このブログについて

耳を中心に心身の感覚を鍛えるための鑑賞トレーニングは、欠くことのできないものです。声そのものと耳を鍛えること、この2つが指導されないと、天性の才能以上にはレベルアップできない、もっとも重要なものといえます。

レッスンの時間の中では、体や声のせりふや歌唱が中心で、一流作品を鑑賞したり、評価する時間は、なかなかとれません。おのずと自主トレとしての独習中心となります。そこで、課題について、または、自由に鑑賞曲を選んでレポート提出をします。あとはレッスンでの発声、せりふや歌唱実習となります。自主トレでも、1.鑑賞、2.鑑賞レポート、3.歌唱、4.チェックと歌唱のレポートという手順をくり返してください。

その材料として、参考までにトレーナーやクライアントのレポートなどをまとめていきます。(主に会報の記事の転載で、一部省略編集しています。)

「おすすめアーティスト・作品」なども必読です。

V020「ハンブルグにて」 エディット・ピアフ/ 金子由香利

1.歌詞と曲と演奏など
(ことば、ストーリー、ドラマ、情景描写、構成、展開、メロディ、リズム、演奏、アレンジなど)
2.歌手のこと
(声、オリジナリティ、感じたこと、伝えたいこと)
3.歌い方、練習へのアドバイス

 

 

  1. 船乗り相手の港町の娼婦の人生と人生観を、少しご機嫌な歌と、ストーリー展開のための語りで、構成している曲です。日本語の歌詞では、内容が少し違います。当時の日本の世相や道徳観を考えて、変えたのかもしれません。そのため、曲想がやや違って、ピアフでは、やや野放図な性格が、表に出されていますが、金子では、少し悲しい人生が、醸し出されています。

 

2.ピアフは、随所に顔を出すちりめんビブラートが、やや気になりますが、それをも魅力にしてしまうほどの、よくとおる声と、カリスマ性があったのでしょう。

金子は、日本語の歌詞ということで、ピアフとはかなり違う声ですが、それでもかなりがんばって、ひびきも大切にしているようで、日本人によくある、喉に少し力の入ってしまう声ではありません。

 

3.日本語で歌うなら、やはり金子が限界かもしれませんが、思い切りひびきだけを重視すれば、ピアフのような声も、目指せるかもしれません。もちろん、日本語らしさは犠牲になりますが。曲の世界観としては、原曲のまま、表現して欲しいところです。(♭Ξ)

 

 

1.フランス語を基本としながらさまざまな言語が出てきて呼びかけている面白い曲です。船の汽笛の音が含まれていて情景をよく表しています。

 

2.この歌のニュアンスは、男性を誘っている部分にあると思います。その意味で、ピアフの音色、歌いまわし、発音はうまいなと思わせる部分が多いです。貴族や階級の高い人物ではなく、もっと民衆に近いことばさばきがまさにピアフの真骨頂といった感じでしょうか。

フランス語の鼻母音だけではなく鼻にかけるような音色を多用することで、異性を誘っている雰囲気の演出がわかりやすく、母音やロングトーンにもその雰囲気が漂っていて聞き手を引き込みます。どこか猫のような音色を使っているのも素敵だなと思います。

金子は発音も鮮明で音色もオリジナルのものがあると感じて素晴らしいと思います。タバコや酒やけのような声の雰囲気が意図としてやっているかはわかりませんが、そのあたりがどこか日本的だなという印象です。

ピアフはどこかかわいらしい人物を連想させ、金子は日本的な港町の娼婦のイメージを歌っているように聞こえます。

 

3.きれいな声やいい発声だけでは難しい表現の歌だと思います。歌詞を読みこむことから始める必要があるでしょう。そういう意味では歌うということよりも役者的な訓練が必要かと思います。体から台詞を発するということです。台詞を喉で細工するのではなく、体で支えて出しましょう。それができてきたらメロディにのせて歌ってみるといいと思います。(♭Σ)

 

 

1.歌詞はハンブルグの港町で生きる娼婦を描いているので、基本的には女性が歌う曲になります。「ハンブルグでもサンチャゴの街も世界の港は何処でも同じさ」で軽快なリズムで歌い、心情を語る、軽快なリズム、心情を語る、を繰り返す構成になっています。リズミカルに歌う、語るように歌う、というのをメリハリをもって演奏することが求められます。心情を語る部分の表現によって、歌手それぞれの雰囲気や個性が出やすい曲だと思います。

 

2.ピアフの声は街の女という雰囲気にとてもマッチしているという印象を受けます。ピアフの人間味のある声や歌い方(少し強め、いい声を出そうとしていない感じ)を聞きながらしぜんと歌詞の内容をイメージしています。ピアフは他のシャンソン歌手よりも子音Rを多めに巻いているように思います。それが結果として娼婦や街の女という表現の一助にもなっている気がします。

金子もまた、声の雰囲気と歌詞の内容がマッチしていると感じました。ドイツ語の発音だけがカタカナなのはやや気になりましたが、心情を語る部分では音程はついているものの、ただただ語っているように聞こえて熟練の歌手の表現だなと思わせます。

 

3.表現力を求められる曲なので、初めてこの曲に挑戦するのであればまずは日本語の歌詞で練習するといいです。日本語歌詞で自身の思い描いた表現をした後での方が、仏語歌詞での音楽作りも断然に近道です。

また、日本語であれフランス語であれ、心情を語る部分では表現として旋律を揺らす感じになります。これも最初からそれらしい感じでやって雰囲気だけを求めると、いつまでも曖昧な感覚のままになってしまいます。まずは、同じテンポの中で拍を取りちゃんと全部の音をしっかりと歌えるようにして、曲全体の地盤をつくりましょう。その後でなら、旋律を多少揺らしても崩壊せずに表現がしやすくなります。(♯α)

 

 

1.歌うというよりも語りの要素が必要とされる曲だと思います。セリフのような部分と、歌のような部分の2つで構成されていると思いますが、歌の部分も歌いすぎず、語りの要素を大切にできるとよいと思います。

 

2.ピアフは歌うというよりも、セリフのような語り口で進めている印象を強く受けます。語りを強く出す部分と、語っているけれど音程をしっかり保っていますね。

金子も歌うというよりも、セリフのような語り口で進めている印象を強く受けます。ただし、ピアフと比べると、語りの要素が強すぎて、だいぶ音程が崩れている印象も受けます。特に語尾の部分では、全体的に音程が下がっています。

 

3.基本は、全体を通してセリフのイメージがあったほうがよいと思います。歌いすぎてしまうとつまらない曲になってしまうでしょう。その中で、歌っぽく語っている部分と完全にセリフのような部分と2つで構成されていますが、どちらも一貫してセリフの要素を失わないようにできるとよいですね。ただし、セリフを意識しすぎて音程が狂ってしまったり、あまりにもかけ離れすぎたリズムになってしまうと、聞いている人の中には少々違和感をおぼえる人も出てくるかもしれません。セリフと音楽、どちらも織り交ぜて取り組めると素敵に歌えるようになるのではないでしょうか。(♭Я)

 

 

1.リズミカルな伴奏にのって歌う部分と、自由なリズムで語りのようになっている部分が交互に何度も出てくるという構成です。真ん中に間奏を挟み、後半も歌と語りが交互に現れます。言語もフランス語を中心に、英語やスペイン語も混ざっています。

曲の内容は、港での男女の刹那的な恋を歌っていて「一人の男が私を泣かせた、幸せにするよと言った。でもあれっきり会えない」というもの。明るいリズムに乗ったサビ部分が挟まれているだけに、メランコリックな語りの部分がとても浮き立つ曲です。

 

  1. ピアフは声のひびきが類を見ないほどの明るさです。とても上あごにひびいた明るい声です。ブレスが長いのでダイナミックな表現が可能で、少し大げさな巻き舌でことばをくっきりはっきり発音することでとても劇場的な表現となって魅了しています。金子由香利と比べると、テンポは少しゆったり目です。

金子は語尾を下げるように歌って表現しています。毎回同じ語尾の表現だと、聞く方は少しマンネリ化してくるかもしれません。語りを中心に表現して、歌い上げるというより、ストーリーを語るスタイルです。その分あまり、表現の起伏がないような印象も受けますが、この曲の持つアンニュイな雰囲気が出ていると思われます。

 

3.リズミカルな伴奏にのった歌の部分と、ゆったりとした刻みの少ない伴奏での語りの部分のメリハリをつけましょう。しっとりメランコリックに表現したければ金子のような歌いまわしを選ぶといいですし、とてもダイナミックに表現したければピアフの真似をすることでいい練習になると思います。ことばを自分のものにして、台本を読んでいるようにならないように、心から語っているようになるまで、何度も練習が必要でしょう。(♯β)

 

 

1.曲調からは明るい曲に聞こえますが、歌詞を読むと実はとても悲しい曲だと思います。港町の娼婦の設定です。ハンブルグは北ドイツの有名な港町。その職業の刹那的なこともそうですが、「ハンブルグは雨の空」という歌詞が繰り返し歌われ、なんとも物悲しいイメージが湧きます。(私はハンブルグは行ったことがありませんが、アムステルダムに行ったときはやはり雨でした。安居酒屋で一人食事した夜を思い出しました。)歌詞の世界を語り手としてただ伝えるだけで胸にひびく曲になると思います。

 

2.ピアフの淡々と歌う感じが切なさを増します。きわどい内容の歌詞を、悪びれることなくシンプルにことばをおいていきます。「男」が愛を語るところは逆にかなり粘る色っぽいフレーズづくりになっており、逆説的で説得力があります。

金子はノンビブラートでちょっと低めまでポルタメントして終わるフレーズづくりがよいです。「男」に告白されるところ、思い出すところの伴奏がゴージャスでアレンジが面白いと思いました。思い出から我に返る間が絶妙です。金子は、初めて聞くとワンパターンに思えるかもしれませんが、声色、ブレスも、何パターンもあり、表現手段の多さにびっくりします。

 

3.声の練習の意味では、曲始まってすぐの「hello boy」から始まる各国語で話すセリフのところをフレーズコピーしてみましょう。ピアフも金子も工夫があって面白いです。(♭∴)

 

 

1.港町ハンブルグで船乗りたちの相手をする娼婦の情景。陽気な2拍子に乗せて各国語で客引きをする様子に、マンドリントレモロが開放的な空気を漂わせる。男たちが真剣に、あるいは戯れに口説く台詞ではべっとりと拍子が止まる。彼女はそれに溺れることなくドライ。はいはいお仕事、と言わんばかりにまた冒頭の陽気な2拍子が戻ってくる。

 

2.ピアフは蓮っ葉な表現のなかに、どこか甘さを漂わせる声です。喋ることばがそのまま歌になったようにしぜんで明晰です。rをイタリア語のようにはっきりと巻く発音が、歌にパキッとした輪郭を与えています。ミュゼット(アコーディオン)の音のような繊細なビブラートが特徴的です。

金子は非常にリアルに場末の女を体現していて(見事にカタコトの外国語!)、歌手というよりも一流の役者の芝居を見るようです。

 

3.フランス語でシャンソンを歌われる場合は、ピアフをよく聞いてきっぱりはっきり発音することを勉強すべきだと思います。フランス語はなんとなく曖昧に発音すればよいというのは間違いです。

日本語で歌われる場合は、感情を込めすぎると湿っぽくなってこの歌に相応しくないと思います。音域はさして広くない曲ですので、声のポジションが変わらないように留意するとよいでしょう。(♯∂)

No.362

「それでも僕はやってない」周防正行

この映画は、過去に一度見たことがあり自分の中でかなり印象に残っている作品である。大きなテーマとして冤罪という問題が挙げられている。多くの人が形や大きさは様々だろうが人生において何かしらで経験しているような気がする。ただ正しいことをしていればよいわけではないと考えさせられるものだと感じた。様々な可能性を考えて生きていくことは大事だなと強く感じた。

 

サマーウォーズ細田守

この間、タイミングよく時間が合いテレビで放送されているのを見ることができた。この作品は2007年に劇場公開されたもので当時家族で見に行ったのを思い出す。大人になって改めて見ると、人と人とのつながりは本当に大切だなと強く感じた。時勢により軽視されがちだが対面して話してそこに生まれる暖かいものは、少なくとも自分にとっては大切なもので忘れてはならない感覚であると感じる。つらくなった時こそあの感覚を思い出して、今後も無機質な人間にはならないようにしたいと思う。

 

花ざかりの君たちへ」(ドラマ)

今やビックスターになったキャストが多く出演している堀北真希が主役をやっていた2007年版。偶然に機会があり視聴。イケメンパラダイスというサブタイトルがあるように様々な男性キャストが登場しており演技のベースとなる男性キャラクターの特徴を学ぶことができた。また、実写だからこその視線の間や相手の顔色を窺っているときの呼吸等一話だけでも多くのことを吸収できた。今まで見てきた面白かった作品等を見返して自分の血肉にしていくのは楽しみながらできるので今後時間が空いたらやっていきたい。

 

檸檬梶井基次郎

私小説で、病んでいる人特有の思考と狂気を感じる作品だった。暗い小説を書く人は難解なたとえや理解に時間がかかる作品が多い印象だが、この作品は比較的わかりやすいと感じた。狂気的な表現からはその人独自の異常さがあり、だれでも考え込みすぎるとこういう気持ちになるよなと感じた。今の自分は、マイナスに同調してリンクするというより過去の自分をそこから見つけるような経験に基づいて読むような思考になっており自分の変化に驚いた。今後も変化をたどっていきたい。

 

レイトン教授と最後の時間旅行」 level5(ゲーム)

過去に人気を博した謎解きシリーズ。謎の監修は多湖輝さん。

最近ひらめきというか発想や視野が狭いなと感じることが多く、アプリでリリースされたことを知り購入。問題を解くことにより常識にとらわれている自分を客観視でき色々な可能性を与えてくれる。留学を通して価値観が変化したのと似ていた。こういう一つのことを立体的にも平面的にも見れることは必要だなと楽しみながら感じさせてくれる名作だと思う。

 

