさん

先日、起業家向けのセミナーを聴きに行きましたが、その中で特に興味深かったのがこのセミナーでした。

以外に知らない人が多い「好き」と「愛」の違い。

いくつかの解釈の例として、以下のような考え方があります。

1.「好き」は下心、「愛」は真心。

2.子供が自動車に轢かれそうになったのを見たとき、「危ない」と感じる(だけにとどまる)のが「好き」、助けに飛び出してゆくのが「愛」。(つまり、「好き」はただ心の中で思うだけ、「愛」は行動に出るレベルとも言える。)

3.「好き」はもらうもの、「愛」は与えるもの。

では、なぜ恋愛上手は企業上手なのか?

恋愛と起業には以下の共通点があると南川さんは言います。それは、「情熱」、「喜び」、「豊かさ」という共通点があるということ。

 舞台に立ち、観客に向けて何かを表現するということは、観客に「情熱」、「喜び」、「豊かさ」を伝えることであり、それこそが客席で聞いてくれている観客への「愛(又は愛情)」というものであり、逆に観客に「情熱」、「喜び」、「豊かさ」を伝えたつもりで実は自己満足しているだけで何も伝わっていないのが「好き」であるとも考えられます。

歌や朗読、台詞など、観客に向かって表現する者は、この「好き」と「愛」の違いを間違えてはいけないと感じました。

 

活動演技のワークショップ

どんな役にも、現在に通じる過去や背景があり、それが見えていなければ立体的な人間像にはならない。ということを学びました。

 

 

<店>

 

「マーヴェラスパラディ白金(フレンチ)」広尾

神戸に本店があるお店の、二号店。店内はうるさいくらい花柄小物で溢れ、アンティークの家具が飾られている。これを「可愛い」と感じるのは若い女性ではなく年配の女性の方々だろうと思える。実際、店のターゲットはそこに設定してある模様。そして内装同様、お料理も他との差別化が徹底している。こだわっているのは意外性や独創性の部分。前菜の「秋茄子と帆立のモザイク仕立て」は食材がカラフルなモザイク柄に並んでおり、その後のリゾットは栗の粉で作ったクレープで包んだもので、鯛のソテーにはムール貝のスティックが添えられている。いずれも花柄の皿に、お洒落な盛り付けである。ただ、王道の料理と比して味で勝るとは感じなかった。美味しいけれど、味よ り見た目で楽しむといった料理を提供するお店かもしれない。月曜日の夜の利用で、他に客がおらず、少々気まずい思いをしたのが残念。

 

「マドラウンジ(イタリアン) 」六本木

六本木ヒルズ内にあるイタリアンレストラン。平日ランチでの利用だったが、客層は老若男女様々。前菜のマカジキのマリネは魚臭さが鼻に残り、あまり美味しくない。逆に、鰯とういきょうのシチリア風スパゲッティは鰯の臭みがなく、オレンジの皮を摩り下ろしたものとパン粉を和えて上に乗せているのでむしろ後味は爽やかだった。メインは牛か鶏かで選ぶことができるが、お肉は山葵のソース、鶏はミックスハーブのソース、その後のデザートにもパッションフルーツのソースがかかっており、コース全体で見て、意図的にあっさりした味で統一されているのか、濃厚さに欠けるような気がした。盛り付けは綺麗で、色鮮やかなソースを味付けの軸にしている辺り、フレンチの趣 向に近いものがあると感じた。

 

「渡風亭(懐石料理) 」目黒

秋の懐石料理を堪能。前八寸は月見ウサギをイメージし、百合根でウサギ、塩糀キュウリで杵、素麺ですすきを模した皿盛りになっており、繊細な季節感が表現されている。イチョウの形をしたレバーの煮凍りは特有の臭みがなく、一口サイズを口に含むのが名残惜しいほど。椀盛りは、お椀の蓋を開けると蛤が丸まる一つ。その殻を開けると中から蒸し雲丹やウド、岩茸などが現れる。出汁も極めて薄味だが蛤の旨みと相まって美味しい。お造りは、大根に包まれるような形で提供され、前出の椀盛り同様、客の期待感を煽る。甘鯛を茶葉で焼いたものは香ばしく、牛タンやナスを煮込んだ皿も味が染みていて美味しい。銀盤という富山県吟醸酒と合わせて頂いたが、お酒そのものも 料理そのものも両者の相性もすべて良く、箸もお猪口も進んだ。お料理は確かな技術に裏づけされたものであるが、古く格式ばったものばかりではないし、お酒に関してもスパークリングの日本酒など最近出回るようになったものも置いてあり、田楽味噌のような濃厚な味のものとは特によく合うと思う。高級有名店の暖簾の上に胡坐をかいていない感じが、とても好感の持てるお店だった。ただ、仲居さんのお料理説明が随分ざっくばらんとしていて、それに引っかかりを覚えるか親近感を覚えるかは人によると思う。