ポケカラ」SNSカラオケアプリ

この場で歌を披露しています。元プロだったり、歌手志望だったりとなかなかレベルの高い場です。ありがたいことにフォロワーさんが数百人ついて下さって、その方々のコメントに「こんな素人の歌を聴いてくれてありがたい」と感謝のリプをし続けていたら気持ちが病んできました。「自分の歌を聴いて欲しい」から、こちらに自分の存在を知らせるためにコメントしていると気づいたからです。素人の歌を好んで聴く人はいません。

本当の歌手や芸能の世界は厳しいです。プロの覚悟はなんたるやと感じます。金銭を払っても聴きたいと思ってもらわなくてはならない。楽しませる、泣かせる、気持ちよくなってもらう。どうすればいいか必死で考える。声や技術を磨く。SNSの世界でも、「自分はプロだ」という心構えで作品を作り、披露してリプライがなくても毎回聴いてくださる方を得られたら本物のアーティストなんだろうなと、考えるきっかけになったアプリでした。

 

萬馬軒 橙 代々木店」

偶然目に入り、お腹が空いていたので入ってみた。何ヶ月ぶりかのラーメン店。味噌ラーメンが売りのようで、つけ麺が大盛りサービスらしいとの事でつけ麺を。暫くしてつけ麺が出てきた。熱々のスープは、その場で具材や香辛料味噌などと炒めて作った出来立ての香ばしいものだった。口の中で湯気を通して伝わる香ばしさがすごく魅力的であった。五感で感じられるものは惹きつけられるものが多いなと思う瞬間でした。

V019「マック・ザ・ナイフ」 エラ・フィッツジェラルド/渡辺えり

1.歌詞と曲と演奏など
(ことば、ストーリー、ドラマ、情景描写、構成、展開、メロディ、リズム、演奏、アレンジなど)
2.歌手のこと
(声、オリジナリティ、感じたこと、伝えたいこと)
3.歌い方、練習へのアドバイス

 

 

1.クルト・ヴァイル作曲の「三文オペラ」という音楽舞台劇の、冒頭の曲がジャズに編曲されたものです。私は、オペラの舞台として「三文オペラ」に参加し、先輩と、アニメ「ジャングル大帝」の主題歌を歌っていた先生が、このメッキ・メッサー(盗賊団のボス)のダブルキャストだったので、とても印象に残っています。オペラの内容はそれほど怖くなく、不思議なハッピーエンドで終わります。ジャズに編曲されたこの曲は、オシャレで、原曲のおどろおどろしい内容とは、かなり違います。

 

2.渡辺は、なかなかよい声で歌っています。役者ということもあり、喉声に少し近いのか、何度も聞いていると、声の伸びや輝きが少なく、喉が少し辛くなります。それに比べると、エラは、同じように地声なのに、何度でも繰り返し聞けるのは、伸びや輝きが声のメインになっているからでしょうか。二人とも、ジャズの巨匠ルイ・アームストロングふうのダミ声を、途中で使っていることは、驚きです。

 

3.日本語での歌唱の場合は特に、日本語らしくなり過ぎるあまり、喉声にならないように、気をつけましょう。しっかり、声を前に出して、喉にかけ過ぎないことが大切です。(♭Ξ)

 

 

1.打楽器の一定のリズムの中で歌手が自由にことばを紡いでいく、典型的なジャズの形式の曲です。リズムが一定で、メロディも派手に動くタイプの曲ではないので、歌手の力量が必要な曲です。

 

2.渡辺が、歌手としてのクオリティがとても高いことがわかります。しかし、エラのように一音一音が体からでているという感じではなく、息がメロディにそって横に流れています。一見きれいに聞こえるのですが、音としては弱い。全部を支えて深い場所で支えられて胸の響きももった音が紡がれているのが、エラです。

高音や強く出したい箇所では、圧迫が加わりそこから密度の濃い声がでてきます。渡辺も同じような音を出そうとしているのですが、それは音を近づけているだけで圧迫が加わった声ではないです。

 

  1. 歌う前に歌詞を役者のように喋れるところから始める必要があります。体でことばを支えなければいけません。メロディを歌おうとすると息が流れてしまいます。そうすると一見きれいだけど、芯のある声からは遠のいてしまいます。少し体への負担はあるかもしれませんが、体でとらえた発声が必要です。(♭Σ)

 

 

  1. マックという鋭いナイフを持った殺し屋が町に戻ってきたかもしれない、という噂話を描いた歌詞です。軽快なメロディに乗せて歌うことで、町の住人が噂話に好奇心を駆り立てられるさまがよく表現されています。多くの歌手たちに歌われ、人によっては歌詞を少しずつ変えているので、いろいろな歌手のものを聞いてみるのも演奏の参考になると思います。

 

  1. エラは高めで明るい響きの声だと感じました。その高くて明るい響きの中に、力強くてタフな部分もしっかりと持ち合わせています。エラがライブの途中で歌詞を忘れてしまったものの、機転を利かせて即興でその状況に合った歌詞をつけたり、スキャットで盛り上げてむしろ楽しませてしまうところが凄いの一言です。そのままを模倣するお手本には不向きですが、ぜひライブ中での即興演奏とその空気感を感じてみてください。

渡辺は、曲の隅々までよく練習したと思わせる歌唱で、こちらも伸び伸びと歌っている様子もうかがえて、歌手としての活動を全く知らなかっただけに驚きです。スキャットも取り入れて歌声も緩急があり、渡辺自身のマック・ザ・ナイフに仕上げていると感じました。

 

  1. 技術的な部分(音程やリズム、歌詞の発音など)をしっかり練習した上での話になりますが、ちゃんと歌詞の内容をしっかり把握し、それぞれの単語の意味をわかった上で歌うようにしてください。ことばにするとあたりまえのように思えますが、外国語の曲を歌うときに何となくの意味は知っているという曖昧な状態で歌っている人が多いように見受けられます。特にこの曲の歌詞は次々と情景描写をしているので、単語を一つ一つ把握しているか否かで表現も大きく変わってきます。また、スキャットは即興でやらないといけないと思わずに、こう歌いたいと思うものを予め決めて、感覚が身体に馴染むまでしっかり練習してください。(♯α)

 

 

  1. もともとが音楽劇の劇中歌で、アレンジはジャズなので、きれいに歌うことよりも「セリフ」的なニュアンスでとらえるとよいのではないでしょうか。

 

  1. エラは、ジャズ的な歌い方として、他の人にはなかなか真似のできないものを持っているように感じます。それゆえ、他の人が彼女の真似をしようとしても、無理が生じたり違和感のある状態になりかねないので、真似をするという観点では参考にしない方がよいのでしょう。

渡辺は、映画やドラマだけではなく、舞台にも立たれている女優だけあって、声も表現も生き生きとしているのが印象的です。日本人として「歌」とどう向き合うかということの一つの答えを示しているように感じます。「歌手」を名乗る人よりも、ことばが明瞭で、音楽や声が生き生きと聞こえるのはなぜなのかということについて、たくさん学ぶべきところがあるように思います。

 

3.基本的に、舞台でセリフをしゃべっているようなニュアンスを大事にできるとよいですね。この喋りに音とリズムがついているというような感じでとらえましょう。ノリのよさも必要とされると思いますが、音とリズムだけが優先されてしまうとつまらない曲になってしまうと思います。ノリノリでセリフを語っているのが歌になってしまったような状態になると、理想的なのかもしれません。(♭Я)

 

 

  1. コーラスのたびに高く転調しています。9コーラスあり、G、G、♭A、A、♭B、B、C、♯Cis、♯Cisといった具合です。どこか憎み切れない主人公マックの物語を歌っていますが、エラは「ボビーダーリンやルイ・アームストロングがこの歌のレコードを作り、今エラがその残骸を作っています」とコミカルな歌詞を挿入しています。7コーラス目には彼を模したダミ声で歌っているもの印象的です。最後は「もう我々はベルリン(ライブをしていた場所)を去りますが、マックが戻ってくるのでご用心!」で臨場感のある歌詞で締めくくっています。

 

  1. 渡辺は、さすがキャリアの長い女優で、ことばも明瞭で、表現もよく伝わってきます。歌に比重をおくというより、ストーリーテラーであることに比重を置いて、ときにシリアスに、ときにコミカルに語るように表現しています。エラがルイ・アームストロングを真似したダミ声を真似し、「田舎のジャズ喫茶で初めてエラを聞いていつか歌おうと思った」と、コミカルな歌詞を入れ、エラのバージョンの歌詞をさらに模倣したものとなっているのも洒落がきいています。

エラは、非常に臨場感のある歌詞で、即興的なスキャットも織り交ぜ、お客さんとの一体感を作り上げ、場を最高に盛り上げています。この即興でお客を喜ばすということがジャズの醍醐味なのではないでしょうか。それを毎ステージ成し遂げている時点で、もう天才としか言いようがないと思います。声も女性歌手にしてはなかなか出しにくいルイ・アームストロングのようなダミ声を模している点も大変魅力的です。歌と本人が完全に一体となって演奏しているように感じます。

 

  1. この曲を歌うには、歌詞の内容をよく理解し、どのような登場人物でどのように描き出すかという背景をしっかり作ることをおすすめします。単に音とことばを真似してもうまくいかないでしょう。渡辺の人物解釈を真似して取り入れれば歌いやすいかもしれません。次に自分なりの歌詞解釈をして、歌ってみてください。歌詞もオリジナルのものを挿入できたらいいですね。(♯β)

 

 

1.曲の特徴が二つあります。はじめ、コードの第6音を歌うということ。(Cに対して、ラの音。)そして、1コーラスごとに転調して半音上がる、ということです。壊れたレコードのように、テンションが上がっていきます。

 

2.エラのエネルギーのある歌唱に引き込まれます。転調も何度もあり、すごく音域の広い曲のように聞こえますが、オクターブと少しです。狭い音域を広く聞かせる、というのもすごいテクニックだと思います。ちなみにエラは、この当時有名だった曲をライブで思いつきで即興でカバーしたらしく、歌詞を間違えたり、「忘れちゃったわ」と歌ったり、スキャットでごまかしたり、とひどいものです。欠点を補って余りある魅力ですね。

渡辺の歌唱は、6度が低めで、そこが独特の雰囲気でよいです。

 

3.エラの音源をつけて、一緒に歌います。(渡辺のものより音域が広いのでエラの方がトレーニングには適します。)一緒に歌うことで、音感、転調、発声のトレーニングができます。まずは音感。第6音をとるのは難しいので、その感覚をつかみましょう。初めの2コーラスを繰り返して練習します。第6音の感覚が身についたら、2コーラス目から先に進みます。転調のトレーニング。半音ずつ上がる転調が繰り返されます。(はじめト長調と最後変ニ長調は2回ずつ。)転調するときに、コードの感覚と第6音の感覚が難しくなります。ついていけるようにしましょう。実際に出す声と、頭の中の整理を冷静につけるようにしましょう。通して歌うと半音ずつ上がるので、発声練習になります。失礼な使い方かもしれませんが、楽しく発声練習できます。(♭∴)

 

 

  1. ブレヒト三文オペラ』の劇中歌で、殺し屋メッキー(マック)の完璧な「仕事ぶり」について人々が噂する、といった内容。ジャズふうに編曲されて大流行しました。特にルイ・アームストロングによる歌唱で一躍有名曲となり、今日ではジャズのスタンダードナンバーとして扱われています。エラ・フィッツジェラルドは一部分を「ルイ・アームストロングも歌ってる」という歌詞に変えて、続くスキャットルイ・アームストロングふうの骨太な歌声で披露しています。

 

  1. エラの声はトップノートこそキュートな印象ですが、元来リッチな声質の声帯を薄く使って、よく通る明るい声に鍛え上げているように感じます。ルイ・アームストロングの物真似で聞かせてくれる力強いダミ声は、軽いだけの喉では表現できないものです。

渡辺の歌唱はとても自然で安定感抜群。歌手より役者として活躍している人なのでレベルの高さに驚きました。深い呼吸に裏づけられたブレない発声だと感じました。

 

3.歌唱パートのリズムは単純ですが、ビートをよく感じでダレないように。どんどんキーが上がっていく曲なので、どの調で歌えば無理なく効果的な演奏が可能かの見極めも大切です。(♯∂)

 

 

「福島英のヴォイストレーニングとレッスン曲の歩み」より

30.エラ・フィッツジェラルド 「マック・ザ・ナイフ

 

  感心したのは、歌手でなく、渡辺えりの「マック・ザ・ナイフ」です。長い歌詞もうまく訳して、見事に処理していました。もちろん、エラ・フィッツジェラルド版がお勧めです。

No.361

「響」(映画)

15歳の天才小説家が主人公の漫画を原作にした話。この主人公がどういう経緯をたどり世に出ていくかを様々な視点で見ることができる。主人公のもつ世界観・価値観と現代の世界の持つそれとが対比されてるようだと感じた。自分自身の本当の気持ちを堂々と言う主人公に対して、社会や周りの目を考えて自分の本当の気持ちを隠す人ここの葛藤が自分の中では最も印象に残った。自分自身も良く感じるところなので、うまくコントロールしたいと思った。

演技という観点から見て、非常に好きだなと感じたのは柳楽優弥さんの演じた新人賞を主人公とともに受賞した28歳。自身を曲げない思い強い意志を持ったキャラで、バイトの上司にも思った方を口にし、主人公にも周りにも強く当たるような人間。ギラギラしたもの暑い思いが根底にあるからでる上から挑発的な発言が良い意味で刺さった。ああいうキャラを演じてみたいなと久しぶりに思えた。

 

「もしも徳川家康が総理大臣になったら」(本)眞邊明人2020年、新型コロナの初期対応を誤った日本の首相官邸クラスターが発生し、総理大臣が感染の上死亡!

未曾有の混乱に陥った日本政府はAI(人工知能)とホログラムの技術により日本史上の偉人たちを現代に復活させ、彼らを閣僚とした「最強内閣」組閣計画を実行する。

錚々たる顔ぶれで構成された「最強内閣」は迅速な意思決定、えげつないほどの決断力と実行力で大胆な政策を次々に実行してゆくが・・・

ロジック云々以前に問われる人間力としてのリーダーシップとは?

この作品は勿論、飽くまでフィクションですが、現代の日本人が忘れてしまった日本人の底力を蘇らせるきっかけになればと思い、自分は目下音読を絶賛実施中です!

 

「モネ展」(アーティゾン美術館)

最近良いなと思うものや、小説等様々な所で縁があると感じた。クロード・モネ

印象派の由来ともなって画を描いた人物。

自分の表現者として相手に伝えたい自然の美しさをまさに画で表現しているのがモネだと感じた。自分自身により良い刺激を与えてくれる存在だと感じたためよく知っていこうと思い「モネ展」へ向かおう感じた。

10月に開かれるそうだが、期間があるため、他の美術館でもみに行きたいと思う。

 

「御岩神社」(茨城県日立)

親が何かと子の神社と縁があるらしく自分も行くことに。噂によると日本一のパワースポットや宇宙から地球を見た際に日本に光の柱が立っておりそこを調べるとこの神社付近だった等色々と言われているようだ。実感しないと信じないタイプでもあるので、行った際にまた書きたいと思う。

V017「帰り来ぬ青春」 シャルル・アズナブール/今陽子

1.歌詞と曲と演奏など
(ことば、ストーリー、ドラマ、情景描写、構成、展開、メロディ、リズム、演奏、アレンジなど)
2.歌手のこと
(声、オリジナリティ、感じたこと、伝えたいこと)
3.歌い方、練習へのアドバイス

 

 

1.この曲は、歌詞が重視され、ほとんどの部分にレガートがないばかりでなく、歌詞の都合による歌いまわしが、随所にみられます。それを補うため、きれいなメロディや、長い音符のメロディが伴奏についています。
オペラの中に、歌(アリア)の前や間をつなぐ、台詞部分に音程がついている、レシタティーヴォという部分があります。形としては、この曲に似ていますが、内容としては、この曲は、歌(アリア)になっているので、不思議な感じです。

2.アズナブールは、この曲の作詞・作曲者で、この曲の特徴は、そのままアズナブールの歌手としての特徴といえるかもしれません。ほとんどレガートで歌わず、いわゆるちりめんビブラートも多いのです。
今陽子は、歌詞が日本語のためもあってか、随所に短いながらレガートが感じられ、好感が持てます。シャウトのためか、声がややハスキーになっています。よい発声なので、表現をシャウトで補わなければとも思います。

3.本格的にシャンソンを歌いたい人以外は、なるべレガートを感じながら、歌いましょう。(♭Ξ)


1. 日本語にしたときに柔らかい印象になってしまうのですが、本来はかなり強いことばや表現が多い歌です。日本語の歌詞でそのまま日本人的な感覚で歌ってしまうと、とても甘い歌に聞こえてしまいそうですが、あえて強い表現をもって歌ったほうが効果が高いと感じます。

2. 今陽子は、語っているという印象が強いです。比べると声が弱いというのが第一印象で、同じ曲を歌っているように感じないです。アズナブールの声は息もれが少なく、声とことばの輪郭がしっかりとしているのに比べ、全体に息もれが多いので柔らかいというよりも弱い印象を受けてしまうのでしょう。
しかし、今陽子の歌唱力は日本人としては、とても高いレベルだと思います。ことばも鮮明に聞こえますし、メロデイラインも美しい。声の流れが美しい歌手という印象です。
アズナブールは、声が美しいというよりは、語り方が独特で、声に色があると思います。少し暗めのセクシーな音色が独特だなと感じました。
  
3.日本語のニュアンスで歌わないことでしょうか。あえて、フランス語の歌詞を直訳したものを何度も読んでほしいです。日本語の歌詞と雰囲気が違うはずです。本来のフランス語のニュアンスや内容に書かれた音楽という意識をもって歌うといいと思います。(♭Σ)


1.原曲の歌詞はフランス語ですが、日本語の歌詞に比べて子音が多く、フレーズ自体も日本語より長くなることから、旋律の輪郭が曖昧にならないよう、音楽的表現はもちろんのこと、発音とリズムをしっかり取り組むか否かが演奏を左右します。
また、フランス語歌詞の中には「額の皺」や「倦怠への怖れ」とあるので、20~30代の人が歌うと、歌詞の内容と歌手自身の等身大の表現がチグハグになりかねません。ライブなど人前で演奏する際には、そういったことも考慮して選曲しましょう。

2. 歌う年代や言語などによって違いはあるものですが、アズナブールはフレーズの終わりに小刻みなビブラートのような声の震えがあって気になりました。一方で、今陽子は、声に癖がなく、ストレートな声ならではの表現で、この曲の切なさがよく出ていると感じられます。

3.歌い出しからずっと短いフレーズが続くので(休符が多いので)、こういった曲は全体の流れが途切れ途切れになりやすい傾向にあります。音取りや曲全体を一通り歌えるようになったら、いったん休符を省いて、なるべくフレーズを続けて歌うという練習をしてみてください。程よいところでブレスを入れながらも休符がない状態で歌うということです。この練習をした後で、また元の曲通りに歌ってみると、曲の感じ方がガラッと変わります。ブレスするごとに捉えていたのが、もっとより大きなフレーズとして捉えることができるのです。短いフレーズを歌いながらもそこで途切れず、次のフレーズに向う感覚になっているでしょう。(♯α)


1.原語のフランス語ではことば数が多いのがとても印象的です。日本語訳詞でもことばが多いと思います。ですので、「歌う」というよりも「語る」というニュアンスを大事にした方が合うと思います。

2. アズナブールは、フランス語を喋るように歌い進めていくのが印象的です。語りながら淡々と進めていくのが、結果的に歌になって聞こえているように思えます。
今陽子の声は、比較的軽めですが、劇的に詞を表現しようとしているように感じます。少し表現に偏りすぎてやや叫び傾向になっている部分は、マネし過ぎない方がよいでしょう。

3.この曲は「歌う」というよりも詞を喋るニュアンスが必要とされると思います。フランス語でも日本語訳詞でも、歌詞をしゃべる練習を繰り返し行って、詞の持つフレーズ感を活かせるように心がけるとよいと思います。歌詞をしゃべる、そこに音とリズムが加わっているという認識で、あまり「歌う」と思いすぎない方がよいのではないかと思います。
歌詞をしゃべる練習では、もごもごしすぎて伝わらないというのではもったいないので、口形は極端に変えすぎず、かといって閉じすぎず、しっかりことばが伝わることを土台に考えてみるとよいでしょう。(♭Я)

1. 3拍子、AA B B AA Cでメロディが構成されています。シャンソンの「枯れ葉」と同様の下降する和声進行です。若い自分がすべてを失い、未来に希望を見いだせず、失敗だけが残った自分の人生に絶望しているのです。

2.アズナブールは、曲は3拍子。一語一句はっきりと聞き取れる明瞭な発声で歌っています。日本語で歌う今陽子に比べるとウエットな表現ではなく、切々と語っていくスタイルです。声もしっかり張っているので、メロディラインが美しく耳に残ります。
今陽子は、曲は4拍子、本編の歌に入る前に語りが入っています。ウイスパリングボイスでささやくような声で歌い始めています。語りの要素が強いように感じます。それぞれの言葉「過ぎた昔」「鳥のように空を飛んだ」「誓い合った愛の言葉」「もろい城」などの表現に即して明るい音色で歌ったり、暗い音色で歌ったり、時に泣き声を混ぜるなど歌い方を変えています。アズナブールに比べると、抒情性を打ち出した歌唱になっています。最後のラララでは言葉にならない、少し泣きが混ざったような声で感情を表現しています。

3.3拍子で歌うか、4拍子で歌うかでだいぶ歌い方も、表現もフレーズの長さも変わってきます。フレーズが1小節ずつ物切れにならないように4小節ひとまとまりになるよう大きくとらえて歌いましょう。
日本語で歌う場合は、単語のニュアンスをそれぞれのカラーで表現して歌うと表情がつけやすいと思います。
(♯β)


1.この曲は初めは単調な繰り返しに聞こえるので、構成を聞き取ることが大切です。コード進行に注目してください。イントロとコーダを除いて、一定のコードの繰り返しが6回ありますね。これが2回ずつセットで(頭はhier ancoreで統一されている)、メロディに着目してAABBAAの形になります。それぞれの「一定のコード」はgマイナー7から始まり、dマイナーに終わります。すべて、元の調dマイナー固有の調のセブンス(臨時記号がない、ただしdマイナーの直前のA7は除く)を4度ずつ上行しながら規則的に上がっていきます。このような規則的なコード進行をゼクエンツといい、らせんを上がるように、テンションを上げていくように、進んでいくように、演奏します。特にメロディラインが下がっていくので、フレーズが下がっていくように歌ってしまう人が多いと思いますが、最後のA7までテンションを上げていくように。

2.音形が下がっていくフレーズをどう処理するかを聞き比べてみましょう。
アズナブールは伴奏とずれて食い気味に入っていくことで、フレーズのテンションを保っています。伴奏とあっているのは各番の初めの「hier ancore」と曲の最後の「mes vingt ans」くらいではないでしょうか。
今陽子はフレーズの中というより、フレーズを繰り返す中で少し盛り上がっていくように設定しており、アレンジの魅力もあってこれはこれで魅力的です。

3.歌いだしはとても大切です。Hier ancore 出だしをフレーズコピーしてみてください。初めに体の深いところで取れないと、そのあと上ずるだけになってしまいます。大地にずぶっと刺す感じで。(♭∴)


1. 原題は「Hier encore(つい昨日のこと)」。考えなしに生きていた20歳の頃の愚行を自嘲気味に、しかし少し懐かしげに振り返る内容です。ドライな詩に反して、音楽はセンチメンタルなワルツでストリングス中心のシンプルなアレンジ。
日本語版は4拍子にアレンジされ、原詩にはない失恋要素が加えられているため、全く別の曲といってよいウエットな印象に変わっています。

2.アズナブールは、ぶっきらぼうに突き放したような歌い方で、ほんの少ししゃがれた声は決して美声ではないが、リラックスした身体から繰り出され、無理なく心地よいです。歌詞が全て書き取れるほどにことばが明瞭です。
今陽子は、ほんのりハスキーなのにのびやかな声(なかなか両立しない要素!)で、女性的で甘美なピアニシモからダイナミックなラストまで破綻なく運んでいくのは圧巻でしょう。

3.フランス語で歌われる人にお伝えしたいのは、フランス語はもっとクッキリと発音すべきだということです。なんとなくモゴモゴと言葉を口の中に留める印象のフランス語ですが、アズナブールやピアフを聴いてみてください。曇りないクリアなのがわかると思います。
この曲に関しては、音域はそれほど広くありませんので、よくリズムに乗せて読む練習をするのが肝要です。湿っぽく歌わず、一歩離れたところから自分の姿を眺める冷静さが肝要かと思います。(♯∂)


「福島英のヴォイストレーニングとレッスン曲の歩み」より
27.シャルル・アズナブール 「ラ・ボエーム」「イザベラ」「帰り来ぬ青春」
 
 シャンソンの悪名のちりめんビブラートのように聞こえて、とっつきにくい人も多いのですが、あるとき、その声の魅力に目覚めるとはまってしまうのが、シャンソン歌手の第一人者、シャルル・アズナブールです。
 
  「ラ・ボエーム」は、日本語歌詞をせりふとして読み切って、できるだけそのままメロディを従えています。「イザベラ」は、「ことばをメロディ処理」する練習に使えます。特に「イザベラ」と繰り返すところは、そっくりその練習になります。「イザベラ」で1オクターブ半あがっていくのです。せりふとメロディの混ぜ方もアズナブールならではのものです。(「機動戦士ガンダム」のシャア・アズナブールは、彼の名に由来します。)
 
 「帰り来ぬ青春」は、多くの人がコピーしています。シャーリー・バッシーがお勧めです。日本では今陽子がもっともよく、梓みちよや深緑夏代もよいです。
 今陽子はピンキーだった頃の「恋の季節」の「恋は、私の恋は~」、梓みちよの「二人でお酒を」の「それでも~ 飲みましょうね」は、日本人離れしたフレーズです。
 それにしても、青春の頃に聞いていたこの曲を、もう帰り来ぬ青春とわかる年齢になって、想い出すことになるとは感慨深いものです。もう帰り来ぬ人の唄。
 
 他に聞いてほしいアズナブールの曲と比較したい歌手をあげときます。
 「帰り来ぬ青春」シャルル・アズナブール、シャーリー・バッシー、イヴァ・ザニッキ
 「イザベル」
 「ラ・ボエームイヴェット・ジロー、しますえよしお
 「想い出の瞳
 「エルザの瞳」
 「哀しみのヴェニス」村上進
 「コメディアン」
 「愛のために死す」大木康
 「ジザベル」
 「青春という宝」
 「私は一人片隅で」
 「忘れじのおもかげ(she)」エルヴィス・コスティロ

No.360

TV

 

島田秀平の怪談巡り」島田秀平YouTube

この時期はやはり怖い話を聞きたくなるのが常で、色々と聞いてみました。

相手に想像させることと、話をきれいにまとめるのが上手なのが大事にされているのかなと感じました。これもまた芝居や朗読と通ずるところがあるなと。シウマさんという方とのコラボは聞いたことのないような話で、別の次元に生きてる人の話のように感じ面白かったです。

 

「千鳥の対決旅」千鳥、かまいたち、ロバート等の世代とEXITマヂカルラブリー等の世代

久しぶりに見てしまったテレビ番組。ロバートの秋山がいたのでつい目が離せなくなってしまった。芸人はみんな常に思考して、その会話の際に的をた本質をついた良い言葉を選ぶ等心理戦のような空気を感じた。また、皆一様に目が特徴的だった。ベースには確固たる決意というか強い信念があってその上に状況に応じた様々な要素を載せているのかなと。

どんなにことにせよやはり自分自身と向き合って基盤を作った人は強く、魅力的にみえると思った。

 

「林先生の初耳学」

今回、林先生と対談で山田孝之さんが出ていました。

考えずに感覚でやる天才というイメージであったが、全く違っていた。台詞の意味、キャラの見た目の意味、そう言ったことの原因を考えて、役作りをしていることがわかった。

演じるという意味では、キャラを深く理解するほどリアリティを帯びておもしろさやナチュラルさに繋がるのかなと考えさせられた。

 

BOOK

 

「声優白書」松田咲實

歴史は同じことの繰り返しというが、やはり何年経っても求められているものは変わらないのだなと感じた。

人間性、表現力、世の中の需要、タレント力、強い意思 読んでいてこの5つが自分の中で特に重要なのではないかと感じた。

 

「ライオンのおやつ」小川糸                     

2020年度本屋大賞第二位の小説。読み始めて一気に世界へ引き込まれた。レモン島にある、海の見えるホスピス「ライオンの家」で、人生の最期を迎えようとやって来た33歳の女性が、島に来てから本来の自分自身を取り戻していく。本当はどうしたいの?という問いかけは、今の私にも強く響く。付き合いで笑ったり、相手をほめてみたり、いわゆる人間関係を円滑にする術は、生きていく上で大事だけれど、それを「なんだかなぁ」と感じている自分が確かにいる。歳を取っていくごとに、そういう、お付きあい仕草から少しずつ、遠ざかって、偏屈な人になりたいなと、ぼんやり思った。

 

「たゆたえども沈まず」原田マハ

フィクションとはいえ、ゴッホの生涯について書かれた小説。歴史的な事実を所々に入れているため歴史を理解するうえでもわかりやすかった。絵画の展覧会に行く機会もあるので、今後の参考にしたいと思う。

 

ゴリオ爺さんバルザック

 

学生時代から著者と本のタイトルは知っていましたが、読むのは初めてです。タイトルがインパクトありますよね。ゴリオはただの主人公の爺さんの名前で、特に意味はありません。

舞台はパリの激安下宿、ヴォケール館。いろんな人が暮らします。貧乏学生ながら、社交界デビューを目指し出世を視野に入れる学生ウジェーヌ。大貴族の娘ながら非嫡出で認知されないため不遇なヴィクトリーヌ。大悪党で脱獄囚のヴォートラン。そして主人公のゴリオ爺さん。個々の住人はみんなそれぞれの理由があって安下宿で暮らします。実家も貧乏なウジェーヌ、親は金持ちだが本人は貧乏なヴィクトリーヌ。身分をひそめるためにあえてそこにいるヴォートラン。ゴリオは、もともと製麺業で成功した大金持ちなのですが、娘2人を貴族と銀行家に嫁がせ、娘の散財のしりぬぐいをするために貧乏になってしまいました。娘に対する溺愛ぶりは目に余りますが、娘は2人とも相手にしてくれません。たまに娘が散歩するのを盗み見に行くのが唯一の幸福であるゴリオ。ちょっとかわいそう。ウジェーヌは金持ちになりたいがために、財産が転がり込みそうなヴィクトリーヌ(実はヴォートランによるヴィクトリーヌの実家の暗殺計画)と婚姻するか、ゴリオの娘の愛人になるかで二股です。かなり情けない。

意外と物語として面白く、いろいろ考えさせられる話です。

 

<その他>

 

「イエンセン

代々木八幡駅近くにあるパン屋。

デンマーク[E:#x1F1E9][E:#x1F1F0]のパンを食べられるお店。

比較的菓子パン甘いパンが多い印象です。

シナモンロールが好きなのでおすすめです。

V016「神の思いのままに」 ジルベール・ベコー/しますえよしお

1.歌詞と曲と演奏など
(ことば、ストーリー、ドラマ、情景描写、構成、展開、メロディ、リズム、演奏、アレンジなど)
2.歌手のこと
(声、オリジナリティ、感じたこと、伝えたいこと)
3.歌い方、練習へのアドバイス

 

 

1.とても素直な構成で、あまり細かくない音符で、比較的に均等な長さの音符でできています。部分的には、歌詞の都合や歌いまわしで、細かい音符にわかれたりもしますが、1オクターブ余りの音域ということもあり、それほど歌いにくくはありません。

順次進行が多く綺麗な旋律ということもあり、声の美しさを見せやすい曲です。曲の最後は無理のない高さのロングトーンで締めくくられていて、こちらも、いろいろな表現が可能で、カバーしやすいでしょう。

 

2.ベコーは、エディット・ピアフにすすめられて、ピアニストから歌手になった経緯もあり、ピアフが好みそうな声の持ち主です。しぜんなことばの発音も、声に影響を与えることなく、力強い声も無理なく使えています。

しますえは、口の中がよく空いていて、クラシック歌手が他分野を歌うときに近い日本語になっています。シャンソンというジャンルのためか、声の揺れが少し大きいですが、意図して使いこなしているようなので、シャンソン(日本の)としては、通常のことなのかもしれません。声の揺れ以外は、なかなかよい発声です。

 

3.クラシックを目指している人なら、声を揺らさないように、口の中を空け気味にして、メロディの美しさを感じながら、無理のない綺麗な声を随所に散りばめられるように、取り組みましょう。他のジャンルを目指す人は、口の中は空けなくてもよいですが、できれば綺麗なメロディを活かせるように、レガートで歌えるように、練習しましょう。そこでは、ベコーはお手本にしないようにしましょう。(♭Ξ)

 

 

1.単純なコードと伴奏の曲なので歌手の技量がとても試されるような曲です。何よりもメロディがとても甘い曲なので難易度が高い曲という印象です。派手な曲よりもこのような曲を丁寧に美しく歌う方が、歌手には大変です。あまり跳ねるようなリズムではないですが展開が早く人を飽きさせません。

日本語訳はメロディとリズムとうまくはまっていて、とても心地よいです。日本語訳と曲がうまくかみ合わさっていると感じました。

 

  1. しますえは第一声を聞いたときに細かいビブラートと息で押したような発声の感じが美輪明宏に似ていると思いました。一般的な日本の歌手と比べると深く聞こえるのですが、声帯が開きやすそうな声で息が多くもれている印象をうけます。しかし、メロディをしっかりとレガートで歌う発声の技術と合わせて、言葉がとてもクリアに聞こえるので基本的な声の技量が高い人と感じました。シャンソンの歌手の中にはどこかブツブツと語ることが主になってしまう人もいるのですが、彼はメロディを声で勝負できる素晴らしい歌手です。

ベコーよりも個人的には日本人のしますえの方が共感がもてます。しかし、日本人にはない発音時の喉の強さはしますえにはない要素なので、この部分はベコーを参考にしてほしいです。イメージとしてベコーの方が語るように歌い、しますえの方がより歌っています。

 

3.しますえが最後まである一定の声で歌っているのに対して、ベコーは語る要素が強いので、一曲の中で多くの色があります。学びとして聞くならば、レガートや言葉の鮮明さではしますえを、発音時の体や喉の位置、鳴り方などはベコーを参考にするとよいと思います。同じ曲ですが、よさが違うので比較対象として面白いです。

(♭Σ)

 

 

1.言語の違いからか、日本語歌詞の曲は、アレンジによってメロディがフランス語のオリジナルと少し違います。とはいえ音もリズムも複雑な要素は全くなく、とても耳に馴染みやすい曲です。それゆえに演奏が一辺倒になりやすくもあります。そのような曲ほど歌い手の歌詞の捉え方や表現がより問われます。

また音やリズムがシンプルな曲は、楽器と一緒に演奏する際にテンポが不安定になりやすい傾向があります。例えば、オリジナルではオーケストラなのでテンポを明確に刻む音がないですが、しますえはピアノ伴奏がテンポを提示してくれています。聞くだけなら印象や好みの違いに留まりますが、実際に歌うとなると体感は別もので、オーケストラと歌う場合には、より確固たる自身のテンポ感を持って演奏することになります。

 

2.ベコーの歌を聞いていると歌い出しは優しく誘い、中間部で感情が膨らみ、また穏やかに感情を凝縮し、曲の最後はその感情を解放するというイメージです。その表現が曲全体を通してメリハリのある歌い方になっており、全く歌詞の内容を知らない人が聞いても、きっと印象に残る歌になるのではないかと思います。

しますえは、日本語と仏語という言語の違いもあり、ベコーと比較すると曲の輪郭がぼやける印象を少し受けますが、温かく包み込むような歌声は、日本語歌詞として歌うにあたり、この曲の魅力をより引き立たせていると思います。

 

3.フランス語で歌う場合には、耳コピーではなく、ちゃんとした発音を学んで練習してください。日本語に比べて外国語は子音が多いので始めは大変ですが、しっかり発音すれば逆に子音が発声の助けにもなります。

伴奏なしで自主練習しているとテンポが停滞する(ゆっくりになる)傾向のある曲なので、音程や発音に慣れてきたら、縦割りではなく前に進むテンポを意識することです。(♯α)

 

 

1.穏やかな曲調で、歌詞の内容からも丁寧に程よく劇的に語るように歌うのがふさわしい曲です。

 

2.ベコーは、穏やかに丁寧に語るような歌い方が印象的だと思います。作曲者自身が歌っているので、ことばの運び方や歌い方のニュアンスなどの一つの模範回答だと思います。

しますえは、歌うというよりは、せりふのように劇的に語るような歌い方が印象的だと思います。語るような歌い方という意味で、一つの参考になるのではないかと思います。

 

3.シャンソンですので、原語はフランス語になります。原語で歌う場合、フランス語の発音や読み方に十分慣れてから歌うとよいと思います。フランス語に親しみのない人は、日本語訳詞で歌う方が取り掛かりやすいかもしれません。原語にせよ、日本語訳詞にせよ、「歌う」というよりは、「語る」要素が多めに感じられるとよいのではないかと思います。歌詞をせりふのようにしゃべり、ニュアンスも含め語るように研究し、その後に、そのニュアンスを活かしながら音とリズムを取り入れていくというような組み立て方で練習していくとよいのでないかと思います。そのため、最初に音楽を意識しすぎない方がよいと思います。どのように歌詞を伝えたいかということを大事に考えながら、語る練習をメインで行うとよいでしょう。(♭Я)

 

 

  1. AABAの構成で作られています。Aメロはサブドミナント進行で作られていてとても耳なじみのいい曲です。歌詞の内容は「神よ、私はあなたの奴隷で、私のすべてはあなたのもの いつの日か神のもとに召されるときまでこの喜び、私のすべてはあなたのもの、私のすべてはあなたの思いのままです」と従順な信仰の思いを打ち明けています。

 

2.ベコーは、しますえに比べると声が前に響いていて、より語りを重視しているように聞こえます。一言一句聞き取れるほど明快な発音です。強弱のメリハリをよくつけて心の中の信仰を表現していると思います。

しますえは、軟口蓋を上げて喉の奥のスペースをよく保って歌う傾向があります。若いころの美輪明宏と声の奥行き、響きが少し似ています。ただ声をフォーカスしないので、音がぼやけ言葉があいまいで聞き取れないときがあります。

 

3.音に祈りを込めるように歌いましょう。Bメロは唯一メロディが変化する部分なので、少し強めにfで歌うといいと思います。さらにBメロを経て再現されたAメロはより内密に、心を込めて少し音量を下げ気味で歌うと表現がついてよいと思います。(♯β)

 

 

1.構成を聞き取る力はとても大切です。何が一つのフレーズか、これを聞き取れるようにしましょう。

この曲は単純な構成です。Aメロ一回が一つのフレーズです。Aメロ1回でイントロ。Aメロ2回、サビ、Aメロで1番、2番も同じ、短いコーダで終わり。一般に一つのフレーズは短短長にわけられます。「長」の最後のほうにフレーズで一番盛り上がるところが来ます。このAメロのフレーズはずっと音の高さが下がっていくのがポイントです。音の高さは盛り上がりと関係ありません。音が下がっても盛り上がっていくように、日本語歌詞で書くと「とらえられた」「奴隷のように」「私の心はあなたのもの」が短短長であわせて1フレーズです。フレーズの頂点は「あなた」の小節頭になります。1番ごとの大きな単位で見ると、Aメロ一つが「短」にあたりサビから後が「長」です。一番全体での頂点はサビの最後の部分、コードが急にシャープ系に転調するところです。

 

2.どちらの歌唱も1フレーズの中の短短長を完全に処理しています。一つ目の短で少し進んで戻り、二つ目の短には戻りすぎずに、長に行きます。日本語だと微妙に処理しているため、わかりにくいかもしれません。原語歌唱の、微妙な遅れ、進め方をよく聞いてみてください。

 

3.Aメロをコピーしてみてください。音が下がっていくにつれて盛り下がっていっていませんか。「あなた」まで、フレーズをつなげてください。わからない場合は、トレーナーに聞いてみましょう。(♭∴)

 

 

1.原題の「Je t'appartiens」は「私はあなたの所有物です」といった意味です。「小さな存在の自分が、ただひたすら唯一の存在であるあなたを崇める」という歌詞の内容から、ここでの「あなた」は「創造主」を指しており、一種の宗教的賛歌となっていますが、「あなた」を「神のように崇める人」と捉えることもできます。

弦とハープを中心とした清らかなオーケストラが、まっすぐな祈りの世界を体現しています。

 

2.ベコーは、明瞭で素直な歌声で話し言葉をそのまま引き伸ばしたような、気負いのない自然体の歌が聞く者の懐にスルリと入ってくる印象です。

しますえは、豊かで情感のこもった声の持ち主で、たっぷりの低音にもかかわらず中性的な音色も兼ね備えています。

 

3.是非、日本語、フランス語双方でチャレンジしていただきたい曲です。フランス語では、ベコーに倣い読むことから始め、それを拡大して歌にするとよいでしょう。日本語では、たっぷりとレガートで練習すると、スケールの大きさが表せると思います。(♯∂)

 

 

「福島英のヴォイストレーニングとレッスン曲の歩み」より

11.ジルベール・ベコー 「神の思いのままに」「メケメケ」

 

 「ムッシュ10万ボルト」で親しまれた貴公子ジルベール・ベコーです。研究所のAスタジオに写真が掲げてあるので、よく聞かれます。代表曲は、美輪明宏が訳して、日本でヒットさせた「メケメケ」です。他に「そして今は」「ナタリー」「バラはあこがれ」など、多数あります。「そして今は」は、コニー・フランシス、シャーリー・バッシ―、プレスリージュディ・ガーランド、アンディ・ウイリアムス、シナトラなどもカバーしました。聞き比べてみてください。

おすすめは「神の思いのままに」です。(これはエヴァリー・ブラザース、ボブ・ディランからジェームス・ブラウンらも「Let It Be Me」としてカバーしました)

 

 この曲は、ベコーが歌うのを聞くと、泣いてしまう人もいるくらいに神聖な、信仰深い曲です。ベコーから歌い手の道に入った人も、日本にはたくさんいました。私の知人、ファド歌手月田秀子さんもそうでした。深緑夏代もカバーしているので、比べるとよいでしょう。

 

 日本語歌詞で、日本人の声楽出身者の歌唱と比べることで、ベコーの、あるいは、海外のヴォーカリストとの違いが明瞭にわかると思います。ベコーの強い息での吐き捨てるような歌い方、ピアノの叩き方は、打楽器ベースで歌を処理する欧米の感覚がみてとれます。しかし、こうした身体と一体となったストレートな音色は、日本では、講談のようなもので、歌唱には、みられません。人間の声の音色そのものの豊かさを味わってください。

No.359

「バック・イン・ブラック」ACDC

ロックを聴くということとは縁遠いけれど、なんとなく図書館で借りて聴いた。日頃、歌っているものに比べてなんと激しいリズム、けれど、聴いていると、いろんなことを考えなくてすむ。ちょうど、知人から思わぬ批判を受けて、へこんでいたので、ドラムの刻むリズムに乗ってやってくる、圧倒的な力に耳をまかせることが、意外に心地よく、気持ちが休まった。余計なことを考えずに、音とリズムに身をまかせるのも、たまには良いと思った。

 

「ソロ活女子のススメ」

40歳独身女性が、焼肉からラブホテル利用まで様々な「ソロ活」を体験しながら自分の固定観念を打ち破り日々を謳歌するストーリー。主演は江口のりこさん。

 

「シンエヴァンゲリオンⅡ」庵野秀明

全シリーズを視聴しており、かつNHKプロフェッショナルを見た後に視聴してきました。自分自身が共感する部分が多いのはもちろんですが、多くの人によって作られているものが作品なんだと感じる経験でした。一人ひとりの人生の時間を注がれて生まれる。軽い気持ちで見ているものすべてが色々な人生の証明なのかもしれないと感じました。人にここまで考えさせる作品に出会えてよかったです。

 

「声優白書」松田咲實

今まで何となくだった声優界の歴史や制作・マネージャーサイドの考えを知ることができる良書だった。

 

「野鳥観察ハンディ図鑑」日本野鳥の会

大学時代鳥の研究をしていたため、名残で趣味として鳥の知識を深めようと思い購入。ポケットに入るサイズ感で山野で見られる鳥の情報を網羅しているため散歩のときに気になった鳥類もすぐに同定することができる。身近な鳥に触れるきっかけになる良書だと思う。

 

「地学図録」数研出版

地学の図録

地球に関心のある人は楽しめると思います。

教科書と違ってわかりやすい画像が載っているので見ているだけでも楽しめます。火山・化石・鉱物など身近なロマンが詰まってます。

 

「メモの魔力」前田雄二

自己啓発本の一つ。主観的感情的に物事をとらえがちな自分において、偶然できた成功や良いアイデアをそのままなくしてきてしまった経験に公開して購入。毎日のメモから多くの成功につなげる方法などわかりやすく分析の方法についてが書かれており勉強になった。

 

宝塚歌劇の演目『fff』」

男役の人の発声が自分の出したい声に近いように感じました。

 

三鷹の森ジブリ美術館

井の頭公園近くにあるジブリの美術館に行ってきた。初の来館で少しワクワクしていたが、想像を超えるほどではなかった。(デートなどではよいのかもしれない)ただやはり学びとしてはどんな才能があるといわれる人も当たり前の基礎やアニメや絵を描く上でのセオリーを守っていることがわかった(有名な絵画の模写や計画から実行までの流れ等)。量は質を兼ねるという言葉に最近意識が向いているが、第一線にいる人はその次元ではなくそれにプラスしてどこまで求めるかということをしてるように感じた。今の自分には想像できないレベルであることはわかった。まず自分は、努力というものそうだが当たり前のレベルを上げられるようにしたいと感じた。

 

ポケカラ」

アプリにはまって、SNSで歌唱を披露しています。上手い方のを聴いて勉強できるし、なによりアップするために欠かさず練習するようになりました。

V015「君に涙とほほえみを」  ボビー・ソロ/布施明

1.歌詞と曲と演奏など
(ことば、ストーリー、ドラマ、情景描写、構成、展開、メロディ、リズム、演奏、アレンジなど)
2.歌手のこと
声、オリジナリティ、感じたこと、伝えたいこと
3.歌い方、練習へのアドバイス

 

 

  1. 低い第五音から、高い第六音までの、2オクターブ余りのとても広い音域の曲です。しかし、曲の大部分は、第三音から上の音で、約1オクターブ半になります。曲の始めの低い第五音には、括弧で第三音が書かれ、低音が出せない場合は、こちらを使うように指示されています。

この曲の特徴を活かすには、低い第五音を歌いたくなってしまいます。裏声やミックスを普通に使う女性には、それほど難しい曲ではありませんが、オリジナルのように、男性が歌うには、かなり大変です。構成としては、4小節単位の2個のブロックが、4組でできています。1、2、4組目は、どれも、始まりがアウフタクトで、一つ目のブロックは、歌詞は違いますが、同じメロディです。3組目だけは、2拍目から始まりますが、全組とも、二つ目のブロックは、2拍目から始まっています。また、二つ目のブロックは、全組とも同じメロディから始まり、後半が微妙に違う形になっています。

 

  1. この曲の作曲者のボビー・ソロは、低音も高音も、ソフトな声、いわゆる甘い声で歌われていて、中音域では少し張った声も、一瞬聞かれますが、たぶん高音域では、張った声は使えないのだろうと、想像できます。

一方、布施明は、どの音域でも艶のある声を出したい歌手ですが、さすがに、最低音だけは、難しいようです。中低音域ではやや控えめですが、高音域では、艶のある張った声で、本領発揮という感じです。この曲のイメージを壊さないように、控えめに張っている点も好感がもてます。

 

  1. 三連符が多用されています。リズムを間違えないように、気をつけましょう。また、全体的に、跳躍が当たり前のように、たくさん出てきます。喉を柔らかく使って取り組みましょう。男性は、甘い声で歌う練習としても悪くないので、チャレンジしてみましょう。艶のある声で、音程を外さずに歌うのは難しいので、根気よく取り組みましょう。(♭Ξ)

 

 

  1. ゆったりとしたラブソングですが、低音から高音まで幅広い音域をもった曲です。短い曲ですが前向きな歌詞と美しいメロディです。大きな展開があるような曲ではないですし、難しいリズムがあるわけではないですが、ごまかしがきかない曲という印象です。

 

  1. ボビー・ソロは、持ち声は美しいですが、言葉がリズムでほとんどきれてしまうのでイタリア語のレガ―トな美しさがあまりないです。表現とはいえ、息混じりが多く、そのまま高音域までいくので、これをそのまま真似すると喉を傷める可能性がある

と思います。音が高くなるにつれ、喉頭があがってファルセットに近くなるので発声の参考にはあまりならない印象です。

布施明の方が好感がもてます。体を使って高音域でも音を抜かずに持ち上げられるのは素晴らしいです。声も布施明のほうが力強さがあって曲にあっているように聞こえます。高音域で喉が少し狭くなっているのですが、この狭さは正しいです。この狭さが、あの張りのある高音域をもたらしています。

 

  1. 体で言葉をとらえることが重要です。ボビー・ソロの言葉はブツブツきれているのでもっと口の形を変えずに、舌の動きだけで言葉をさばけると母音の形が変化しないのでレガートに歌えます。(♭Σ)

 

 

1.歌詞はイタリア語ですが難しい単語や言い回しはなく、本当にシンプルな言葉でストレートに「愛の歌」です。メロディ・歌詞の構成も、あえて言うならA-A'-B-A''という感じで、似た旋律や歌詞で歌われ、ダイナミックな展開がないことで、かえって聞き手は甘い愛の歌に流れるように聞き入ってしまう、という曲です。

 

  1. ボビー・ソロは、優しく甘い声という印象を持ちます。あまり声を張らない歌い方、一見すると声を抜いて歌うように感じられるときもありますが、息が止まっていては歌えないので、歌手本人の中ではうまくコントロールされているのだと思います。

一方、布施明の歌唱は、高音域で声を抜かずにしっかり歌いあげているのが、より歌詞の内容を引き立たせていると個人的には思います。歌手による表現の仕方の違いであり、その評価もそれぞれ聞き手によって好みがあることでしょう。

 

  1. ボビー・ソロは、フレーズの中で声を緩める部分が多く見受けられますが、歌い方が確立していない人がこれをそのまま模倣しようとすると、喉に負担がきてしまいかねないので気をつけたいところです。

歌手の歌い方は参考程度に留めて、まずは旋律にしっかりと声を乗せて歌うことから始め、その後で表情をつけていくのがよいと思います。(♯α)

 

 

1.優しく寄り添うような内容の曲ですね。優しく語る要素と、しっかり気持ちを伝えるような要素の二つが大事な曲に聞こえます。

 

  1. ボビー・ソロは、決して声を張り上げず丁寧に語るような印象を受けますが、曲の内容からして適切だと思います。イタリア人だけあって、語るように歌っているのが印象的で、とても自然に聞こえます。”Ricorda sempre”が少し跳ね過ぎなようにも聞こえますが、持ち曲の本人の歌い方ですので、あとは今後この曲を歌っていく方が、より言葉に忠実に丁寧に歌えるとよいのかもしれません。

布施明は、歌唱力で言ったら、近年の日本人歌手には少なくなった実力の持ち主だと思います。しかし、少々音で歌いすぎて言葉が飛び出る部分が個人的にはもったいなくも聞こえます。冒頭は、この人にとっては少々音域が低すぎるのかもしれません。低音域で息を吐きすぎているのが少々気になります。もう少し語る要素があってもいいのではないと思います。しかし、音域が上がるにしたがって、徐々に出しやすい音域になってきてからの歌いまわしはさすがだと思います。少々ポジションが高いとも思いますが、これはこれで成立させていますし、近年の日本人歌手よりもしっかり声を使えていると思います。

 

  1. 歌いだしが低い音から始まっていますので、あまり歌いこみすぎないほうがよいと思います。歌詞を語るような要素があったほうがよいのではないかと思います。

楽譜で見ると3連符が特徴的に見えますが、あくまでもイタリア語の言葉のニュアンスを大事にしていきましょう。そのためにも、繰り返し、イタリア語の歌詞を詞として喋る訓練をして、言葉のニュアンスに慣れていくことが必要だと思います。

日本語訳詞であっても、言葉のフレーズをより大事にできると、もっと素敵に聞こえると思います。(♭Я)

 

 

1.AABA'の形式で作られています。歌詞の内容は「もしあなたが泣くなら、恋人よ、僕も泣くよ、なぜなら僕はあなたの一部だから。いつも微笑んでいてね、もしそうしたくないなら僕が悲しんでいるのを見たくないでしょう。遠く離れていても君は一人なんかじゃないよ。いつも僕は君のそばにいるよ。」といった感じです。低い音で始まり、6小節目には2オクターブも上の音まで上昇して、曲の心情が高まります。声域の広さを要求される曲です。

 

  1. ボビー・ソロは、一音低いAのキーで歌っています。声を抜き気味で歌っていて柔らかな声の魅力を引き立てて歌っているようです。布施明と大きく違うのは、高い音になったときに張るのではなくあえて抜いて歌ってとても情緒を醸し出しているところです。このように歌うことで、この歌詞の切なさ、恋人に対する思いが表現できているのでしょう。

布施明は、♭Bのキーで輝かしい声で歌いあげています。言葉の最初を少々強調して言葉を丁寧に歌っています。低い音で始まるので、最初の音は多少音が鳴らなくウイスパリングボイスになっても、それを効果的に使用しています。小さな声からfで歌ったと思ったらすぐにpにするなどの表現を使っています。三連符が均等にならないように、言葉の抑揚や音の運びのセンスで少しずらすなどして工夫しています。

 

  1. 音の跳躍がとにかく多いので、まずは正確な音程が取れるように、母音のみで歌うことをおすすめします。しかしこれをやりすぎてしまうと、歌詞を情緒的に表現することから遠ざかってしまうといけませんので、次に必ず歌詞をよく読んで、イタリア語の歌詞のリズム感や、日本語の歌詞の抑揚を感じてみましょう。感じたリズム感、音の流れ、をメロディに乗せてみましょう。音と音の間の運びが機械的にならないように、滑らかになるように練習してみてください。(♯β)

 

 

1.なんと音域の広い曲でしょう!初めの一フレーズでほとんど2オクターブ。音域が広い、ということばかりが強調されないように歌わないといけないため、2オクターブ統一した響きがないと取り上げることは難しいでしょう。Aメロ終わりの方にある急に出てくる「準固有六度の和音」にも個人的にはしびれました。多分多くの人が違和感を感じるハーモニーだと思います。音域が広いですが、切ない歌詞を表現するためには、歌い上げるというよりは語るように仕上げなければなりません。

 

  1. わかりやすい冒頭を比較してみましょう。

ボビー・ソロは、「se piangi」「amore」を別々に畳みかけるように語るため、切ない。「io piango con te」歌いこまずに言葉を置く感じ。最後は抜く。

布施明は、「たとえ」かすれるようにうめくように始めており、セクシー。「いまは」を少し遅れて歌うため、次の高い音を聞くための集中力が高まる。「ふたりが」ややフラットぎみ。「が」を修飾させてビブラートをかける。(布施の歌唱は全体的に、フレーズの最後に必ずビブラートがかかるので、それに気づいてしまうとややくどい。)

 

  1. 冒頭のフレーズにかかっています。低い部分をささやくように歌う隙に絶対に休まないように心の中でエンジンをふかし続け、高い音を無理なく出さなければなりません。(♭∴)

 

 

1.原語では「君が泣けば僕も泣き、君が微笑めば僕も微笑む。だから僕の悲しむ顔が見たくないならいつも笑顔でいてくれ」という、どこか『関白宣言』を思わせるような内容。それでも嫌な感じがしないのは、音楽がどこまでも甘美だから。スローテンポの3連符に乗せて歌うナンバー。

日本語の詞からは「男の甘え」要素は、排除されており、離れていても想い合う二人の心情に昇華されています。タイトルも元の意味からは外れていますが、日本で受け入れられやすい美しい邦題だと思います。

 

  1. ボビー・ソロは、息混じりのソフトな声でバリトンテノールの音域を無理なく行き来する歌唱が魅力的です。甘いだけではないコクのある声。

布施明は、音程がフラットなのが気になりますが、詩情たっぷりに歌い上げる方だと思います。こういうのが好きな人はたくさんいるだろうなと感じます。

 

  1. 2オクターブ近い音域が楽々歌えることが必要です。低音に重心を置きましょう。最高音は張り上げず軽く息を投げるイメージで歌うとうまくいくと思います。

(♯∂)

 

 

この曲は、布施明のデビュー曲です。その秀でた歌唱力のベースをみられる、歌のなかでの彼のフレーズづくりの見本帳のようなものといえます。

冒頭は、そのあとの中・高音フレーズのために、殺した「たあとえ今は」から、展開します。「二人がとおおく離れて」「いても」。「心には」「ひーとつのー」と歌うのには、難しいことばが並びます。「あいが」「もえている~」。「涙」の「な」。「ほほえみ」の「さえ」の消し込み。「感じる」の「る」、「忘れないで」の「ないで」、「思っている」の「いる」。

テクニックと息遣いなどが、ややあざとく聞こえることの少なくない彼の歌のなかでは、うまくまとまっているものの一つです。2オクターブ近くありますが、それを楽に歌えるという見せ方です。誰もがうまい(声が出るなあ、歌唱力があるなあ)と思うように構成されているために、曲がとても大きく難しく聞こえます。彼が歌うと、よくも悪くも大曲にしてしまうし、そうなるということです。(そこは、布施版「マイ・ウエイ」「君は我が命」と似ています。「愛の別れ」あたりが、その歌唱スタイルでの限界でしょう)。

作品としての歌よりは、声の演出、フレーズ、歌唱法として、学べるところは大です。ただ、このようにこなそうとするのは、大変なチャレンジになります。布施明のものまねが、ほとんど出てこない理由でもあります。

彼の歌には、みせようと技巧的になり過ぎているきらいがあります(「この胸のときめきを」など)。厳しくみると、この曲でも全体の一本の流れがところどころ止まっています。その点で、構成力としての完成度は、曲をしぜんに捉えてこなしたボビー・ソロの原曲に劣ります。とはいえ、日本人の聞き方は、布施のこうした歌い方を求めていたものですし、この歌では、気にならないでしょう。この曲では、息でのハスキーな処理で、西城秀樹っぽくなるところがちらほらみえます。「積木の部屋」は、野口五郎の細やかさとやや似ています。まねたのではないから、当時の歌唱スタイルと思ってよいでしょう。

スター歌手としての布施のきらびやかな歌い方、「君はバラより美しい」などの線上からは、やや抑えられています。彼の歌では、「霧の摩周湖」が絶唱、「シクラメンのかほり」がベスト歌唱と思いますが、日本人の好む見せ方として参考になります。日本のミュージカルの小器用なつくり過ぎからは、このくらいに堂々と歌いあげた上で抑制すべきという基準になると思うのです。

布施のカンツォーネの日本語版としては、他に「ラノビア」「イル・モンド」「愛限りなく」など、たくさんありますので参考にしてください。まさにカンツォーネで歌唱と声力を磨いたといえる歌い手の一人だからです。もちろん、紅白で歌った「マイ・ウエイ」「そして今は」なども。

 

ボビー・ソロは「ほほにかかる涙」も、1オクターブを軽々とのり切ってしまう、その浮いていながら芯のある声は、フォークシンガーらしい処理ですので、初心者はイメージを学び、直接、まねない方がよいでしょう。

「涙のさだめ」「恋のジプシー」も同じく、とてもうまくまとめています(私は、彼のでは、「少女」が好みですが)。歌唱をまねずに曲を課題として使うとよいと思います。「涙のさだめ」はイヴァ・ザニッキ(私は、布施と同じく、ジャンニ・モランディのが好きですが)、「恋のジプシー」はナーダで学ぶ方がよいでしょう。

 

歌の仕上げとしては、芯のある上で、共鳴をコントロールして、みせている、このみせるところで、ポピュラーとしてマイク処理の効果を学べます。といっても、今の歌手のようなヴォリュームや雑さの補充でなく、60年代、多くの人に届けるための補助としてのマイク、シンプルなリヴァーブで、声のソフトな効果を上げるような本来の使い方です。

二人とも力みなく歌との距離を一定にとって、その加工をしっかりと行っています。その細かさでは布施が上で、シンプルに曲の構成のまま活かしている分には、ボビー・ソロが上でしょう。どちらも発声としての基礎よりは、基礎ができた後に、どのようにみせていくのかの音楽的演出で、歌唱表現としての応用課題として聞くとよいでしょう。

 

楽曲としての、この曲は、広い声域を使うのが課題です。低・中・高音域の処理の仕方に、とてもよいので、グループレッスンで取り上げていました。「セピアンジ アモーレ」Se piangi amore(ソドミソドミ)だけで2時間、くり返したこともあります(ここはGのコード上で処理して、一曲通して歌うときは、ドドミドドミでもよいでしょう)。

次のIo piango con te(ドドシラソ)なら、1年後、sorridi sempre se tu non vuoi(レファラドラドシドファ)では、2年後の課題になるなら理想というくらいのレベルです(調号を略しましたが、低いソから2オクターブ上のファまでの上がる展開)。発声で扱うのならヴォイトレも深いのです。

発声の基礎トレーニングとしては、冒頭の低いソミレの3音を全く同じ、同じ太さの音質で揃えて、2音目に強拍(圧)をおくということです。ここだけでプロとわからせる声です(この低音発声の基礎練習においては、二人とも見本になりませんので、注意)。(♭π)

No.358

「シンエヴァンゲリオンⅡ」庵野秀明

全シリーズを視聴しており、かつNHKプロフェッショナルを見た後に視聴してきました。自分自身が共感する部分が多いのはもちろんですが、多くの人によって作られているものが作品なんだと感じる経験でした。一人ひとりの人生の時間を注がれて生まれる。軽い気持ちで見ているものすべてが色々な人生の証明なのかもしれないと感じました。人にここまで考えさせる作品に出会えてよかったです。

 

「なくしてしまった魔法の時間」安房直子

童心を思い出させてくれる、身近にあたかも存在しているかのようなファンタジーの童話集。何度読み返しても引き込まれるその世界観に魅了されている。コロナで大変な時期ではあるが、読書を通して心の豊かさをはぐくむ良い機会であると感じます。

 

「直感力」羽生善治

人生のヒントが書いてありますね。

 

天保水滸伝」神田伯山

人に対して語る伝えるの本質が詰まっていると感じました。

 

代々木八幡宮

安らぎスポット、都会とは少し離れたような独特な世界があります。

 

「麵恋処いそじ」

非常においしいつけ麺があります。

V014「タイムトゥセイグッバイ」 アンドレア・ボチェッリ&サラ・ブライトマン/中島啓江&布施明

1.歌詞と曲と演奏など(歌手以外のこと)
ことば、ストーリー、ドラマ、情景描写、構成、展開、メロディ、リズム、演奏、アレンジなど
2.歌手のこと
声、オリジナリティ、感じたこと、伝えたいこと
3.歌い方

 

1.低い第4音から、高い第2音までの、1オクターブと6度という、かなり広い音域の、デュエット曲です。ミックスヴォイスや裏声を使う女性には、取り組みやすい人はいても、実声しか使わない男性には、かなり難易度の高い曲です。実際に有名な部分は、歌の11小節目からです。冒頭の、16分音符の羅列が続く2フレーズと、同様に16分音符の羅列が続く、中間部分の4フレーズの早口も、特徴的です。

 

2.アンドレア・ボチェッリ&サラ・ブライトマンは、ミュージカル畑のソプラノ歌手と、オペラにもチャレンジした盲目のテノール歌手です。声楽の発声をベースにしているため、難なく歌えています。サラ・ブライトマンのソフトな発声スタイルが、安定して無理のないアンドレア・ボチェッリの声に寄り添っていて、曲の内容にも即し、とても効果的なものになっています。

一方、中島と布施の演奏は、オペラ畑の声楽家と実力派の歌謡曲歌手の組み合わせです。もちろん無理なく歌えてはいますが、曲としては、全く違うものになってしまっています。サラ・ブライトマンはミュージカル歌手だったので、マイクをうまく使いこなして、自分の声を表現することが、しっかり板についているようです。それに比べると中島は、マイクを使わないオペラ歌手の声の使い方が、どうしてもぬぐい切れないようで、冒頭の部分も、弱くはありますが、ある程度の充実した声になってしまい、オブリガートの部分から後半に向かっては、布施の声に対抗しているかのように聞こえ、ふたりの寄り添い感のなさが、気になりました。

 

3.曲頭の、16分音符の羅列が続く2フレーズと、中間部分の16分音符の羅列が続く、4フレーズの早口を、しっかり板につくまで、何度も繰り返し練習する必要があります。また、有名な部分の4小節目と9小節目(歌の14小節目と19小節目)の、1オクターブの跳躍は、ほぼ最高音への跳躍なので、安定して、楽に出せないといけません。なぜなら、後半の転調で、同じフレーズの最高音が、2音高くなるだけでなく、さらに、曲の最後のロングトーンは、その最高音になるので、自分の出せる最高音の、3~4音下に、この音が来るように、キーの設定をするのが、安全です。(♭Ξ)

 

 

1.この曲は低音域のAメロから高音域のサビまでの楽譜上の印象と聞いている印象がとても違う曲です。打楽器のボレロのようなリズムがとても印象的です。均一に刻まれるリズムの上で言葉をメロディにのせて堅苦しくならずに歌うのは、難易度が高いです。

 

2.日本人のポップス歌手として布施明のポテンシャルの高さがよくわかります。しかし、この曲はあくまでもイタリア語の言語に合わせて作曲してあるのでレガートに歌わないと音楽と言葉がリンクしないです。 声がレガートにならないので曲と声が合わずに歌詞が聞き取り辛いです。子音で口腔が狭くなるのも要因の一つでしょう。逆に中島は美しいレガートが歌えるので布施よりも発音が聞き取れます。

ボチェッリは流石の声の美しさと高音域の安定で美しい高音をきかせてくれていますがAメロはテノールの彼にはとても低いので流す程度で歌っているのが印象的です。サラ・ブライトマンはどうしてもボチェッリと並ぶと声が貧弱に聞こえてしまいます。中島もそうなのですが高音域にはいるとどうしても発音の不鮮明さがきになります。これはライブだと声を楽しむということもできるのですが、録音だけで聞いてしまうと発音不鮮明さが気になってしまいます。

 

3.基本的にレガートで歌うことを第一に考えるべきです。表現に偏らず声を重視してトレーニングしないとかえって声の弱さが際立つことになる曲でしょう。(♭Σ)

 

 

  1. 前半や中間部のように音や発音が多くて語り口のように歌う部分と、メインとなる旋律(サビ)でしっかり歌い上げる部分とがあるので、全体的にメリハリをつけた演奏が求められます。またオリジナルは男性と女性のデュエットですが、一人で歌う歌手もいれば、デュエットでも歌うパートの分け方をさまざまにアレンジして演奏されています。

曲名の「Time to say goodbye」は、伊語では「Con te partiro'」となり、実際に 曲中でもCon te partiro'に置き換えて歌う場合もあります。

 

  1. イタリア語の発音に関しては、サラ・ブライトマンは少し発音の癖があり、-daが-laに、-toが-doに聞こえる部分があるのがやや気になります。一方、中島と布施にとっても歌詞は外国語になるのですが、二人ともしっかりとした発音をされています。とかくアジア人は発音が不利だと思われる人が多いですが、例えば英語圏の人にとっても英語以外の歌詞は全て外国語なのです。歌唱はもちろんのこと、発音がしっかりできているかどうかも本人の練習次第であり、ローマ字の言語の人たちより少しだけ時間をかければ、引けを取らないクオリティで歌えるということを伝えたいです。

 

3.曲中で1オクターブ音が飛躍する箇所は、ブレスを入れずにひと息で歌うとメロディをより引き立たせる(盛り上げる)ことができます。この同じフレーズが転調を含めて5回ありますが、例えば転調ではあえてブレスを入れて高音から直接歌ってみてください。フレーズが同じでも、ブレスの位置を変えるだけで聞き手にはまた違った印象になります。

1オクターブの部分では、三連符もありテンポが遅れやすいです。高音域でテンポも遅れ、そのなかで歌詞も発音するとなると、喉に負担がかかり声が進みにくくなります。また、なかにはテンポの遅れを自覚しにくい人もいるかもしれません。遅れの自覚があってもなくても、リズム読み(音程を省き、リズムに合わせて歌詞を発音する)をした後で歌う、という練習を取り入れることをおすすめします。(♯α)

 

1.日本語訳詞で歌われることもあるようですが、せっかくイタリア語で書かれた曲ですので、原曲通りメインのイタリア語と一部英語というパターンのほうが美しく聞こえます。個人的な印象としては、日本語で歌うと違和感をおぼえます。それくらい日本語訳詞というのが合わないように感じます。

 

2.日本人のなかでも歌唱力の高い二人だけあって、二人とも声のパワーと言葉裁きが美しい印象を受けます。これだけ歌える二人ですから、却って日本語歌唱というのがおかしくも感じます。

アンドレア・ボチェッリ&サラ・ブライトマン、こちらも歌唱力の高い二人ですね。サラ・ブライトマンに関しては、日本人がマネできないような独特な歌い方が特徴だと思います。

 

3.ある程度の音域を必要とする曲ですので、それなりに訓練が必要かと思います。高音域に対して苦手意識が強い人は避けた方がいい曲かもしれません。もしこの曲をお歌いになるのであれば、基本的には、イタリア語を喋る感覚を大切にできるとよいと思います。冒頭の部分は言葉も多いですので、歌おうとすることよりもイタリア語を語るニュアンスが多い方がいいのではないかと思います。このイタリア語尾の語感は、後半の音域が高くなっていく部分でも失わないようにしていくことで、歌いにくさが改善されるのではないかと思います。(♭Я)

 

 

  1. グッバイとタイトルがついているので、お別れの曲と思いがちですが、イタリア語だと「共に旅立とう」というタイトルでとても前向きなエネルギーに満ちた男女の旅立ちの歌です。歌詞に水平線という言葉が出てくるのですが、聞いている人が遥か彼方遠く海の水平線を感じられるように歌ってください。

1番はレチタティーヴォ→Aメロ→サビ、2番は1番の変形型レチタティーヴォ→サビ、最後に転調してコーダという構成です。コーダ部分のリズム、ラヴェルボレロでおなじみの3連符の刻みのリズムで、フィナーレを盛り上げています。

 

  1. 中島、布施、二人とも共通しているのは、輝きのある響きのある声であり、高音になればなるほどその力量をますます発揮しているが、中低音が音程がフラット気味になっている点が残念です。どちらも高音が得意な歌手なのでしょう。特に中島の胸声で中音域のフラットが顕著です。二人とも、太く歌っているので、一見声量があって迫力があるように聞こえますが、太いということは、呼吸のコントロールが完ぺきではないということの裏返しでもあります。

サラ・ブライトマンは完全にファルセットでウイスパリングボイスで歌っているので、中島とは全く逆の表現、まったく別の技術です。高音は中島ほど体を使っていないのでやはりファルセット気味な出し方です。一方ボチェッリは、しっかり地声の声帯を合わせた歌い方で歌っているのが特徴です。中低音から高音に一オクターブで上がるところも、きちんと声帯をくっつけたまま体の支えとともに歌っています。前述の二人のように、声が太くないのにしっかり聞こえてくるのはそのせいです。

 

3.最初のレチタティーヴォはフレーズのゴールを意識して歌い始めましょう。すべての音符が均等なのではなく4分音符の「role」「sole」韻を踏んでいますね、ここに向かうようにフレージングしましょう。se non ci ~は休符やブレスを音楽の一部ととらえて、平板にならないように気をつけてください。con me はあとから何度も出てくるこの曲のキーワードのようなもので「私と(with me)」という言葉ですので丁寧に歌いましょう。 mai vedutoのオクターブは下の音でしっかり支えて上に上がってください。キンキン声にならないよう、丸みを帯びた高音を目指しましょう。二番の con me が羅列している部分は最後のcon meに向かうように緩急をつけてください。急、急、さらに急、緩といった具合です。

最後の io con me では高音の技術が露呈します。しっかり体で支えられるように、トレーニングする必要があります。背中を下に下げる、横隔膜を広げて保持する、下半身を少し下げて重心を感じるなど気をつけてみてください。喉が開きなれていないとすぐには歌えないと思いますので、あくびの口の開き方で常々ほぐしておきましょう。(♯β)

 

 

  1. リズムについて書きます。ヴォーカルはよいリズム感を持っていないといけません。その第一歩として、録音を聞くときにその伴奏の気になるリズムグループをすべて聞き取れるようにするとよいでしょう。イントロの低弦のピチカートのようなリズムにまずは注目してください。大きい弦楽器コントラバスのピチカートをイメージしてみると、体全体を震わせる「ハイ」のイメージがつかみやすいかもしれません。次に途中からなってくるスネアの三連符のリズムです。そのリズムがヴォーカルと相互作用しているのを聞きとってください。

 

2.出だしの女声の、声を置いていくような表現、コロコロした声、そのブレスをよく聞きましょう。「息が体の奥にすとんと入る」という感じがわかると思います。同じ部分を男声はよりすらすらと、独特の甘い声で入ってきます。二人とも、出だしから少しずつ「発展させて」サビに入っていきます。声色、リズム、強弱を使って音楽がフレーズが盛り上がる様子を聞いてみてください。

 

3.デュエットは、互いの声によく耳を傾けることになるためとても勉強になります。自分の方の声(つまり男なら男声)をよく聞くのももちろんですが、違う方の声(男なら女声)も聞くのです。この曲は珍しいことに一緒に歌うときは常にオクターブ(つまり現代の記譜法では楽譜上同じ高さ)で歌われるので、違いがわかりやすいでしょう。(♭∴)

 

 

1.英語では「お別れを言う時」という意味のタイトルですが、原語のイタリア語 Con te partiroは「あなたと共に出発しよう」という意味で、二人で新天地を目指して旅立つといった内容です。離別の歌ではありません(「あなた」は死者であるとも解釈できますが)。結婚式でも人気の曲です。

歌詞は元々イタリア語ですが、歌詞の一部が英語になったものがよく演奏されます。大海原を思わせる緩やかなボレロのリズムに乗って、晴れやかな船出が描かれます。

 

2.サラ・ブライトマンアンドレア・ボチェッリは双方ともクラッシック一辺倒ではない軽やかな発声。非常に親和性が高く心地いいです。また、伸びやかな高音には、オペラやミュージカルで鍛えたからこそ出せる確かな職人技を感じます。それと比べると中島と布施は音程が悪く方向性もバラバラに聞こえます。

 

3.オペラとポップスの融合スタイルなので、演奏には幅広い音域にわたる発声技術と明瞭な言葉が大前提です。その上での注意事項としては、頑張って歌わないことだと思います。1オクターブの跳躍を表情を変えずにできる余裕を持って、冷静に演奏すると効果的です。(♯∂)

 

 

まず、日本版の中島と布施のは、TV番組で放映したライブなので、洋盤の完成作品に対して比べるのは、フェアではないと、お二人の名誉のためにも、記しておきます。

松本隆の訳詞の素晴らしいことばで、どのようにプロが処理展開するのかを聞いてほしいものです。

「ゆりかごみたいに あなたに甘えた日々」

「旅行カバンにつめこんで船に乗る」

からはじまる出だしのあと、

「光の、消、え、た街」(布施)

「みつ、め、あう、まなざしだけがしゃべりすぎ」(中島)

「いい、かけた、ことばを 汽笛がさらう」(布施)

この3行のフレーズでの即興的なかけあいは、日本語のことばとメロディとの構成、フレーズの展開力で、見事に呼吸とともに、オリジナルな表現に結びつけています。

その後のサビへの歌唱以降には、好き嫌いもあるでしょう。各人の述べた感想もその一端でしょう。(♭π)

No.357

ロバート秋山のクリエイターズファイル」ロバート秋山

疲れた時、自由に役柄を演じる秋山をみて楽しんでいます。

 

7日間で自分で決められる人になる」根本裕幸

自分も含めて大人になっても自分で決断することがなかなかできず、自分で納得が行かない選択ばかりをして精神的に消耗してしまう人は意外と多いものです。

決められない原因は、変わったことをやると人から笑われる、こんなことをやってもお金が稼げない、周りの迷惑にならないか、など、周りに「忖度」し過ぎてしまうことで、特に日本にはこのような「自分で決められない人」が多いと思います。

本書はそんな人々が「自分で決められる人」に変わるためのプロセスを提案しています。

まず、その人が「自分で決められない」原因を洗い出し、その原因を捨て去り、「ありのままの自分」に出会うという流れになっています。

家庭や学校、職場では、自分のありのままの「感覚」や「直感」は単なる「わがまま」として排除され、「社会の常識」や「論理的思考」、「損得勘定」に従って行動することを教えられますが、それがありのままの自分を見失い、生き辛さの原因になっていると言います。

これは頭(思考)と心(感覚・直感)が対立してしまっている状態です。

それに対して、「自分で決められる人」は「感覚」や「直感」で自分の心底やりたいことを決め、それを成し遂げるために頭を働かせて「論理的思考」で戦略を立てるので、頭と心が役割分担して連携する形となるため、生きることが快適になり、結果として自分にも自信が持てるようになるという結論になっております。

まずは自分の心を信じることから始めてみたいと思います。

 

「スパイスポスト」カレー料理屋

様々なスパイスを駆使して作られたカレーは絶品

チキンとポークビンダルは何度も食べたくなるような五感を刺激するおいしさがあります。テイクアウトもできそれなりに人気店です。代々木八幡駅すぐ

V013「バナナボート」 ハリー・ベラフォンテ/浜村美智子

1.歌詞と曲と演奏など(歌手以外のこと)
ことば、ストーリー、ドラマ、情景描写、構成、展開、メロディ、リズム、演奏、アレンジなど
2.歌手のこと
声、オリジナリティ、感じたこと、伝えたいこと
3.歌い方

 

 

1.ジャマイカの港湾荷役夫の労働歌が発祥で、バナナの積み降ろしで歌われる曲なので単調な重労働に耐えられるように、カリプソに似た、しかし、ゆったりとしたリズムで歌われています。構成としては、冒頭の「Day,O」で始まる部分に続き、「work all」で始まる短いフレーズに、「Daylight come」の合いの手が調子よく入る繰り返しが主です。

 

2.ハリー・ベラフォンテは、ややハスキーな声だが、ジャマイカ人の血のせいもあるのか、とてもごきげんな仕上がりになっていて、世界的に大ヒットしたのもうなづけます。

浜村美智子は、張りのある声で、なかなかうまく原曲に迫っていると思います。ただ、ビート感がやや違うのは、どうしようもないところでしょうか。また、歌詞の内容がかなり変えられていて、日本で売るためには、仕方がないのかと残念です。

 

3.われわれ日本人が、このビート感を出すのは、かなり難しいと思います。特に、声の輝きや美しさを、第一に考えてしまうと、浜村美智子が限界かもしれません。声を多少犠牲にしても、ビート感をしっかり追い求めるのか、声を第一にするのか、難しいところです。もちろん、ビート感をしっかり体得してから、声を練り上げていくという王道もありますが、かなり時間がかかる作業になるでしょう。(♭Ξ)

 

 

  1. 民族音楽のような音楽と独特のリズムとメロディがとても耳に心地よい曲です。生真面目に歌うのではなくどこか力の抜けた全体の印象がおもしろいです

突然、はじまりますが、違和感なく入ってきます。

 

  1. 浜村の声を初めて聴きました。第一印象は日本人に聞こえないということですね。

この曲に関しては、日本語の違和感のなさが素晴らしいと思います。これは歌手の力によるところが大きいです。

日本語と外国語を同じような響きと鳴りをもって歌えるというのはできそうで難しいことです。それを力が抜けた感じで歌えるというのは素晴らしいです。

歌っているというよりもセリフに近い状態なので、このような印象を受けるのかもしれません。しかし、その歌い方と、どこか民族音楽のように感じるこの曲がうまくかみあっているのでしょう。

ベラフォンテの方が浜村より、より歌っているという印象でしょうか。しっかりと声にしています。そして声に濃淡をつけてより音楽をしているという印象です。

ただ、ベラフォンテ、浜村ともにさほど遠くない声のアプローチをしていて、それがかえって日本人でありながら遠くない位置で歌っている浜村のすごさを感じさせてくれます。

 

3.喉の位置としては二人とも喉は高めですが、しっかりと声門閉鎖が行われていることで、声のクリアさを担保しています。とくに浜村は母音の鳴り方が素晴らしく均等に鳴るので、一瞬日本語にきこえないほどです。ベラフォンテは少し泣くような声の色を使うことで、甲状軟骨の傾きが加わり高音域へのアプローチがスムーズにいっています。このような技術面でも学ぶべきところが多いと思いました。しかし、日本人に一番難しいのは、この民族音楽的な部分かもしれません。(♭Σ)

 

 

1.ジャマイカの民謡なので、民謡ならではの独特なリズムが色濃く出ている曲です。

収穫した大量のバナナを夜通しボートに積む人たちの心情を描写した労働歌です。歌詞の内容はラム酒を飲んで徹夜で作業とか、日が昇ったら家に帰りたいといった過酷な労働が垣間見られる一方で、陽気な雰囲気や眩しい太陽を連想させるようなメロディで歌われています。ただ明るい曲ではなく、人間味のある味わい深さが醸し出される曲ではないかと思います。

 

  1. ハリー・ベラフォンテは自然体の声で、自由な中で歌っているという印象を受けます。自由に歌えていると感じさせるのは、それ相応のコントロールをされているということです。声は力強さや陽気さがあり、そこに力み感が全くなくてつい聞きいってしまう歌唱です。

力み感がないという部分で比較すると、浜村美智子はパンチを効かせたいといった印象です。やや力みが感じられる部分があります。ですが、力強い歌声や大胆な歌い方は、この曲の雰囲気によく合っており、雰囲気に寄り添えていると思います。

 

3.掛け声の部分は、単に音をなぞって歌うだけでは、ソルフェージュのような歌になりかねません。強拍を明確に感じながら、マルカート気味に歌ってみることで、この曲の雰囲気や特徴が表現しやすくなると思います。

民謡は文化なので、ジャマイカの血が入っているハリー・ベラフォンテの歌い方を模倣してみて、リズムの感じ方や歌い方のヒントを得てください。(♯α)

 

 

1.民謡で労働歌ですから、言葉や曲調は違いますが、民謡がたくさんある日本人にとってはイメージしやすいのではないでしょうか。

 

  1. 浜村美智子は、近年の日本人女性歌手とは異なり、小手先の歌いまわしではなく、楽器そのものとして有効活用しているような歌い方に聞こえます。コンパクトにまとめようとしていない部分は、少々日本人離れしているようにすら感じます。よい意味です。自分の楽器と歌い方が乖離してしまっている人にとって、学ぶことは多いのではないでしょうか。

ハリー・ベラフォンテは、決して美声というイメージは沸きませんが、この曲に対する声や歌い方としてはイメージがあっているように感じます。かといって、この人の声の出し方や歌い方を日本人がマネして成立するものではないと思います。

 

3.肉体労働をしながら掛け声のような感じで歌っているというイメージを大事にするとよいと思います。音程とか声質とか、そのあたりをきれいに歌おうということは必要ないでしょう。これをきれいに歌おうとしたら、違和感しか残らないと思います。労働歌の雰囲気にあった歌い方を大事にしましょう。(♭Я)

 

 

  1. ソロとコーラスの掛け合いが特徴的な曲です。 とても民族的な風合の濃い作品です。 単純なメロディの繰り返しですが、アルペッジョに変化したり三連符になったりバリエーションの変化があります。

 

  1. 浜村美智子は、最高音は、♯ソで中低音中心の曲なので地声で歌っています。ポルタメントを要所要所に用いています。日本語になったとたんに音と音の間が平板な移動になり、かつ重く聞こえがちなところがありますが、英語で歌唱した時は音のシェイプ、抜きなどが多いです。歌詞も日本語版ではかなり変えて、ストーリーを変化させています。

ハリー・ベラフォンテは、浜村美智子より一音低い音域で歌っています。浜村の歌唱が少し重くなりがちなのに比べて、こぶしの入れかたなどもとても軽やかに聞こえます。言語からくることが大きいのだと思いますが、日本語歌唱と違って、リズムのずらしが多いです。

 

3.リズムのとらえ方、強弱のつけ方が邦楽とかなり異なりますので、注意深く音源をよく聞いて真似していくことをおすすめします。

強いところと、抜くところ、3連符はどこが強いか、など。平板なリズムにならない、音と音の移動やポルタメントのかけ方をよく聞いてまねしてみるといいでしょう。(♯β)

 

 

1.はじめがほぼアカペラで、インパクトがあります。真ん中はスローなテンポに乗ってけだるく歌います。最後に冒頭のテーマ。コーラスがゆっくりになって終わります。

 

2.浜村は、初めの「day o」を、低めからとり、グリッサンドで降ります。全体的にけだるく歌っています。語尾が意外に優しいが、かなり激しくt音をぶつけています。現代では考えられない低い声を使い地声で歌っています。ワイルドな声です。

べラフォンテは、初めの「day o」は、ストレートに行き、初めもずり上げず、降りるときもすっと降りています。全体的に軽めにすっきりまとめています。声の勢いがすごいです。中間部のテンポが浜村よりやや速く、フレーズの最後を投げつけるように歌っています。リズム感が鋭いです。最後のアカペラの声の上ずりが高揚感を伝えています。

 

3.初めのアカペラをコピーしてください。言葉の勢いとリズム感です。速くしていく感覚、抜く感覚、どちらの歌手で学んでもよいです。特に初めの一言目「day o 」は、二人の歌い方がかなり違うので、どちらもコピーしておくとよいでしょう。(♭∴)

 

 

  1. ジャマイカ民謡・メントの曲で、バナナを運ぶ人夫の労働歌が元となっているため、重いものを担いで歩く緩やかなテンポです。「DayO」から朗々と始まる冒頭はフリーリズムで、奄美地方の民謡にも通じる南国の大らかさを感じます。

 

  1. 浜村美智子はエキゾチックで陽性の声を気だるく使って、南国のフルーツのような甘く蕩ける雰囲気たっぷりです。前半が英語、後半が日本語の歌唱ですが、日本語部分の表現に注目してみましょう。はじめ日本語に聞こえてこないのです。声をまるで遠い国の楽器のように扱っていて、たまたまモチーフとして日本語が乗っているように聞こえてきて、非凡な魅力を感じさせてくれます。

ハリー・ベラフォンテは冒頭に瞠目させられます。なにか根源的で呪術的なパワーを湛えた歌は、どうやっても真似できる気がしません。

 

3.冒頭は、太い筆にたっぷりと墨を含ませ、空中に大きな書をしたためるようなつもりで歌ってみましょう。そのためには息を流し続けることです。グレゴリオ聖歌を練習すると参考になるでしょう。リズムが入る部分以降は、歩きながら歌うと労働歌の感覚が掴めます。(♯∂)

 

 

1.この曲は、カリブ海の島国、ジャマイカで下級労働者が夜通し大量のバナナを積荷するという厳しい労働環境の中で歌い継がれた労働歌です。

歌詞の内容は、「朝日だ!日が昇る。夜が明けたら家に帰りたい!一晩中ラム酒でも飲んで今夜も徹夜仕事だ。朝が来るまでバナナ積みさ。記録係の兄ちゃん、バナナを数えておくれよ。一房、6本、7本、8本のバナナ・・・」と、その様子がすぐに想像がつくような端的な詩です。苦しい環境の中で労働者に歌われた民謡のようなものだったでしょうが、皆さんがご承知の楽曲は素晴らしいものとなりました。お国柄が表れていてとても陽気な曲想、メロディもキャッチー。一度聞けば、すぐ覚えてしまうようなメロディーラインです。名曲といわれる曲は、ほとんどの作品が記憶に残るメロディにゆだねられているので、歌い継がれるほどのこの労働歌はヒット曲に間違いありません。カリブ海のリズムをうまく取り込み、お国柄の暖かい島国の気候も感じられるアレンジも世界中の人々が好きになったポイントでしょう。

曲の冒頭に掛け声のような言葉を使われている点も素晴らしい!「DayーO、Day-O!」という言葉、最高です!日本語の民謡で、「えーんやこら!」のようで、労働歌って、世界共通な形があるのだと感じます。ちょっとなまっている英語も、労働階級の人々をリアルに感じられます。

 

2.浜村の歌ったこの曲は、私はとても素敵だなぁ。と思います。日本人でありながら、この曲の本質をストレートに歌の中で表現されています。

曲の中に日本語の訳詞も取り入れて、崩しすぎず歌い、バックの男性コーラスが軽さを表現し、英語の歌詞の母音をうまく日本語訳詞の中に寄せているところが、ナチュラルで好感が持てるオリジナリティに繋がっています。

ベラフォンテは、ジャマイカ系の歌手ということもあり、母国特有のリズム、歌の抑揚、軽くてあっけらかんとした声と歌いまわしで、とても心地よい楽曲に感じます。労働歌ではあるけれど、重たさや苦しみよりも、楽しさを感じさせるところも、この曲を誰もが好きになった根源と思われます。

 

3.浜村は、ハスキーで力強い声質と、ほとんどビブラートを使わないロングトーン、女性の声ですが力強い胸声を使い、肉体労働者や庶民の姿を想像させます。それなのに、とてもシンプルに、さらっと歌っているところにセンスを感じます。男性の歌を女性が表現するわけですから、男っぽさを粋に表現していると思いました。

べラフォンテは、彼の中に流れている血が全面に表れていて、彼の歌い方そのものがこの曲のよさを引き出していると思います。とにかく明るさを感じさせる歌声、聴衆が楽しくなる曲に作り上げていることが素晴らしいです。

二人に共通することは、シンプルに歌っていること、決してテンポを動かさないところです。(♯Δ)

No.356

「美しい歌・こころの歌」

日本の歌は、元々好きで、10枚のCDを買いました。CDは、ほとんど聞いていなかったのですが、引っ張り出してみると、歌がたくさん収録されていて、「赤とんぼ」「冬景色」「冬の星座」もありました。「冬の星座」は初めて聞く曲でしたが、とても素敵なメロディだと思います。

 

「香港画」

2019年の香港市民デモの様子を、居合わせた日本人監督が撮った30分のドキュメンタリー。香港は自分には懐かしい。神戸在住時に、香港からの交換留学生たちに、広東語を習っていた縁で、毎年、香港を訪れていた時期があった。あのときの彼女たちも、デモに参加していたはずだ。懐かしい街角が写されるが、そこでは、厳めしい警察隊と若者たちが睨み合う。コショウスプレーが目を狙って発射される。催涙弾が飛ぶ。浴びた者たちの目を洗う救護班の女性たち。放水車の水圧に飛ばされた女性を助け起こす若者。大学が警察隊に囲まれ、構内に取り残された、中学生を含むデモ隊数十人に向かって、ストリートミュージシャンたちが演奏を続ける。「彼らには届かないかもしれないけど、音楽で励ましたい」。その言葉が胸に残った。当たり前にあった自由を守るために立ち上がる気持ちは理解できる。けれど、デモ隊が中国銀行や中国を支持する店を破壊する行為には賛同できない。彼らは、平和デモでは政府は動かないから、暴力に訴えると言うけれど、力で解決しようとすれば、力で抑え込まれるような気がする。では、どうすればよいのか、答えは出せないでいる。

 

稲川淳二YouTubeチャンネル 」稲川淳二

相手に想像させる表現、自分に対して話しているように感じる喋り方。表現者としての本質を見ていると考えさせられ、加えて経験した事のないような恐怖体験等を感じる事ができるおすすめのチャンネルです。

 

「リアル」井上雄彦

事実を受け止めて進まなければならず、大きい目標を達するためには目の前の現実をまず自分なりにこなしていかなければならない。

また、自分自身の気持ちに正直になっていい。これ以外にも沢山の本質を学ばせてもらっています。自分自身が間違った道に行こうとしたり、歪みそうになったら読み返して思い出します。

 

「金持ち父さん貧乏父さん」ロバート・キヨサキ

この本はかれこれ20年近くもベストセラーになっていますが、最近初めて読みました。

最も印象に残ったことは、

「貧乏な人はお金のために自分が働き、金持ちはお金を自分のために働かせる」

という教えです。

日米を問わず、大部分の人は貧乏か中流くらいの人達で、学校で専門分野について知識や技術を学び、それを活かして就職し、働いて給料をもらい、その中から諸々の費用を支払い、最後に残ったお金を自分の楽しみに当てます。それで足りなければ借金をすることもあり、自分のスキルには高いプライドを持っているものの、経済的には余裕があまりなくて四苦八苦している。

これに引き換え、金持ちも働きはするがお金のためには働かず、将来は投資家か経営者になるための技術を「学ぶために」働くという勤労意識を持っているというのです。そしてまずは稼いだお金を自分のために働かせるために投入します。例えば、不動産を購入してそこから家賃収入を得るシステムを作ったり、自分の持っている技術(知的財産)を人に教えて仕事をさせ、そこから技術の使用料を収入として得るために契約を結んだりするのです。

この違いの理由として、金持ちはお金というものの性質と、自分自身が働いて得られる収入の限界を知っているのです。だから、自分のために働いてくれるものは人でもお金でも使い方を慎重に考え、大切に使います。

結果として、こんな違いにも気づきました。

貧乏な人は自分の力だけを頼りにしてしまうので、「これほど働いているのになぜこんなに生活が苦しいのか?」と自分に自惚れたり、世間を恨んだりしているので、大抵は不機嫌な顔をしている。

金持ちは自分以外のいろんな人のお蔭で自分が生かしてもらっていることを知っているので、常に感謝の念を持ち、人に与えることをうれしく感じるので、笑顔が絶えない。

さらに、この本の中には、あのケンタッキーフライドチキンの創業者カーネル・サンダース氏の波乱万丈の人生についての記述もありました。

それを読んで自分自身を振り返ると、

「人間関係や軽症うつで今まで苦しんでいた自分の人生なんてまだまだ恵まれている方だ、まだまだできることはある!」

と、本当の意味で勇気づけられました。

キヨサキさんの他の著書も参考にし、お金に関する考え方、ひいては世の中に対する考え方を改善して行ければ、と考えております。

 

「どこかで誰かが見ていてくれる」福本清三(聞き書き・小田豊)

切られ役専門の福本清三さんの訃報を聞き、この本を手にした。本から映画全盛時代の匂いが立ち上ってくるように感じるのは、聞き書きだからだろうか。時代劇全盛の東映の大部屋の雰囲気、大勢のエキストラが朝昼晩、あっちで斬られ、こっちで走り。福本氏は自分には何も才能がない、というけれど、その世界で長く生きているという、その空気をまとっているに違いない。それが語り口に出ている。どうせ斬られるなら、どんな斬られ方が良いかを考えて、工夫する。仕事から仕事を聞く、ということだろう。どうすれば、少しだけ目立つか。その「少し」という考え方がいいと思う。たくさん目立とうと思うと、きっと失敗する。読後、つくづく役者はセンスより体力と思った。これは歌い手もきっと同じだ。ずっと前に、ピアニストさんから聞いた話では「歌手は体力が大事。歌が下手なのはこっちがカバーしてやるから、体調が悪いなんて言って仕事に穴をあけないのが一番大事なこと。」

 

魔の山トーマス・マン

20代の若さ、ハンブルグ出身の主人公のハンス・カストルプが、ひょんなことからアルプスのふもとの結核療養所に行くことになりました。いとこのお見舞いに行っただけなのですが、実は自分も結核患者であることがわかり、ひと夏の休暇中の滞在のはずが、七年もアルプスのふもとの療養所で過ごすことになります。そこでいろんな人と交わり、人生について考えるというと、つまらなさそうな本です。

結核療養所を舞台とした文学といえば、我が国が誇る大作家、堀辰雄の「風立ちぬ」があまりにも有名ですが、日本の結核療養所と、アルプスのふもとのイタリア人からロシア人まで集う療養所は規模が違います。堀の小説では、フィアンセとの恋愛描写、その愛と死、いかにも日本人らしい細やかな心理描写が主ですが、トーマス・マンの小説では、恋愛も出てくるとはいえ、主人公ハンス・カストルプの精神的な成長に重点がおかれているようです。

結核療養所の日々は、一日五食、ボリュームのあるおいしい食事を食べ、横臥療法といって日向で寝て過ごすことによって治すようです。主人公ハンスは、実は小さいときに両親を相次いでなくしたという設定になっており、それが彼の「いろんな人から影響を受けやすい」、純朴な好感の持てる青年の描写になっているのです。